ちょっと調べ物で昔の資料をあさっていたら、創業間もない頃の、ピッチ原稿を見つけた。
どうやら事業というよりはビジョンについて語るイベントのもので、まだ創業したばかりでプレゼンに慣れていないからか、全文を原稿にしていたみたい(今だと考えられない・・・(笑))
時期としては、2012年の夏。
本当にリリース直後で、サービスが立ち上がっているとはとてもじゃないが言えない頃。
この先、何度も資金繰り倒産の危機が来たわけだが(社員は知らないが)、それすら到達する前の、ビジョン以外に語るべきものがない頃。
なかなかに熱さがほとばしっていたので、ここに記録として残しておこう。。。
(なお、トップの画像は2012年のちょっと違う季節のときのもの)
ココナラは、クラウド上で完結する一律500円のC2Cサービスとして紹介されます。
ただし、我々は、ココナラを「一人ひとりが自分のストーリーを生きていく世の中を作るサービス」だと言っています。
では、一人ひとりが自分のストーリーを生きるということは、どういうことか。
みなさん、普段仕事をしていて、「いまやっている仕事は誰のための仕事なんだろう」と考えることはありますか?
誰に、どのような価値を届けるために頑張っているのか。
その価値を受け取ったであろう人は、どのように喜んでくれたのか。
今日ここにいる皆さんは、日々実感できているのかもしれない。
でも、今、目の前の仕事は誰のためにあり、誰が喜んでくれているのか?
これを毎日感じられる仕事ができている人は、実際のところどれだけいるのだろう?
誰かが作ったサービスを販売している。
作った商品はどんな人が使ってくれているかわからない。
そもそも商品の一部分しか作っていない。
効率化され、大規模なシステム化されたビジネスのもとでは、自分が作ったものを誰がどんな気持ちで利用してくれるか感じることは、実際のところ難しいと感じられる方が多いのではないでしょうか。
別に、それが悪いという事ではない。
だからダメだということではないんです。
ただ一方で、大きなシステムの中で生きていると、そういった人と人との手触り感は失わざるを得ないわけです。
大きなシステムと言っているのは別に会社のことではなく、社会全体の話です。
本来であれば、自分の興味関心から仕事なり生き方なりを選べるのが最も幸福なんじゃないかと思っています。
ただ、現在の日本というのは、多くのものを手に入れるために、社会全体が高度に巨大化、効率化していき、結果、ひとりひとりは最初からそこに存在している社会のピースとしてはまっていくという感覚が少なからずあるんじゃないかと。
そうなるとどうなるかというと、「他人ごと」で溢れるわけです。
何かあれば、会社が悪い、国が悪い、社会が悪い。
世の中で起きていることはすべて他人ごと。
自分は、影響を受けるだけのちっぽけな存在。
それでも、とりあえず会社にがんばって通っていれば、給料は降ってくる。
自分がどんな価値を届けているかよくわからないけれど、がんばっていれば、降ってくる。
世の中全体が良い方向に向かっている実感があればそれでもいいのかもしれない。
でも、残念ながら今はそういう時代ではない。
ここ数年、「閉塞感」という言葉がよく言われます。
僕は、閉塞感の本質って、結局全部が他人ごとになってしまったこと、何かをコントロールできていたり、自分の価値を実感できたりする機会がないからだろうと思っています。
では、どうやったらそれが解決されるか。
商いを、日常に。
これが、ココナラが出した答えです。
みんな商いをしてみたらいいじゃないかと。
それでは、商いとは何か。
商いの原点は、物々交換。
そこには、どっちが売る側とか買う側とか、上下関係とかなく、お互いの生活をよくするために、生活に役立つものを交換し、感謝しあう。
自分が何を提供できるか、相手が何を欲しているか、これに自覚的でないと生きていけない。
相手のことを考え、そして感謝する。
どこにも他人ごとな要素がない。
じつは、大きなシステムで失ってしまった要素が、ここにあるのではないか。
皆さんも、起業したり独立したりしたら、世の中の見え方が変わったことがないですか?
思いっきり自分ごとの視点を持ってしまうと、世の中はすべて、小さな自分ごとの積み重ねでできていることに気づくわけです。
その視点を持ってしまうと、無邪気に外野から批判したりすることもなくなるし、逆に自分が被害者だと感じることもなくなる。
優しくなれるし、不思議な幸福感がそこにある。
それが、自分ごととして社会をとらえる視点を持った効果だと思っている。
何も、じぶんごと感を持つのに、全員が全員、会社を辞めて独立をしろなんていうつもりはない。
でも、どんなちょっとしたことでも、ココナラでサービスを提供すれば、お金を払ってでもあなたを頼りたいという人と、1対1で対峙することになる。
普段、時給何千円ともらっている人が、1対1になったとたんに、意外と500円の価値を提供するのに苦しむ。
でも、頑張って価値を提供し、喜んでもらう。
そこにはものすごい手触り感がある。
この怖さと喜びを経験して、自分ごとの視点を手に入れてもらう。
これが、ココナラが提供しようとしている価値の1つ目です。
そして、これに関連して2つ目の話。
あなたのまわりに、「役に立つと嬉しいから」では説明できないくらい、他人のために頑張る、そんな人いないでしょうか。
僕は、そういう人は、本能的に、それが自分のためになることを理解しているからなんじゃないかと思っているわけです。
どういうことか。
誰かを助けようとすると、まず自分が何ができるかを見つめなおさなければならない。
そこで何かをするのだけど、意外と人に教えたり助かりしようとすると、もう一度勉強したり考えなおさなくちゃいけないことが多いことに気づく。
よくいう、教えることが最大の学びである、というのがこれです。
で、頑張って教えると、ちょっと得意だったことがより得意になる。
分野はなんであれ、何か得意なエッジがたっているひとはどこか魅力的なわけです。
魅力的な人は、またそこでよい出会いなどがあったり、自信を深めたりして、物事がうまく回り始める。
誰かの役に立とうとすると、こういうポジティブループにはいっていくわけです。
人の役に立とうとする人は、みんなこれを本能的に知っているんじゃないか、と。
そして、ココナラは、このポジティブループに入るための最初のスイッチを押してあげるサービスなのかな、と思っています。
成長は、最高のエンターテイメントです。
ココナラは、成長のきっかけを提供して、その人の人生を喜びに満ちたものにしていく。
これがココナラが提供する価値の2つ目です。
最後に。
それでは、そんなココナラでの出品者たちが持っている、その人が人生で得てきた知識・スキル・経験などのストーリーは、誰に届けられるのか。
それは、閉じこもるインターネットの向こう側にいます。
オープンなはずのインターネットが閉じているとはどういうことか。
いま、我々は以前に比べて、情報をfacebook、twitter、googleの検索結果から得ることが多い。
でも、facebookは結局自分の友だちがよいと思った情報だけが流れてくるし、twitterでつきあっているのも気がついたら価値観が同じ人ばかり。
Googleの検索も、検索結果は一人ひとりにカスタマイズされていく。
要は、見たいものだけが見えている。
どんどん付き合う人や価値観は拡がるのではなく閉じていく方向にあるわけです。
言わば、「村社会」ができあがっていく。
Facebookのおかげで、オンラインとオフラインの垣根がなくなって、変な愚痴などは言えなくなってきている。
かといって、匿名でオープンな場で言うと、炎上したり、ググレカスと言われるのが怖い。
つまり、新しい村社会化が再び進んで、しがらみなく誰かに相談したりする場がなくなっていく。
だから、ココナラが必要なんです。
非公開で、しがらみなく、聞ける場所。
これがココナラが提供する3つ目の価値です。
それでは、ここまでの話を振り返ります。
ココナラとは、何か。
ココナラは、一人ひとりが自分のストーリーを生きていく世の中を作る、と言いました。
それは、商いの経験から自分ごとの視点と生きることの手触り感を手に入れること、
そして、ポジティブループに入って、自身の成長を楽しむこと、
最後に、それでも誰もが一人だけでは生きていけない中で、頼れるあの人を手に入れること。
これが、ココナラが考える、「自分のストーリーを生きていく世の中」を作るということです。
たまには、創業時の思いを振り返るって大事ですね。
初心を忘れず、がんばろう、うん。