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洞窟の比喩

プラトンの洞窟の比喩。洞窟の中で男が鎖に繋がれ、僅かな明かりに照らされた自分の影に怯えている状況をイデアを説明する比喩として語り継がれている。本物だと思い込んでいるものは幻影だと。それは、太陽の光に照らされた世界ではなく、暗い暗い洞窟の中、限られた範囲しか照らせない蝋燭の火だ。では、どうすればいい?なんとなく、火を消せばいいと思う。そして、暗闇に慣れ親しみ、手探りで洞窟の世界を知ればいい。漆黒の闇が訪れたら、外界の太陽がもたらす光を見つけられるでしょ?とそんなメッセージの気がする。暖炉のそばで瞑想したデカルト。西田幾多郎やモンテスキュー。暗闇はもっと暗くしたほうがいい
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天命について考える。

天命とは?天命(てんめい)とは、天から与えられた命令のことである。 天から人間に与えられた、一生をかけてやり遂げなければならない命令のこと。また、人がこの世に生を授けられる因となった、天からの命令のことである。命数。俺の個人的な感想だけど、使命は人による「やるべきこと」、天命は神様による「やるべきこと」だと思っている。ついでに人生で好きな言葉1位の「至誠」も調べてみた。(;ω;) ちがうちがう、そうじゃない……至誠は、戦中亡くなった西田幾多郎先生の「情熱+使命」の素晴らしい言葉なのだ……許さんぞchatGPT、いや学習元データ!話を戻して、「天命」を語る。人から命じられる使命と、神から命じられる天命、どちらにも言えるが「本人の気持ちはどうでもよい」のである。人を助けなさい。世界を救いなさい。そんなきれいごとを天命と勘違いしている人が多いと思うが、本来は使命感だけではなく、何をやりたいかという情熱も含めなければならないと思っている。「俺の天明はゴミ掃除だ! 一つも残さず駆逐してやる!!」 (ゴシゴシ)このエレンのような青年がいたとして、天命と周囲は認識するだろうか?否!天明や使命は「周囲から見て立派なこと」であることが多い。でも俺は断言する。情熱なくして成功なし。いくら神にアレやれコレやれ言われようが、世間がアレしろコレしろと言われても、本人が楽しく情熱をもって取り組まなければ「続かない」のだ。使命感だけでは飯は食っていけない、いや壊れてしまう。個人的に、あらゆる行動、耐久テストにおいてはその人の器、筋肉や代謝による物質的な負荷だけでなく「メンタル」、気持ちの耐久性も大きく影響が
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至誠(情熱+使命)が業に導く燃料と言う話。西田幾多郎先生は、キリストやブッダに並ぶ3大偉人である

善の研究を読んで欲しい。この方は終戦前に亡くなったのだが、家族や子供、親戚含めて彼よりも先に亡くなって、彼は悲しみのどん底にあった。その状況から哲学、悟りを開いていろんな本を書いた。「個を捨てることで個を得る」 とか 「主観と客観ではない所に空がある」とかとにかく難しい。でもその中で一番好きになった2文字は「至誠(しせい)」である。俺の中でモヤモヤしていた自分を突き動かす燃料、ワクワクをどう表現すればよいか悩んでいた。これが、西田幾多郎先生の本を読んでパズルのピースがパシッ! とハマるように納得したのがこの2文字。この文字自体は、孔子にも出ているのだが、それを西田幾多郎先生は解釈を変えて表現した。情熱と使命。情熱というのは分かりやすい。本人のワクワク、ヤル気、やりがいでありモチベーションである。一方の使命、これは本人が望んだことというよりも、別の誰か、組織による「なすべきことの指令」に近い。だから、本人のワクワクと外部によるやるべきことを1つセットにした言葉は現代の日本語にはないと思っている。でもこの至誠、至(いた)る誠(まこと)と書いてとてもイメージが良く、「しせい」という言葉は「姿勢(しせい)」に近いが、し↓せい↓と下げるので区別ができる。情熱と使命という10文字くらいでも良いが、3文字の至誠の方がマジでしっくりくる。だから自分は善の研究を読んでから、自分が生きる目的や行動の源については「至誠」の一言で済ませている。みなさんは至誠はあるだろうか?情熱は皆さん持っているだろうし、家族のため、自分の生活のために「やらなければならないこと」があるだろう。でも情熱ってそういう利害や
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教養としての近代日本思想⑦:日本独自の思想

西田幾多郎:『善の研究』。西田哲学は日本で最初の独創的な哲学体系とされます。主観と客観を対立的に捉える哲学的立場を批判し、主客未分である純粋経験を考究の出発点としました。そして、自他の人格の根底に働く宇宙の統一力こそが喜びの根本であると考え、真の人格は個人的欲望を超えて他者への愛に喜びを見出すものであると主張しました。人格の実現(至誠)が善ということです。友人に英文『禅と日本文化』で仏教思想を紹介し、『日本的霊性』でわび・さびといった美意識や武士道、茶道、俳句などにも禅の精神が大きく影響していると説いた鈴木大拙(だいせつ)がいます。 主客未分:思索や反省以前の、主観と客観の区別の意識がない状態。 純粋経験:主観と客観が分かれる以前の主客未分の状態における根本的な経験。真実在は、感情や意志を排した知性による認識による抽象的な概念ではなく、全体としての人格の行為的直観によって把握される、知・情・意が一体の純粋経験であるとしました。 「場所」の論理:西田幾多郎は、主観と客観の分化を論理的に基礎づけるため、主客の根底を問い、主観と客観を成立させると同時にそれを包む場としての意識を「場所」と呼びました。これは多数の個(多)と世界(一)の弁証法的統一(絶対矛盾的自己同一)であるとしました。 絶対無:「場所」の根底にあり、有と無の対立を超えて、事物事象そのものを成り立たせているもの。 和辻哲郎:夏目漱石門下にして、ドイツでハイデッガーの実存哲学、フッサールの現象学、ディルタイの解釈学を学び、個人と社会の弁証法的関係を軸とした人間学的倫理学を大成しました。『古寺巡礼』『風土』。 間柄的存在:個
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