「察する力」「空気を読む」ことが美徳とされる日本ですが、この察する力が、ストレス反応としてネガティブに表れる場合があります。
前回のブログでは、そのストレス反応Fawn(媚び・迎合)について解説しました。
Fawn(媚び・迎合)の反応は「自分が怒られないように」「相手を不機嫌にさせないように」と、察して先回りする生存戦略です。
今回は、その「察する力」を助長する、日本語の構造についてお話ししたいと思います。
厄介な日本語の構造
長期間にわたりハラスメント被害に遭うと、CPTSD(複雑性トラウマ)などの症状が出ることがあります。
これを克服する過程で、非常に厄介な問題が「日本語」の構造上にあることをご存知でしょうか。
その問題とは、日本語の会話は主語がなくても会話が成り立ってしまうということです。
主語のない会話は「察する文化」のある日本では成り立つのですが、ハラスメント被害からの回復を阻害する要因となってしまうのです。
日本語が当たり前の生活をしていると気づかないのですが、この主語のない会話をすることにより、私たちは自然と主語を「察すること」が当たり前になっているのです。
ハイコンテクストとローコンテクスト
日本語はハイコンテクスト文化と言われています。
ハイコンテクストとは、言葉以外の情報(文脈、表情、立場、空気)に多くの意味を持たせる文化です。
つまり、主語がなくても文脈やその場の空気を「察する」ことで会話が成り立っているのです。
伝わらないのは、聞き手の察し不足(聞き手の責任)となります。
一方で、欧米などの言語はローコンテクスト文化です。
これは、言葉そのものに全ての意味を込める文化になります。文章には必ずと言っていいほど主語があり、「誰が」「何を」「どうする」を明確に言語化しないと、意思疎通が成立しません。伝わらないのは、話し手の説明不足(話し手の責任)になるのです。
かつて、私は日英の通訳をしていたことがあります。
特に日本語から英語に訳す際に、日本語には主語がない文章が多く、誰のことを言っているのか、誰が何をしたいのか、誰に何をしてもらいたいのか、その「誰」の部分が誰のことを言っているのかわからず苦労した経験があります。
例えば「It's being done((それは)なされている)」という受動態や、主語のない「Must be handled(対処されるべきだ)」という表現も作ることはできますが、英語では不自然なモヤモヤする表現になります。
「誰が」の部分が文章から欠如しているからです。
一方同じニュアンスの日本語で「ご指摘の件については、適切に対応させていただきます(=私がやるのか、組織がやるのか、誰が責任を持つのか言及しない)」と言った場合は自然な日本語なので、日本人同士の会話では成り立ちます。これを通訳としてローコンテクスト文化圏に伝える時は「誰が?」という部分が不明なので、聞き返す、受動態の文章を作る、もしくは「察する」という選択に迫られます。
そして主語のない表現は、ローコンテクスト文化圏では非常に不自然な会話で、それが意図的に使われる場合は「誰が」の部分を曖昧にする責任回避のテクニックとみなされることがあるのです。
私はそれに気づいてから、日本人同士での会話でも、誰が何をするのか、誰の責任なのか、責任の所在が曖昧なまま物事が進んでしまうことに疑問を持つことが多くなりました。
危険人物の会話の特徴
アメリカ(英語圏)では、その責任回避のテクニック「操作術」は、マニピュレーター(サイコパス、ソシオパス、ナルシストなどの危険人物)の特徴として一般的に知られています。主語のない文章は、彼らが言葉で相手を攻撃するためには欠かせないテクニックなのです。
「誰のこと?」と思わせるテクニック
主語を抜いた文章は、「責任の回避」と「相手のコントロール」という2つの意図が隠されていると言われています。
例えば、危険人物たちが、ターゲット(相手)について「攻撃したい悪い性質」や失敗を語る時、主語を言わずに「……っていうのは本当に最低だよね」「普通、あんなことしないよね」と一般論のように語ります。
このように主語を曖昧にすることで、聞き手に「えっ、私のことかな?」と「察する」ことをさせて、不安や罪悪感を抱かせるのです。もし相手が「私のこと?」と聞き返せば、「自意識過剰じゃない?」「被害妄想だよ」と切り返すための罠なのです。
この「主語のない会話」は、英語圏では危険人物が相手を操作するための会話テクニックとして、広く認知されています。
実際によく巷に出回っている「危険人物を見分ける方法」や「危険人物の特徴」では、「主語のない会話をする」という特徴が挙げられることも多いです。
しかし、日本語という環境下では、危険人物ではなくても普通の会話に主語はありません。危険人物は呼吸をするように自然に、主語を消して責任を回避し、簡単にターゲットに罪悪感を植え付けることができてしまうのです。
英語圏では、主語がない=異常事態。
日本語では、主語がない=日常茶飯事です。
この「文化的な当たり前」の影に、攻撃が巧妙に隠されてしまうのが、日本語の恐ろしさでもあります。
「主語がない」会話で起こる心理的ダメージ
前回のブログでお話しした「察する」ことが仇となり、ハラスメントや毒親の被害に遭われている方もいるかと思います。
しかし、回復している過程でこの日本語の構造上の問題に気づかなければ、再び被害にあってしまうのです。
主語のない話を聞いて「私のことかも?」と察するのが当たり前になっているからです。
しかし、この「脳のクセ」を理解するだけで、自分から主語を補完して(察して)傷ついてしまう負の連鎖を断ち切ることができるのです。
反論したり、聞き返したりしたとしても、
「そんなこと言ってない(お前の名前は出していない)」という言い逃れをされているかもしれませんが、それは単なる危険人物の行動パターンに過ぎません。
これからは、会話の中で主語を「察してしまう」のではなく、意識的に「主語のある文章なのか?」という点に注目してみて下さい。
そしてハラスメント加害者が主語のない会話をしてきたら「また主語のない話をしているな」と頭の中でつぶやいて下さい。
このように、「主語のない会話」を意識することは、危険人物の行動パターンを理解することに繋がります。
行動パターンが理解できると、被害ダメージからの回復が加速します。
もし、主語のない言葉を投げつけられて心がザワついたら、心の中でこう問いかけてみてください。
「その文章の主語は、私ですか?」
その文章に主語がないなら、それはあなたへの言葉ではありません。
モラハラ、パワハラ、毒親、いじめなど、理不尽な状況に耐え続けていると、自分軸を失います。
それは、「人格を否定され続ける」からです。
この状況が続くと、「自分が何を感じ、何を望んでいるのか」さえわからなくなってしまいます。
その失われた自分軸を取り戻す第一歩となるのが、ヒューマンデザインです。
ヒューマンデザインでは、あなたが生まれ持った本来の性質や才能を客観的に知ることができます。
そして、他人の価値観ではなく、自分の価値観、つまり自分の自分軸を理解することができます。