「やりたいこと」と「才能」。
この2つって、似てるようで全然ちがうんですよね。
「才能がある=うまくいく=自信が持てる」
そう思っていた時期が、私にもありました。
この本にモヤモヤを感じていました、言語化したらこうなりました
🎯【モヤモヤ1】「才能とは、人と比べて優れていること」…
って誰が決めたの?
この本では「才能とは“他人よりもうまくできること”」という定義がベースにあります。
たしかにそれは一つの見方かもしれないけれど、
それって結局「評価軸が他人」なんですよね。
「自分の中で自然とやってしまうこと」
「やってるときに無心になれること」
そういう、“内側から湧き出るもの”こそが才能じゃないの?って思うんです。
🔥【モヤモヤ2】「才能は見つけて活かすもの」って、なんか…義務っぽい?
「せっかく才能があるなら、仕事に活かさなきゃ損」
「得意なことで勝負すべき」
この考え方、めちゃくちゃ“ドーパミン脳”です。
もちろん、活かせたら素晴らしいけど、
無理やり仕事に変えようとすると、一気に苦しくなる。
才能って、活かすことが目的じゃなくて、
**“気づいて、愛してあげること”**が大事なんじゃないかと。
🧩【気づいたこと】才能って、「自信の種」かもしれない
才能とは、自分の中にある“得意の原石”であり、
それを誰かに認めてもらえた瞬間に「自信」になる。
つまり、見つけるだけじゃなくて、
「共感される」「使ってみて、役に立った」があってこそ、
“才能”として自分に定着するんです。
🌱【だから私はこう考える】
「才能は、生かさなくてもいい。気づいて、認めてあげるだけで十分。」
そして、もし誰かに言いたくなったら言えばいいし、
使いたくなったら使えばいい。
でも、それが「義務」になった瞬間に、才能は“呪い”に変わる。
才能は、育てて使うための“道具”じゃなく、
「自分が自分を愛せるきっかけ」だと思うんです。
✨まとめ
「やりたいことがないと不安」
「才能を見つけないと置いていかれそう」
そんな焦りに対して
“答えを出す”ことよりも、“問いに気づく”ことが大切だとわかりました。
誰かのように生きなくていい。
「あなたの好き」を大切にすることが、
それ自体、もう才能だと思うんです😊
ちなみにMyバイブル「3つの幸福」著者樺沢先生はこう仰っています
才能はない
この世に才能は存在しない
才能は成功者に付けた勲章
ピアニストで成功した人
この人にはピアニストの才能があった
じゃあ、バイオリンの才能はなかったのか?
バイオリンの才能はわからない
もしかしたらピアノ以上の才能があったかもしれない
結局やってみないと分からない
成功した後に才能と呼んだ
だから才能ではなく適正とした方がわかりやすい
適性を訓練したから成功した
才能がないとくちにするのはやめた方がいい
自分の適性を探す
適性はその人になにかしらある
適正とは向いている能力
適性を広げて努力や経験を重ねていく
適正=やっていて楽しい事
そう、才能なんてなかったんや😊