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中学校の先生の思い出 その5

西塚晃先生(美術)(通称カメさん)宮崎中学校のシンボル的な存在でした。親に先生のことを話す場合、美術の先生というよりも、ブラスバンドの指揮をする先生と言った方が通りはよかったですね。運動会なんかでブラバン部の指揮をする時、前髪をサッと手でかきあげたりする仕草など、実に様になっておりました。歩く時も大げさに手を振って、とにかく元気いっぱいの先生でした。ある試験の日、先生が私のクラスの監督をした時、教室中をぐるぐると歩きながら見回っていたのですが、ふと見ると、曲がる際にピシッピシッとまるでロボットか何かのように直角に進路を変えるのです。私は吹き出したいのを堪えるあまり涙が溢れ、とても試験どころではありませんでした。休み時間になった時に、やはりそのことに気づいたやつが一人いて、そいつと床に転がりながら笑い合ったのを憶えています。
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中学校の先生の思い出 その9

泉しょう子先生(英語)3年生の時に、斉藤けい子先生、雨宮先生と3人で新任として宮崎中にやってきました。先生は斉藤先生とともに、うちの近所に下宿しておりました。最近気づいたのですが、泉先生は「優香」というタレントに顔立ちが似ていて、今で言う癒し系といった趣きでしょうか。前述したように私は、トイレ掃除を悪友のTS君、赤坂原のYK君と3人でやっていて、その監督が泉先生でした。ある日、いつものごとく先生が見回りに来た時に、YK君が何を血迷ったか、出し抜けに先生をトイレの個室に閉じ込め、こともあろうにその扉の上の空間から、クレンザーの粉をパッパとふりかけたと思いきや、唖然とする私らを尻目に、大笑いしながら脱兎のごとく駆け出し、そのまま帰宅してしまったのです。翌日3人は、担任の山田先生から大目玉を食らったのは言うまでもありません。YK君の取った行動は、まあ、親しみを込めた愛情表現だったのではないでしょうか。
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中学校の先生の思い出 その10

斉藤けい子先生(保健体育)あだ名はサイケ。体育の先生らしく、いつもジャージにタイツ姿で忙しく動き回っておりました。やはりというか男まさりのところがあり、可愛らしい顔に似合わずけっこう怒りん坊でした。保健の授業の時、何が原因だったか、西川北のBK君がお目玉をくらったあげく、裸足で校庭を走ってこいと言われたのは凍てつく真冬の日のことでした。外は一面の雪。BK君はおもぬろに靴下を脱ぎ、意を決して「えいや」とばかりに外に飛び出し、走り始めました。ほどなく一周走り終えた彼は必死の形相で教室に飛び込み、何を差しおえても椅子をストーブの前に置いてそれに腰掛け、真っ赤になった両足をそのストーブにかざしたのでした。そして気の毒にも、霜焼けだった彼の両足はますます悪化したという、笑うに笑えない結末を迎えたのでした。
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中学校の先生の思い出 その7

澁谷健一先生(理科)通称シブケン。昭和41年、私が入学した年に宮崎中に赴任してきて野球部の顧問となり、シブケンと呼ばれるようになりました。並み居る個性的な教師の中でもシブケン先生のそれは群を抜き、数々の伝説的なエピソードを産みました。日曜日の部活にはいつも原付バイクでやってきたもので、天気の良い日などはステテコにダボシャツという、まるで寅さんみたいないでたちで現れ、我々を指導したものでした。賀美石中との練習試合でも、やはりその格好でやってきて監督をし、相手チームをビビらせました。そのためかどうか、新人大会準優勝の強豪賀美石中を撃破し、以後我が野球部は連戦連勝の道を歩み始めることとなったのです。いくら日曜日とはいえ、ステテコ姿で学校へ来るなんぞ、今どきそんなことしたら、怖ーいPTAの方々が眉を吊り上げて避難するのでしょうが、当時はそんなことどおってことないことで、まあ、のんびりとした時代だったのでしょう。なお、当時の野球部の名誉のために言っておきますが、だからと言ってレベルが低かったなんてことは全くありません。練習の質、量、厳しさは、はっきり言って今の中学生のずっと上を行っていましたね。
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中学校の先生の思い出 その6

佐藤信悦先生(体育)通称ウマ先生。決してウマ面なんかではなく、背も高くて「いい男」でした。運動能力もかなりのもので、若い頃はさぞモテたであろうと推測されましたね。下小路の住宅に住んでいて、風呂敷に包んだ弁当をぶら下げて学校へ来るものでした。当時冬になると、ストーブの燃えカスを捨てる大きな穴を校庭の隅に掘ってあったのですが、ある日夜になって帰宅する際に信悦先生、何を間違えたのか、その穴に頭から落っこちてしまったんだそうです。翌日、気の毒にも顔中赤チンだらけのものすごい形相で学校に現れ、生徒の失笑をかっておりました。どうも宿直の先生と一杯やって、酔っ払って落っこちたというのがことの真相だったようっです。
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宮崎中学校の先生の思い出 その11

雨宮先生(音楽)まだ20代前半の若さでしかも音楽の教師なんだから、少しはおしゃれをして楚々として居ればいいものを、いつも黒っぽい地味な身なりで、冬なども毛糸の分厚いソックスを膝下まで履き、男みたいに左右に肩を揺すって歩く姿はさながら動物園のたぬきか何かといった趣がありました。そんな先生が、ピアノを弾きながらキレイなソプラノで歌うのは、どうもにわかには信じ難い思いで見ていたものです。先生のは合唱班のことで、例のごとくTS君と2人で先生から逃げ回り、今思えば大変申し訳ないことをしたと、深く反省している次第です。
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