【他人との摩擦】そもそも前提が違った

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この記事は、職場や人間関係で摩擦を感じたり、 
フラストレーションで悩む方にお届けしています。

これは以前私が働いていた職場でのことです。
私には部下が2人いました。

と言っても、あくまで年齢や立場上の関係においての部下です。

私がその会社に所属したのが30代後半だったので、自動的に部下となった彼らもそれぞれ30台半ばと20代後半という、すでにお互い経験を重ねてきた環境で出会いました。

また実際の業務も、私が彼らを直接育てたりするのではなく、
それぞれが自分に与えられた役割を担うという関係性でした。

でもたまには同じプロジェクトに一緒に取り組むこともあります。
そういった場合、私がリーダーになったり、主導権を握ることになります。

私は自分の常識や観念に従って、一日の全体の流れをイメージし、
無駄がなく効率の良い方法を考えます。

どうすれば最も効率がよく、なおかつ個々の特徴を活かし、
彼らの経験を深めたり、技術力のアップにつながるかなど、
「成長」を目的とした視点から組み立てていきます。

そして相手も私の提案に従ってくれるので、
全体を見ると仕事の流れは上手く行っているように思えました。

でもこの立場が逆転すると、まったく違う成果を体験します。

つまり部下がプロジェクトの主導権を握っている場合です。
そこに私が応援として参加するケースもありました。

すると、私の仕事に対するイメージとは、全く違った展開を
体験することになります。

例えば、応援で参加している人の手が空いたり(これを「遊ぶ」と言います)、
作業に対する時間配分が予想されていなかったりと、全体で見ると
「応援は必要なかったのでは?」とか、
「順序を変えればもっと早く終わったのでは?」と
思わずにはいられないことが多々ありました。

また、「これじゃあ利益を出すことにはつながらない」とも
感じられたのです。

仕事をしているのだから、利益に目を向けるのは当然のことです。
でも彼らはそこではなく、別の角度から見ていました。

これは何を意味しているのかと言うと、私と彼らとでは、
仕事に対する価値観などの「前提」がそもそも違うということなんです。

私は「効率・利益・時間の有効活用」などを重要視してプランを立てます。

自分が事業を経営していた経験もあるし、前職でもそのように求められたし、
実際に利益や価値を数値化することが当たり前に思っていました。

対して部下たちは目の前の仕事が「とにかく終わればいい」という考え方なのです。
結果的には、どちらの場合も成果は同じように見えます。

でも会社という「法人格」の観点から考えると、その質は全く変わることになります。

彼らは一つのプロジェクトをまずは終わらせて、
時間が余れば次のことを考えるというイメージを持っているのです。

一日の全体の流れを見てはいないのです。
利益や効率を重視してはいないのです。

人員が多ければ遊んでしまうとか、予算だとか、利益だとか、時間配分といった、ある意味で経営者的な視点をまったく持っていないのです。 

これは概念を教えたからといって、いきなり「ハイ、やります」という
わけにもいきません。
そもそもが「なぜ働くのか?」とか、「なぜ会社として事業をやっているのか?」 といった経営哲学や企業理念を理解しなければ、 そう簡単に意識は変わりません。

その上で、やはり「儲ける・効率を上げる」といった前提を持たなければ、
その視点から物事を見ることはできません。

そのためには、予算を知っておくことや、見積もりの段階で
ある程度のプロジェクトの中身を把握しておく必要があります。

また会社にとってプロジェクトというのは、ただこなせばいいというわけではなく、 中身に注目しつつ、全体も見る必要があります。 

人員の配置や人材育成の視点、新しい技術へのチャレンジや 効率を重視した戦略など、プロジェクトそのものより大きな視点で見られるようになると、法人格としての価値も高まります。
その視点がなければ、ただの「労働力」になってしまうからです。

当時の私は、彼らの感覚が理解できなくて、かなりフラストレーションが
溜まっていました。

なぜ?どうして?という疑問や、もっとこうしたらいいのに、という 考えが止まりませんでした。 

その疑問や考えは、そのまま不信感に繋がりました。
そして自分の仕事や会社に対して自信を失っていったのです。

つまり相手(顧客)にとって、また自分にとって
「価値のある企業ではない」と判断するようになったのです。

ここに私の最大の「間違い」がありました。

どういうことかと言うと、先程書いたように、私と彼らとでは
そもそもの前提が違うからです。

私はどちらかというと経営者畑を歩んできたのに対し、
彼らは「労働者畑」で生きてきたのです。

言い換えると、私は仕事に「能動的」なのに対し、
彼らは「受動的」な仕事スタイルだったのです。

私は「仕事とは能動的であること」が当たり前だと思っていたので、
そういった受動的な態度や考え方が理解できませんでした。

いえ、そういった考え方や生き方があることはわかりますが、
仕事においては「成長・進化」を目的として、
価値を高めていくことが必要不可欠だと信じていたのです。

でも彼らが「労働者」としてマンパワーを発揮することは 、
社会にとって「価値ある存在」に他なりません。

また彼らが本当に能動的ではないのかというと、
実際は自分の考えや意見をしっかりと持っています。

ただより大きな枠や違う視点から見た場合に、
「私の考えと違う」ということに過ぎないのです。

この「違い」という部分を無視して、
みんな同じであるべきだとか、
私が正しいとか、それは常識じゃないといった固定観念を持っていると、
当然自分の中に摩擦が生じます。

極端に例えるなら、日本語が通じない外人に、日本語で話しかけて、
「通じない、なぜわからないんだ!」と言っているようなものです。

その場合、言葉を変えたり、伝え方を工夫したり、お互いの個性を
知ることで、歩み寄ったりすることが可能です。

ですが、自分が基準、自分が正しいと思ってしまうと、
自分以外の考えや他者の存在に対して否定的になってしまいます。

これが私が苦しんだ原因でした。
彼らは彼ら
私は私
といった棲み分けをして、お互いの個性を尊重するべきだったのです。

そこに関心を向ければ、余計な心配や悩みを抱くことはなかったでしょう。

「こうするべきだ」という信念が消えるのですから、楽になります。

これらは私がその職場を去ってから気づいたことですが、
自分の中にある「揺るぎない信念や常識」の方に、
摩擦の根本的な原因があったということです。

逆に言うと、摩擦を感じたり問題に思うことがあれば、
その背景には必ず「偏った観念」があるということです。

もちろんそれが間違っているというのではありません。

でも世間や常識といった固定観念というモノサシで世界を測るようになると、
本質が見えなくなるということなんです。

最後はちょっとボカしましたが、引き続きこうした話をお届けしたいと思っています。
ありがとうございました。
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