私の人生は、
あの日、いったん終わっていたのかもしれません。
22歳。
事故で生死をさまよい、私は現実とは違う世界に迷い込んでいました。
そこは、どこまでも静かな花畑。
色も音も、すべてが淡くぼやけているのに、なぜか“明確に記憶に残っている”世界。
空は青とも灰色ともつかず、
時間の流れさえ存在しないような感覚でした。
ただ、そこにははっきりと“死”の気配がありました。
ここが、あの世との境界──「三途の川」だと、直感でわかりました。
そして、川の向こう岸に立っていたのは、
和服を着た、一人の人物。
顔は見えません。
でも、不思議と涙が出そうになるほど、懐かしかったのです。
言葉にできない“魂の記憶”が、胸の奥で疼くような感じがして、
私はその人物に向かって、一歩、また一歩と足を進めました。
「もう、ここで終わってもいい」
そんな気持ちさえ、あのときの私にはありました。
でも──
その人が、静かに、確かに言ったのです。
「──お前は、まだ来るな」
音ではないのに、言葉として届いた“声”。
その瞬間、
私の足は止まり、空気が一変しました。
目を覚ました時、私は救急車の中にいました。
サイレンの音と、誰かの叫び声。
今にも揺れそうな世界の中で、私はただ「生きている」ことを感じていました。
その日を境に、
私の中で、何かが変わったのです。
感覚が鋭くなったとか、
幻が見えるようになったとか、
そんな“派手な変化”ではありません。
でも──
「意識を向けた相手の内側に、まるで声のような“何か”が浮かんでくる」
そんな不思議な現象が、少しずつ起き始めたのです。
初めてそれを実感したのは、
事故の数日後、病室で見舞いに来た友人と話していた時でした。
彼女は、私の体を心配しながら明るく笑っていました。
でもふと、「この子、無理してるな」と感じてしまったのです。
その瞬間──
脳内に、まるでささやくような声が浮かびました。
「……本当は、自分が事故に遭ったほうが良かったって思ってる」
ぞっとしました。
でも、それは確かに彼女の“本音”だと直感しました。
声が勝手に流れ込んでくるわけではありません。
“聴こう”“視よう”と意識を向けたときにだけ、
まるで霧の中から、輪郭のある感情が浮かび上がってくるのです。
それは、いわば「人の魂が放つ音」。
本人が言葉にできない想い、理性の奥に隠している本音。
私はそれを、
“声”として「受け取れる」ようになっていました。
父にこの話をすると、
彼は一言だけ、静かに言いました。
「──松果体が、開いたんだな」
第三の目。
多くの祈祷師が生涯かけて開こうとするその場所が、
事故によって突然“覚醒した”というのです。
そしてその後、
これまで一度も使えなかったはずの、我が家の祈祷術も、
私の中で自然と“視えるように、できるように”なっていきました。
長く咲けなかった蕾が、
ようやく、自分の中で花開いたような感覚。
あの声が言った「まだ来るな」の意味が、
ようやく少しだけ、わかった気がしました。
次の記事では──
この“声を視る力”で、最初に私が救ったひとつの恋のお話。
叶うはずがないと言われた恋が、
どうして結ばれていったのか。
そして、私が「恋視祈祷師」として生きる覚悟を決めた出来事について、
綴らせていただきます。
あなたの恋も、まだ終わっていない。
そう信じて、書かせていただきますね。
恋視祈祷師 紫苑