天命について考える。

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天命とは?
天命(てんめい)とは、天から与えられた命令のことである。
天から人間に与えられた、一生をかけてやり遂げなければならない命令のこと。また、人がこの世に生を授けられる因となった、天からの命令のことである。命数。

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俺の個人的な感想だけど、使命は人による「やるべきこと」、天命は神様による「やるべきこと」だと思っている。

ついでに人生で好きな言葉1位の「至誠」も調べてみた。


至誠とは?.jpg


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(;ω;) ちがうちがう、そうじゃない……

至誠は、戦中亡くなった西田幾多郎先生の「情熱+使命」の素晴らしい言葉なのだ……許さんぞchatGPT、いや学習元データ!

話を戻して、「天命」を語る。
人から命じられる使命と、神から命じられる天命、どちらにも言えるが「本人の気持ちはどうでもよい」のである。

人を助けなさい。世界を救いなさい。そんなきれいごとを天命と勘違いしている人が多いと思うが、本来は使命感だけではなく、何をやりたいかという情熱も含めなければならないと思っている。

「俺の天明はゴミ掃除だ! 一つも残さず駆逐してやる!!」 (ゴシゴシ)

このエレンのような青年がいたとして、天命と周囲は認識するだろうか?

否!

天明や使命は「周囲から見て立派なこと」であることが多い。



でも俺は断言する。情熱なくして成功なし。

いくら神にアレやれコレやれ言われようが、世間がアレしろコレしろと言われても、本人が楽しく情熱をもって取り組まなければ「続かない」のだ。

使命感だけでは飯は食っていけない、いや壊れてしまう。

個人的に、あらゆる行動、耐久テストにおいてはその人の器、筋肉や代謝による物質的な負荷だけでなく「メンタル」、気持ちの耐久性も大きく影響がでると考えている。

だから、天命使命で大衆が求めて期待していても、本人が退屈でつまらなくて苦痛だと、集中力が切れるし品質も落ちる。

そして天明というのは簡単に成し遂げられるものではない。高いハードルで、本人が全力でやってできるかどうかのレベルだ。

となると、リアルで考えた時には天明という「やれと言われた」事だけでは、人間の器は壊れてしまうか、逃げてしまう。

耐えるためには、心の支え、情熱やモチベーションという使命とは違う本人の気持ちが必要だと考えている。

もちろん、天明を受けて頑張っている人の中には「苦痛でも耐えて続けている人」もいるし、一部は「天命が楽しくて仕方がない人=偶然一致した人」もいる。

天明というスピリチュアルな言葉を使うなら、個人的には「至誠」という使命+情熱を使う

「貴方の天明は、ゴミ拾いです」

と言われて、天明だったらやるかー! となるだろうか?
先ほどのゴミを駆逐したいエレン青年のように、周りの人がやりたくない、ドン引き行動でも「情熱をもって取り組める人」は実は存在する。

それは虫や雑草を好んで食すホモサピさんや、何でも包丁作っちゃう圧倒的不審者の極みさんなどのYoutberがいる。
彼らは天明だろうか? いや、情熱で好きだからやっていて、気づいたら評価されていたのだ。

言いたいのは、天明というそれっぽい言葉だけじゃなく、本人のやりたい情熱、動機が入った「至誠」の方が美しくない? そっち広めない? ということだ。

ゴミ拾いに対して、無性にやりたい、やって気持ち良くてついやりすぎちゃう、そんな情熱を持つ人はごくごく稀に存在する。
そんなゴミ掃除大好き人と、清掃企業がコラボして新しい清掃方法を編み出して、それが世界に広まれば「天命」となる。企業には売上を、彼にはヤリガイと達成感が与えられる。
結果、メディアは彼がゴミ拾いとして天明を全うした! と宣伝する。
彼は、ただ好きなことをで夢中でやって遊んでいただけなのだ。

俺の情熱は「直感がガチ存在して人類の価値になる者だと証明する」のが好きだ。
その途中として、ココナラブログのみげか診断、前世の承認方法、3Dプリンターによるモデル技術、マンガや絵描き能力等の技術を伸ばして広めようとしている。

正直、自分自身の天明というのはわからない。でも直感で、死ぬまでになすべき「至誠」についてはここ5年でずっと受信して確信しているし、変えるつもりはない。
西田幾多郎先生の「善の研究」「至誠」を世に広めて、日本で新しい宗教を再構築して世界に広める

それが、自分の使命であり、なすべき至誠だと思って毎日命を燃やしている。

読者の皆は、何を目標に生きているかな?

天明、至誠について、すこし考えてくれたら嬉しい。
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