【他人の色】と私の色

記事
コラム
一言でいうと「自分と他人の個性の違い」を尊重できるようになると、 人生はとても楽に、そして生きやすくなります。 

私達はどうしても「みんなと同じ」とか「自分と同じ考え」を 常識だと思う傾向があります。 

そのため、社会的な少数派であるいわゆる「マイノリティ」に対して 敏感に反応してしまうのです。 

また「自分と違うもの」を排除しようとしたり、攻撃的になることもあります。 これは家庭内で起こることもあるし、国同士の争いになることもあります。 

前回の記事『【他人との摩擦】そもそも前提が違った』に書きましたが、 
自分と他人とでは、生き方や考え方、価値観やモラルなど、 そもそも前提が違うということに気付く必要があります。 



そうでなければ「自分が正しい、自分は常識的だ」という観念が強くなり、 
他の意見を取り入れることができなくなります。 

無意味な反発を覚えてしまうのです。 

これは「自分自身」に対しても同じように考えることができます。 

例えば、会社や組織に馴染めないとか、ルールに従うのが苦痛だとか、 合わない人の意見は聞きたくないなど、「自分の意見だけ」という感覚が 強くなりすぎるとストレスが生まれます。 

こうなると人生が辛くて厳しいものに感じます。 
かつての私がそうでした。

なぜ思い通りにならないのか? 
なぜみんなはもっと助け合わないのか?
なぜ自分にもっと優しくしてくれないのか?

こうなると自分の人生においての、願望達成も難しくなります。 
豊かさや価値の本質が見えなくなります。

「手に入らないもの」を求めてしまうからです。 

そこで見方を変えていきます。 

それが「違いは個性、それでいい」という捉え方です。 

つまり他人の個性や自分との価値観の違いは、「あって当然だ」という態度で生きるのです。 

そのためにも、まずは「すべて認める」という立場をとります。 
社会のルールや相手の意見をまずは認めます。 

次に自分の意見や価値観を認めます。 

その上で「選択」していくのです。 
または「新しい認識」を獲得していきます。 

Aという意見とBという意見がある、では「C」にしてはどうだろうか?と。 

すると、当初は見えなかった新しい形を作っていくことができます。 

これが当たり前になると、もう衝動的な嫌悪感やストレスからは解放されています。 

「意見」と「私という存在」を同一視しないようにするのです。 
そして「相手の意見や価値観」に対しても、その存在を否定しないようにします。

こうなると人生が楽しくなっていきます。 

相手を認めるということは、自分を認めるということだからです。
自分を認めるということは、相手を認めるということだからです。 

意見をぶつけ合って力比べをするのではなく、 認め合って融合させていく力が、私達には備わっています。 

摩擦が解消されるので、人生が楽になります。 
すると「相手に合わせる、譲る」という選択肢も見えるようになります。 

ときには「自分のやり方でやる、相手に理解してもらう」という態度も必要になるかもしれません。 

この場合一旦保留にして、ニュートラルの状態から選んでいるので、 自分の選択を尊重しているという満足感を味わうことができます。 

さらに相手の存在を尊重しているので、その想いが相手に伝わります。 



また自分と相手では、同じものを見て触って、食べて嗅いだりしても全く違った印象を受け取るということを知る必要があります。

そして相手の背景にあるその人の生い立ちや環境などを、 想像したり理解することで、価値観の違いは個性だということに気がつくことができます。 

そのためにも普段から「正しさを求めない」という姿勢が必要です。 
正しさを主張することは、同時に「悪」を生み出すからです。 

A国とB国が利権問題で戦争を始めたら、どちらが正しいと言えるでしょうか? 
どの宗教が正しくて、どの教えが間違っていると言えるでしょうか? 

大事なのは、そのどちらの主張も包み込んで、そこから新しい価値を生み出していくことです。 

そしてすべての人が納得して、すべての人が満足することもないと知ることです。 
求めるゴールはそこではないのです。 

自分の個性や他人の個性を「色」だと思ってみてください。 

例えば私が「赤」で、相手が「青」だとします。 
好き嫌いは当然あるでしょう。 

でも「どちらが素晴らしいか?」という判断はできません。 
その問い自体が間違っています。 

どちらも必要不可欠で、どちらもただの色です。 

それなのに社会を見て「○色は間違っている!許さない!」と声を荒げて自分色に染めようとしてしまうのです。 

この色の違いをすべての人に当てはめてみます。 

人の数だけ違う「色」があるのです。 
同じ色は一つしてありません。 
そこには優劣も存在しません。 

似たような色もあるし、全く違う色もある。 
補色のような関係性もあれば、正反対の性質もある。 

どれも必要で、存在すること自体が奇跡だということです。 

だからこそ私達は、多種多様な人間関係の中で「色々なこと」を体験できるのです。 

これは私達に与えられた財産であり、生きる意味の一つだと思います。

最後になりますが、私は格闘技を見るのが好きです。 

色々な団体の動画などを見ていると、戦う前は選手がお互い憎み合ったり、一方的な主張をすることが多いです。 

「俺のほうが強い、そしてお前はカスだ」と。 

でも実際に戦うと、それは「相手があってこその舞台だ」ということを彼らは全身全霊で感じとり、それを命がけで表現していることになります。 

すると全存在を掛けて相手を倒すためにボコボコに殴り合っているのに、最後は感動してお互いに感謝する場面が多く見られます。 

涙を流して抱き合ったり、深く感謝するのです。

この瞬間にたどり着くまでのドラマを見るのが好きなんです。 

彼らは「自分の色」だけではできなかった表現を「他人の色」を借りて実現させているのです。 

体験しているのです。 

でもこれは実際に交わってみなければ、味わえない領域かもしれません。 
彼らはある意味で命がけでそれを体験し、表現しているのですから。 

自分ではそういった舞台に立つことがないので、私は興味を持ってその世界を見ています。 

それでは最後まで読んでくださりありがとうございました。 

今後も「人生の気付き」をテーマとした記事をお届けしていきたいと思っています。 
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら