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人と比べて落ち込む人、必見!

往診ナース由紀子です♪自己評価<他者評価について日本人は、他人と比べて自分の評価を見誤っている人が多いと感じます。自己評価の低い人が多いし、学校の評価なども他人と比べての評価が多いので、そういう国民性なのかなと思いますが(;^_^A先日、職場でのカンファレンスで、私が患者さんのご家族に行ったことで、みんなから褒められる(?)と言うことがありました。「私は由紀子さんのようにはご家族と関わることができなかったので、すごいと思った。」という内容をみんなが順番に言った(言わされた?)のですが、先導したのがお局パワハラナースでした(;^_^Aお局はすぐに場を取り仕切って、順番に当てて行くので、思い思いに発言しにくい環境を作ってしまいます。みんな、発言しにくい中で、当てられるとどうしても右に倣えの言葉が出てきます。どんなに経験年数が豊富でもそうなるようです(;^_^A私は、カンファレンスとは、みんなが思い思いの学びや感じたことを素直に話して、より適切な改善策を考えたり、情報共有することが目的と思います。「こう考えてこのように関わった結果どうだったか」「前半はこのように関わったけど、こう考えたので後半はこう関わってどう思ったか」などなど他人と比べて自分のできてなさを評価するのではなく、自分軸でどのような試行錯誤をしたのか評価すべきだと思うのですが、パワハラが取り仕切る環境ではみんな思考回路が停止した模様でした・・( ´∀` )自分軸での評価について我が家では我が子にも、その子の軸でしか比べないこと!これは行っていました!他人と比べることは意味がないと、小さいころから当たり前に教えることが大切
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「仕事をがんばっているのに評価されない」と悩んでいる方へ

組織で仕事し、いつしかマネージングする側になった時に、ある部下からこのような質問をされることがあります。「仕事をこれだけがんばっているのに、なぜ同期のAさんより私の評価が低いのでしょうか?」この質問をした部下が仕事に一生懸命に取り組んでいることは知っていましたが、同期のAさんと同じ評価をすることができなかったという話をお伝えしようと思います。会社は何をする場所ですか?あなたはこの質問に対してどのように答えるでしょうか?ほとんどの方はこのように答えると思います。「会社は仕事をする場所です」もちろん、この答えは正解です。では、次の質問はどうでしょうか?「仕事で評価される時はどのような時ですか?」この質問には複数の答えがあることが予想できます。・仕事をがんばった時・誰かの役に立った時・誰かに褒められた時このような答えが予想されますが、これは正解でも不正解でもありません。確かに、「仕事がんばっているよねえ」と同僚や上司から声をかけられることもあると思います。会社の同僚の仕事を手伝ってあげて感謝されることもあるでしょう。単純に顧客からお礼やお褒めの言葉をいただくこともあるでしょう。だから、答えとしては間違ってはいませんが、私があなたの上司だと仮定した場合は、このような答えでは満足できませんし、それらの答えは間違っていると言わざるを得ないのです。なぜなら、会社で評価されるということは、会社の期待に応えることが出来た時だけだからです。会社から何を期待されているのか?この質問にも複数の答えが予想できますが、私があなたの上司だったと仮定した場合の、私が期待する答えは・・・「目標を達成する」これが
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他者からの評価は気にしない

こんばんは。恋愛婚活アドバイザー&カウンセラーのやまだです。自己評価と他者評価には必ずと言っていいほど差があります。「どれぐらいできていると思いますか?」という調査をすると、多くの人が人並みにできているあるいはけっこうできているという自己評価を下すそう(´▽`*)例えば「気を遣う方ですか?」とか「仕事には熱心に取り組んでいますか?」というような問いかけでも同じ。「自信がない」が口癖の人でも、多分上記のような問いをされたら、できていると思うを選ぶのではないでしょうか。少し前に職場で評価シートを渡されました。報連相はできているか、経営理念に沿った振る舞いができているかなど、自己採点して提出したものに上司からの点数が添えられて戻って来たんです。自分ではできているつもりでそう答えた部分に対して、上司の評価は「できている時もあればできていないこともある」だったり(;^_^A私も自己評価の方が少し高かったんですよねー1年前に比べると良い点数をつけてくれていたし、コメント欄には「仕事が早くて確実。信頼できる」と書いてあって。だけどなぜか私はあまり嬉しくなくて。ところでこの白い花、全部同じものですが気づきましたか?すごく大きな木にこんな可憐な花がたくさん咲いていたんですよ(*^-^*)どんな形の花で香りはするのかなどよくわからなかったので、茂みの中を進んで木の下まで行って写真を撮りました。人が他者を評価するってこういうことだと思うんですよね。どこまで近づいてどれほどいろんな部分を見たかによって、あるいは見る人によって評価は分かれるじゃないですか。総合的ではなく印象に残ったことで相手を決めつける
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マズローの5段階欲求説 承認欲求

「保健室まるみ」です。ココナラで電話相談とテキストでの相談をやってます。今日はマズローの5段階欲求説の4段階目「承認欲求」です。「承認欲求」って言葉、最近では日常会話に出てきたりしますよね。承認欲求にはA「他者から価値を認められたい」とB「自分で自分を認めたい」の2つがあるらしいです。でも、日常会話での「承認欲求」はAだけを意味していますよね。Aは「他者からの評価」なので、*評判*信望(信用と人望)*地位や名誉*重視されることそういったものを求める気持ちだと思います。対してBは「自己の自己に対する評価」なんですが、それも承認欲求に含まれるんだー、と私は意外に思いました。*能力への自信*強さや達成(自分は強くなっている、目標を達成できている)*独立や自由(自分の力で生活できている、自分の判断で自由に生きられている)*自尊心とも言える様な気持ちそういったものを求める気持ち。その両方を人は求める様にプログラミングされているんですね。そしてこの承認欲求が満たされると「自分は世の中で役に立つ存在だ」という感情が湧いてくるそうです。確かに。逆に満たされないと、焦燥感や劣等感、無力感などの感情が現れてくるそうです。確かに。この承認欲求。アドラー心理学では、良くないこととされている印象です。そこを書き出すとまた長くなるので、今日はマズローの承認欲求について私の考えを最後に書かせて頂きます。承認欲求が私の中には確実にあって、0にはならないと思っているので、そこは降参しています。褒められたら嬉しいし、褒められなかったら悲しいです。実際他者評価を気にすることによって頑張って来られた事も多いですしね。
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摩擦ゼロの身体 | 「役割の鎖」が、エネルギー枯渇の原因だった

1. 静寂のなかで、はじめて「呼吸」をした鎖を切って、牢獄の外へ出た。 そこで私を待っていたのは、まばゆい光でも、劇的な祝福でもなく、ただ圧倒的なまでの「静寂」だった。これまでの人生、私の頭の中は常にジャラジャラという鎖の音で騒がしかった。 一歩歩こうとするたびに、「あの人はどう思うだろう」「父として、男として、こうあるべきではないか」という鎖が肌に食い込み、地面との間に激しい摩擦を生む。私はその摩擦に抗い、重い鉄の塊を引きずることに、人生のエネルギーのほとんどを使い果たしていたのだ。だが、他者の視線が「幻」だと気づき、鎖を自ら断ち切った瞬間、その騒音は止んだ。 耳鳴りのようなノイズが消え、私は生まれてはじめて、自分自身の呼吸の音を真っ直ぐに聴いたような気がした。2. 摩擦の消失と、軽やかな駆動驚いたのは、その「疲れなさ」だ。かつての私は、何かを成し遂げる前に、すでに消耗しきっていた。それは、他者の期待を先回りしてシミュレーションし、自分を「型」に合わせようとするたびに、内面で激しい摩擦熱が生じていたからだ。いわば、ブレーキを力いっぱい踏みながら、アクセルを全開にしているようなものだった。鎖を捨てたことで、その不毛な摩擦が消えた。 自分の本音と行動が一致し、エネルギーがどこにも引っかかることなく、真っ直ぐにアウトプットへと流れ込んでいく。 朝起きてから、目の前の仕事や、大切にしたい人との時間に注ぎ込む力に、一点の澱みもなくなった。抵抗のない身体が、これほどまでに軽やかに、清々しく動くものなのか。「疲れない」ということは、自分自身のハンドルを、ようやく自分の手に取り戻した証でもあ
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「存在価値」を査定に出してはいけない | 信用を稼ぐ前に、自分という「資本」を定義する技術

その「焦り」の正体は、価値の混同にあります以前、「時間をお金に換算して考えるほど、人の幸福度は下がる」という研究結果をご紹介しました。時間を「時給」という尺度で測り始めた瞬間、ただ空を眺める時間や、子供の寝顔を見守る時間が「生産性のない損失」に見えてしまうからです。実はこれと同じ現象が、私たちの「存在そのもの」に対しても起きてはいないでしょうか。現代社会を生きる私たちは、無意識のうちに自分の「存在価値」を「社会的信用(=換算可能なスコア)」と混同してしまいがちです。自分自身を常にマーケットの査定に出しているような状態では、成果が出ない時期や役割を失った瞬間に、「自分には価値がない」という致命的なバグ(認知の歪み)が発生してしまいます。1. 「存在価値」はインフラ、「社会的信用」はアプリケーションですこの息苦しさから抜け出すためには、両者をロジカルに切り分ける必要があります。存在価値(インフラ): 自分がここに在るという事実そのものです。高度な意識を持ち、世界を観測しているという自然現象の一部。これは、何かを成し遂げたから増えるものでも、失敗したから減るものでもない、絶対的な「資本」と言えます。社会的信用(アプリケーション): 他者との約束、実績、振る舞いによって積み上がる「外部評価」です。これは社会というOSの上で円滑に動くためのツールであり、生存戦略の一環に過ぎません。なぜ、これらを分ける必要があるのでしょうか。それは、アプリケーション(信用)がバグを起こしたり目減りしたりしたときに、インフラ(存在)まで一緒に崩壊させないためです。2. 「換算」がもたらす致命的なエラー存在価
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「安全で不自由な牢獄」を壊した日 | 四肢を縛る鎖を切り、私が手に入れた清々しさ

1. 暗闇に響く、ジャラリという音最近まで、私はよくこんな夢を見ていた。暗闇の中、私の手首と足首には、重く冷たい金属の鎖が食い込んでいる。動こうとすればジャラリと鈍い音が響き、その重みが「お前はここから出られない」と私を縛り付けている。目覚めてもなお、全身には鉛のような疲労感が残っていた。それは単なる夢の後味ではない。現実の世界で、私はこれと同じ鎖を、自分自身の手で何重にも巻き付けていたからだ。「父」として、あるいは「社会人」として。場所や相手に合わせて「ふさわしい顔」を使い分けること。かつて子供の頃に感じていた、自分じゃない自分を演じるあの耐えがたい違和感は、いつの間にか「当たり前」という名の麻酔で消されていた。2. 安全で不自由な牢獄正直に言えば、その場所はとても「安全」だった。役割を演じてさえいれば、誰かに否定されることはない。周囲の期待に応え、承認という名の報酬を得ている限り、自分の価値を疑わずに済むからだ。だが、その安全さと引き換えに、私は「不自由」という膨大な家賃を払い続けていた。常に頭の中では、他者の顔を思い浮かべ、先回りして不安になる「検閲官」がフル稼働している。何十人もの意見を想定し、一歩動くたびに「これは正解か?」と自分を検閲する。その脳内会議だけで、私のエネルギーは行動する前に漏電し、枯渇していた。私は、自分の価値を「他者の評価」という不確実な変動相場に預けきっていたのだ。3. 「このまま死ぬのか」という、静かな恐怖ある時、ふと底知れない恐怖に襲われた。「私は、この役割を演じ切るためだけに、一生を終えるのだろうか」誰かのための正解を積み上げた先に、私自身の
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実力を発揮できない原因は自己認識のギャップにある

「自分自身を実際以上に買いかぶる」「自分自身を実際以下に低く見積もる」これってどっちが自分にとって有害なんでしょうか?多くの人はこのどちらかの傾向がありますが、あなたはどっちでしょうか?そしてそれがこれまでどのような結果をもたらしてきたか考えてみましょう。今日はそんな一日に。正確な自己評価が実力を発揮させる過大評価、過小評価、自分にとってどちらも有害、そしてこれは社会的な損失。本来であれば分相応に強みを発揮し、世の中から求められる存在なのに…。正確な自己評価こそが本来の実力を発揮させる。自分の内面、そして現実と向き合う。シンプルですが、これによって生み出される結果は変わります。自己価値、強みの見える化で認識にギャップに気づく強みを最大限活用する理論、ウェルスダイナミクスの強みの見える化フレームワーク「内的価値」。各カテゴリに自分の強み要素を当てはめていき、最後に採点をします。そして自己評価、他者評価の両方から点数を付けます。この結果は、わたしも含めてほとんどの方が一致しません。自分を過大評価しているのか、あるいは過小評価しているのかが分かります。このギャップを埋めていくことが自己一致に繋がるのです。こちらのサービスで、あなたは自分をどう評価しているかが分かります。
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求められることに応えていたら、自分がわからなくなった

誰かに求められたことを達成するのは、気持ちがいいです。苦労した分だけ達成感があるし、難しいことであれば称賛や評価もついてくる。でも、そのあとに、何故かわからないけれど自分の中に空洞ができることがあります。「それで、私は次に何をすればよろしいでしょうか?」当たり前のように、また誰かの求めていることを自ら伺いにいく。しかも、お伺いをされる方も、する方も、そのやり取りに何の疑いも持たずに会話を続ける。会社でも、家族でも、組織の中では、求められることに応える人の方が「ちゃんとしている」と見なされやすい。期待に応え、役割を果たし、必要とされる。それ自体は悪いことではありません。でも、その枠の中で評価されることに慣れすぎると、与えられた範囲の中で動いているだけなのに、それを自由だと思い込んでしまうことがあります。そうやって年月を重ね、求められることに慣れきってしまうと、いざ「何をしてもいい」と言われた時に、自分が何を求めているのか分からなくなるのです。他人とはあれほど会話してきたのに、自分とはほとんど会話してこなかったから。今思えばそれは、塀の中で与えられた自由を自由そのものだと思っていたようなものだったのかもしれません。私が「塀の中の奴隷みたいだ」と感じたのは、それに気が付いた時でした。気付きを受け取れるタイミングは、人それぞれにあるのだと思います。
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自己アピールに10倍勝る人からの評判

信頼は自分が語るより他人からの評判が10倍。どんなに力強い自己アピールも、他人からの評判には勝てません。そんな価値ある評価は一朝一夕では得られず、日頃からの地道な信頼残高の積み立ての結果です。打算からの関係性ではなかなか。時には損得抜きにして、目の前に人にベストを尽くしてみよう。人からの評判は強みこちらはウェルスダイナミクスの強みを見える化するフレームワーク、内的価値というものです。この5番目(下から数えて)が人格になるんですが、これは「人からの評判」なんです。あなたは人からどのように評価されているのか?先日、こちらのサービスを購入いただきました。購入者の方にきっかけをうかがったところ、私の評価を見て信頼感を感じていただけたということでした。これは本当に嬉しかったです。この人を動かす評価こそ強みです。相手にとってベストの貢献から他人からの評判は、自分にはできないような表現でその良さを伝えてくれることもあります。これがまた嬉しいんですよね。そして、自分では気付かないような良さを拾い上げてくれることも。いずれにしろこれらは、こちらが相手に対してベストを尽くした結果。それがこういった評判に繋がっていきます。こちらのサービスでは、あなたの強みを各要素に分類、見える化します。このなかに今回の評判、「人格」も含まれています。
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思い込み過小評価から目覚めるために

自分の本当の価値が分かった時の自信。それはもう生まれ変わるレベルです。コーチングをやってて自分を過小評価、低く見積もっている人が多いように感じます。そして、それに気付かず自尊心が低い。自分の強みや才能、得意なことを実績から見出すと良いんですよね。誰にでも一つくらい…いやいや、両手の指で足りないほど。仕事の方向性を決める前に自信を得る先日、こちらのサービスをご購入いただきました。このサービスは、独自の強みを見いだし活かし切る理論、ウェルスダイナミクスの自己分析テストとコーチングがセットになっています。今回のご要望は、今後のキャリア、お仕事の方向性を一度見直す機会を、ということでした。バッチリです。コーチングを受けて自分の強みを再確信、自信を得るのでも良いし、そこから新たな方向に舵を切っても良い。いずれにしろ、今後の可能性が切り開かれる機会になれば幸いです。自己分析、強みの棚卸しで自分を再セットアップ自己分析に加えて、実績から強み、得意の棚卸し、整理整頓、取捨選択。そうすることでありのままの等身大、本当の自分が見えてきます。他者からの、また現実的な評価と自己評価のギャップってけっこう消耗するんですよね。強みの確認が迷いを晴らしてくれます。それはもう生まれ変わったかのようです。
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時間(寿命)を無駄にする生き方をしていませんか?

互いに同調圧力をかけ合い、互いの首を絞め合っている  現在のあなたの身の回りの環境は?  「嫌われたくない」という理由や、「みんな我慢している。自分も我慢するべき」といった理由で自分の気持ちを抑えて我慢をする。  互いに「残業するべき」、「みんなに合わせるべき」といった「〇〇するべき」という同調圧力をかけ合っていませんか? 他者評価で生きると辛くなる 「なぜ多くの人は、辛くても我慢し続けるのか?」  それは他者評価で生きているから。  他者からの評価ばかりを気にして自分の気持ちや考えを心の奥底に抑圧し、人の評価に沿った行動を取るために偽りの自分を演じ続ける。  その結果、精神をすり減らし、強いストレスにさらされ続けることになります。 他者に時間を奪われている  他者評価で生きるということは、他者の価値観に合わせて行動しているということ。それは他者の人生をいきていることに他なりません。  わたしは、自分にとって価値のあることに時間を費やすことが、人生にとって最重要なことだと考えています。  なぜなら【時間=寿命】だからです。  もし、あなたの寿命をカウントダウする装置があったとして、自分の人生を視覚化できたとする。どんどん減っていく自分の寿命(時間)を見たとき、それでもあなたは他者評価で生きたいですか?  現実では寿命は目に見えないため、他者からの悪い評価を避けるためにその場しのぎで合わせる。  その場しのぎが続いた結果、他者評価で生きることになる。  その結果、多くの時間を偽りの自分で過ごすという無駄なことに時間を使い、大切な時間(寿命)をどんどん失っていっている。  広く浅い
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緊張しないコツ

人前で話すとき、初対面の人と会うとき、あるいは大事な場面になると急に緊張してしまう。 それは「失敗したらどうしよう」とか「変に思われたくない」という思考が先に立って、自分の内面が揺らいでいるから。 じゃあ、どうすれば緊張しないのか。 答えは「自己評価」と「他者評価」のバランスです。自己評価は“ちょっと高め”くらいがちょうどいい自己評価は、高いほうが緊張しません。 低すぎるより高すぎたほうが良い。自ずと自己肯定感も上がるから ただし他者評価と乖離がありすぎると「ただの変な人」になってしまう。「周りからも一目置かれる変な人」になるためには他者評価との乖離は少なくなければダメ。 アインシュタイン程の「ホントの偉人」以外は基本みんな同じくらいの人生だからどうせ名前なんて後世に残せないし、言うならほぼ何も残らない。 誤差である。 だからわざわざ蔑むことはない。 自分の幸せなことだけを嚙み締めよう。他者評価は“一旦受け取る”でいい深く受け止める必要はない。相手の意図を汲みつつ「一旦は受け取って」置くのだ。 それだけで良い。 そもそも、そんなに気にする必要はない。 あなたことを低く評価している人も、どっかの誰かに最底辺と他者評価をされているかもしれない。 逆にあなたのことを高評価している人もどっかの誰かには低評価されている。 だから、他人の評価は気にすることはない。アインシュタイン程の偉人からの評価以外は誤差である。多面評価でバランスをとる理想的なのは「自己評価100点」に対して「他者評価75点」くらい。 このバランス大事。 自己評価が100点だったら他者評価は75点くらいで良い。 それく
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