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毒親地獄からの脱出方法

➊毒親に主にドンナ虐待を受け続けて居たかを、端的に要約して書き出す。 ➋自身の根幹的トラウマが何だったか、ハッキリと再認識する。 ➌2度と自身を同じ憂き目に遭わせ無いと、固く決意し固く誓う。 ➍同じ、又は似た様な酷い言動の人は、即刻に断固として縁を切る。 ➎毒親育ちで不幸でヒトデナシの人格障害者の自分自身が、絶対に必ず100%自分で自分自身に同じ酷い言動をし続けてシマッテ居るので、即時に改め、再発を警戒し続ける。 常に、最凶の敵に成り得るのは自分自身だし、最強の味方に成れるのも自分自身。 これが「地獄脱出ゲーム」と言う名の人生に陥ってる人、「自分の人生を生きられ無いと言う病」に罹って居る人が、先ず最初に果たさ無ければ成ら無い、最重要の緊急ミッションの1つ。 #毒親 #トラウマ #反面教師 #虐め #虐待 #地獄 #魔境 #決別 #起死回生 #自分の人生を生きられ無いと言う病 #加藤諦三
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自己紹介

はじめに  こんにちは最近、ココナラを積極的に始めた宮川というものです 今回ココナラのサービスの一つであるブログ記事を初めて書いてみようと思い、このようなタイトルでブログ記事を書かせていただいています! 高校の時からの経歴とどんな人間だったかを知っていただければと思います。 高校時代 現在は東京で一人暮らしをしていますが、高校は大阪にある普通科のところに通っていました。趣味の領域でネット関係のことや自作PC制作などを行い、技術を身に着けて皆さんのサポートをできる程度に独学で学んでいった感じです。主に学習方法はYouTubeや両親の知人にネット技術(主にガジェット)に対しての知識に長けた人がいたのでその人から話を聞いたりなど様々なソースを元に自分なりの結果を出して学んでいった感じです。  高校の時より、iPadの学習方法や、生活を豊かにするガジェットとして積極的に紹介するようなブログを書かせていただいたり、他サイトで動画編集の依頼や文字起こし、メルカリなどの販売業務委託等を行っていました!  高校生の自分を年齢の観点を気にせずにそのような経験をさせていただいた、今までのクライアント様たちには大変なありがたく思っている心情です。 現在、ココナラを始めた理由について 現在は東京に上京してきて、大学に通っています。学部でいうと詳しくいうと大学がバレてしまいそうなので言いませんが、人工知能について学ぶ大学に在学しています。  ココナラを新しく始めさせていただいた理由は他サイト(ランサーズやクラウドワークスなど)では主にクライアントさまが企業様や、サービス運営者様が多く、一般の人からの依頼
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教育#いじめ#登校拒否#現在の子供達の様子

小学生・中学生・高校生・専門学校・社会人・現在まで娘の記録😀😉 小学校に入学したてはまだ気になる点はなかった。人間関係が分かり始めるのは担任の先生からだと私は思います。特に女の先生はひいきをする。先生の授業はノルマがあるらしく、すべての子供達に1年間に決まった量の授業をこなさないと行けないと聞いたことがある。早く言うと詰め込み授業。当然落ちこぼれと言われる子もいる。それぞれで理解力があるかの問題だと思います。小学生から塾通いの子は多かったですが、先生に気に入られないと小学生生活は苦しい物です。6年間は大変でしたね~。                                              中学生になってからも小学校の生徒に他の小学生も一緒になる点で悪い事が重なる。 子供同士の話で子供達も傷付く。面白半分で口にした事が後々トラウマになる事も有る。私自身も経験してきたのに大人になると忘れている。子供を持ち育てていると昔の自分が味わったことを思い出す。長女は登校拒否になった。朝起きて登校する時間になるが、靴を履くことが出来ずせかすと靴を履くが家から出ることが出来ない。出来ても一歩なかなか前には進まない。踏み切りで立ち止まることもあった。娘の心叫び声で「お腹が痛いから学校休む」という事が多くなりました。我が家では息子もいじめられました。2歳違いの弟(息子)が精神的追い詰められてトイレに行く事が出来なかった経験がありました。息子も相当辛い思いをしていました。娘の登校拒否になった時は担任の先生に相談に乗ってもらいました。担任の先生と相談の上で朝は私と登校する様にしました。
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中学生の頃の校長室登校

『保健室登校』ではなく『校長室登校』聞いたことありますか。私は中学生の頃一時的にいじめの標的になっていました。家庭にも居場所がなく、学校に行けば聞こえる声で悪口を言われたり、傘を壊されたり。だけど学校を一度でも休んでしまうと、もう二度と登校できなくなってしまうのではないかと必死でした。担任は「虐められる原因を考えてみろ」とだけ。でも聞こえてくる悪口によると原因は‘貧乏だから’というなんとも理不尽なものでした。やがて保健室登校になり、保健室にいてもいじめっ子が誰もいない時に数人で詰め寄ってくるので美術室に逃げ込みました。私は美術部でした。備品倉庫は小さな隔離部屋になっていて、どのクラスも授業で美術室を使わない時間はそこで座って過ごしていました。とある日、美術室に一人でいると校長先生が入ってきました。私の名前を知っていました。「もねさん、今日はここにいたんだね」と、授業に出ていない事を責めることなく優しい口調で声をかけてくれました。当時私は完全に人間不信になっていて声も出ません。すると校長先生は「明日から、校長室にもしよかったら来てください」と。翌日、保健室にいると校長先生が来ました。そして私にこう言いました。「もねさん、校長先生と手紙や絵の交換をしませんか」と。そして便せん二枚の手紙を置いて保健室を出ていきました。その手紙には、私が一人で過ごしていることを見てとても心配している事や、私が美術室で遅くまで油絵を描いている事について、そして辛いときには一人ではないといった内容が書かれていたと思います。校長先生は、私の状況をすでに知っていたのです。家に帰っても辛いことを話せる相手もおら
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私のアパート移住の体験談

私は4回アパートに移住した経験があります。最初にアパートに移住したのは、一浪して、福岡の国立大学に合格して飯塚市に住むことが決まったのが初めてです。そこは、6階くらいのアパートがたくさん並んでいるようなところなのですが1階の端にある場所でした。私は大学生活もなじめず、単位も取り切れずに留年をして、アルバイトでもいじめを受けて、やめることになり大学を中退しました。3年目のシーズンはほとんど家に閉じこもって生活していました。自分は生活力がなくて、すぐにゴミをためてしまうし、服のアイロンがけも苦手でした。布団をすぐに汚してしまい、冷蔵庫の中をすぐに腐らせてしまいました。要するに生活するための基本的な部分がしっかりできていなかったのです。訪問販売の人がやってきて、バカ高い浄水器を売りつけられることもありました。自分は運が悪いのではと思い始めて、姓名判断士を訪問して、名前を占ってもらったりもしました。しかし高いお金をぼったくられて何も改善しませんでした。結局そこに居続けても、前進する気力が萎えてしまっていたのでどうしようもないので親に連絡して帰郷することになりました。
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