あなたも誰かとの関係で、「なんだか、私だけ軽く見られてる気がする…」って、心がモヤモヤしたことはありませんか。
たとえば、ちゃんと嫌だって伝えても、「でもさ」と流されたり。周りには理解されないような違和感を、ずっと自分の中で飲み込んできた感覚。
僕もこれまで、似たような相談を何度も受けてきました。
今回は「なめられたくない」「対等に扱われたい」という、誰もが一度は抱くこのテーマを、一緒に考えてみたいと思います。
日向さんは、静かに話し始めました。
「相手に嫌だって伝えてるのに、なんか響いてない感じがして…。それでもまた、頼られたり、いじられたり。ちゃんと伝えられてない私が悪いのかな、って思ったりもするんです」
彼女の言葉には、優しさと葛藤、そして諦めきれない想いが混ざっていました。
相手を責めたいわけじゃない。けれど、関係が続くたびに心がすり減っていく。何がいけないのか、自分でも分からなくなってしまった——。
「それって、そもそも“対等”って、どういうことなんでしょうね」と僕は問いかけました。
「対等に扱ってほしい」と願うとき、その定義は人によって全く違う。相手が“対等”のつもりでも、自分はそう感じられないこともある。
「日向さんが思う“対等”って、どういう状態ですか?」
沈黙のあと、日向さんはポツリと答えました。
「…話を遮らないこと。意見をバカにしないこと。嫌だって言ったときに、ちゃんと向き合ってほしいこと、ですかね」
「それ、大事ですね。じゃあ、その“対等”を、紙に書いて相手に伝えるってどう思いますか?」
「文章にするってことですか?」
「うん。言葉って、声にすると揺らぐんです。でも文章なら、あとで何度も読み返せるし、“これは私が大事にしてること”って、きちんと示せる」
「それでも相手が分かってくれなかったら?」
「そのときは、“伝えても伝わらない相手”として見る。それが冷たさじゃなく、自分の心を守るための“距離感”ってことだと思うんです」
日向さんは、少し笑ってこう言いました。
「そっか、私、ちゃんと“伝えよう”としてなかったかもしれない。“わかってくれないだろう”って、どこかで諦めてたのかも」
【3つのポイント】
「対等」の定義を、自分の言葉で書き出してみる
──思い込みや誤解をほどく第一歩は、自分が思う“対等”を言語化することから。
伝わらないと感じたときは、手段を変えてみる
──声ではなく文章で。口頭ではなくLINEや手紙で。伝え方を変えることで、届く想いも変わるかもしれない。
距離を置くことは、冷たさではなく“尊重”の一形態
──近づきすぎて傷つくなら、優しい距離感で関係を守ることも“愛”のかたち。
【僕からの問いかけ】
あなたは誰かに、「ちゃんと対等に扱ってほしい」と思ったことがありますか?
「なめられたくない」「分かってほしい」と願うこと、それは決してワガママじゃない。
今日だけ、自分の中の“ほんとうの気持ち”を、そっと書き出してみませんか。
できることだけ、少しだけでいいから。
(この物語はフィクションを含み、個人情報保護のために内容を一部編集・加工しています)