子どもの頃からそうですが、出題される文章を読んで目頭が熱くなることはよくあります。
2024年度の早稲田中の大問1は、東山彰良氏の小説「或る帰省」からの出題でした。
台湾生まれで今は日本の大学院で学ぶ主人公が、幼少期からお世話になった張(チャン)家の三おばさんが重病と知り、現地の病院に空路はるばる駆けつけるところから始まります。
病床の三おばさんは元気そうに見えましたが、彼女の膵臓は深刻な状態で、姉妹たちも本人もすでに覚悟を決めていました。
わずか9日間の限られた滞在で、主人公の「わたし」にできることは、毎日欠かさず病床の三おばさんを見舞うことだけ。
それでも「わたし」がいることで、いなければ漂うはずだった重苦しい雰囲気が、束の間ではあれ幾分やわらいでいるのは感じられました。
恋愛や結婚とも無縁に、長年不規則な暮らしをしてきた三おばさん。
自由人で能弁家で、自信ありげに見えてどこか寂しげで、世の中のメインストリームになじめない自分をそれでも懸命に守り抜いてきた彼女。
三おばさんにとって、勉強がよくでき日本に留学までしている「わたし」は、まるで自慢の息子のような存在だったのでしょう。
「ちゃんと勉強しなさいよ」三おばさんが言った。
(中略)
「でも男はそれだけじゃだめ」
引用:東山彰良「或る帰省」『走る?』(文藝春秋)
いよいよ日本へ帰る日の病室で、三おばさんは昔からくり返し「わたし」に言い聞かせてきた人生訓をあらためて伝えようとします。すると…。
「『ちょっとくらい悪いことをしなさい』」わたしは彼女の台詞を横取りした。「だろ?」
引用:東山彰良「或る帰省」『走る?』(文藝春秋)
この部分とすぐあとに続く部分の2ヶ所に傍線が引かれ、そこから読み取れる2人の思いを答えさせるのが、問7の選択肢問題になっています。
なんとドラマチックな設問!
おそらくは2人の最後の交流となるであろう「わたし」と三おばさんの静かなやりとりが、大げさなところなど一切ない淡々とした筆致で描かれます。
自慢の息子のように感じていた「わたし」が、三おばさんの人生訓にも似たアドバイスを、自分のものとしてしっかり心に刻んでいたことがわかるシーン。
「わたし」の「だろ?」を聞いた三おばさんの反応は、たった2行ぶんあっさりと描写されるだけです。
しかしその2行は、三おばさんの人生のすべてを肯定するような明るさに満ちて、読む者の心に静かな余韻を響かせずにはいません。