「知識を得ること」〜福田流学問のすゝめ〜

記事
コラム
人間、常に学ぶ姿勢というものが必要だ。
本当に向学心のあるひとは知識をかさにきて威張ったりはしないものだ。
人間が知らないことなど、この世界には数え切れないほどあるので、なんでもわかったような気になって、驕ってはいけない。
知識を得ることにおいては謙虚さが必要である。

学ぶことは楽しみだ。
今まで知らなかったことを知るのは楽しい。
知識を得ることは何物にも勝る喜びだし、それは自分の可能性がまたひとつ拡がることでもある。
学ぶことは自身の可能性を拡げていく作業なのだ。

学ぶことは学校で学んだ勉強みたいなものでなくても、なんでもいい。
映画を観まくるのもよし、小説を読み漁るのもまたいい。
それこそ、釣りでもスポーツでも、ゲームについてのことでもいい。

肝心なのは新しいことを学ぶことだ。
今の世の中、何の知識や技能が役に立つかはまったく分からないからだ。
私たちが子供の頃、親に
「ゲームばっかりしてるとロクな大人にならないよ!」
と怒られたものだが、今はeスポーツというものがあり、ゲームをすることが職業になっている。
eスポーツのトッププレイヤーは年間数億円稼ぐ人もいると聞いた。
故人であるうちの爺さん婆さんが聞いたらめちゃめちゃ怒りそうな話だ。

だから、何についても知識を得ていくことが大切なのだ。
一見、役に立たないように思えることが、人生の重要な局面で最大限に活かされたりするものだ。

今日の日本では私たちの周りに情報が嫌というほど溢れている。
それらを取捨選択して、必要だと思える知識を日々取り込んでいけば、だんだん知的な力が付いてくる。

わからないことはネットで検索せずに辞書や本で調べろ、と言っている人がいるが、私はどんどん検索していいと思う。
検索して検索して、徹底的に調べることで完全にそのことについてはなんでも知っているような状態になるのが望ましい。

今どき、辞書や本だけからしか情報を得ない、というのはいかにも非現実的で効率が悪すぎる。
本の情報はすぐに古くなるし、ましてや図書館まで行って調べるなど時間が勿体なさすぎである。

頭も常に柔軟に、既成概念に惑わされず、先入観に囚われないことが大切だ。

若いうちはそんなに知識がなくてもやっていけるのかもしれない。
若くて、かなりなんにもものを知らない人もたくさんいる。
しかし、30代、40代、50代と歳を重ねていった人間がなんにも知らない様は見ていてかなり見苦しい。
そういう人はかなり痛い人になっていることがよくある。

人間は皆、歳を取る。
20代などあっという間、30代はもっと早い。
若いと思っているとあっという間に歳を取り、気が付けば人生の残り時間もあとわずか、ということにもなる。

これは大袈裟に言っている訳ではない。

自分もこの間まで高校生だったような気がするからだ。‪w

少年老い易く学成り難し。

しかし、学ぶことに遅いことはない。
いつからでもひとは学ぶことができるし、自分の可能性は死ぬまで拡げていくことができるのだ。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す