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気持ちが落ちたときに大事なこと

過去の自分に思いをはせたり未来の自分を不信に感じたりそんなときって気持ちが落ちますよね。逆もあるかな気持ちが落ちてるから過去や未来に目が向くのかも。こんにちは、サトウナオミです。気持ちが落ちると「あぁこんな自分じゃダメだ」「どうせダメにちがいない」って思ってしまいがちだけど気持ちが落ちていることを理解している時点で素晴らしい!全然ダメじゃない!気持ちって落ちるものなんですよ逆に浮いたりもします。浮上してどこまでも飛んでいけそうな気になったりもしますよね。『♬空も飛べるはず♪』(あっすみません、スピッツを溺愛しているもので あはっ)なので「気持ちは落ちたり上がったりするもの」と認識しておくといいと思います。そうすることで「落ちてる自分はダメ」とか「いつも上昇気流にのるのがイイ」とか【良い悪いのジャッジ】をしなくて済みます。「弱ってるオレなんて・・・」「どうせアタシは・・・」「こんなボクじゃ・・・」そういう自分卑下をしなくて済みます。ねそれでいいんですよ。「あぁ今、落ちてるなぁ」「心、動かないなぁ」「あぁ今、あげあげだわ」「どんどん調子に乗っていけちゃいそう!」そこにイイもワルイもないんです。それだけで安心しませんか?大丈夫!大丈夫なんです。いつだってどんなだって大丈夫。
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白黒はっきりさせようぜ!!は嫌:意識レベル250

意識レベル250は「中立」の領域です。この意識を持っていると白黒つけなくても、空気を読んだり、白黒の中にグレーを見つけることができます。論議の中で、落としどころや妥協点を見つけることができます。ただし、この中立とスピリチュアル系の人でもご存じの『中庸』とはまったく違う在り方です。‥‥‥・*・‥‥‥‥‥‥・*・‥‥‥中庸とは?論語の言葉です。偏らず調和的な関係を重視し、バランスをとることを大切にする思想意識レベル250の中立の最上位が中庸(意識レベル800以上)だと思ってください。個人的には、論語の分野の一つである「中庸」はスピリチュアルでもいわれる「ノン・ジャッジ」や非2元論の領域だと考えています。詳しくはブログ記事もしくはkindle本で記載する予定です。‥‥‥・*・‥‥‥‥‥‥・*・‥‥‥意識レベル250のキーワードは中立・信頼・満足となっています。この領域の課題は、白黒をわけることに対して、中立な立場を取ることができるかどうかとなっています。たとえば、片方に加担してしまうと反対や分裂が生じてしまい、逆に攻撃を受けてしまうことがあります。ここでの大切なポイントは柔軟性となっています。こだわらない、執着しない、思い通りにしようとしないということが課題となってきます。ケースにもよりますが、時として軽く受け流すことも不要な争いを避けるためには必要になることがあります。全く自分に変化する必要があり、「強さ」や「正しさ」、「正義」ではなく、中立・信頼・満足を心がけてみてください。この学びポイントを超えると自ずと本来の意識レベルも高まっていくと考えます。【 意識レベル数値のリンク集 】
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怪談話を聞いて

実体験型の怪談話を聞いたとき思ったことある怪談師のお話で知人の女の人が何か様子が変でとある有名な除霊ができる巫女さんに除霊をしてもらったという内容だったのですがその一連の流れの会話の様子を聞いてて除霊できる人はほんとに強い情けは無用!!とスパンと切れる精神力そして情けに弱いとか完全に感情に身を任すような情緒な人がそういうのに乗ってこられやすいのかなって思いましたちゃんと自分という存在をしっかりもってないと人であれ、目に見えない霊という存在であれ寄りかかられやすいんだろうなぁ、、、そしてやはりこの地球上では生きてる人間が強い存在らしい一番怖いのは “人間だ” は本当なのかもしれないなぁ、、、
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「ジャッジしない」に疲れた人へ - 本当の自分を受け入れる方法

はじめにスピリチュアルな教えのひとつに、「ジャッジしない」という考え方があります。今回はこのことについて、私なりに感じてきたことをお話ししたいと思います。※この記事は、私自身の経験や観察に基づく考察です。「ジャッジしない」という教えの落とし穴スピリチュアルな教えの中には「ジャッジしない」という、善悪や正誤を判断したり、自分や他者を批判することを手放すという考え方があります。しかし、「ジャッジしてはいけない」という思いが強すぎると、自然な感情や直感的な判断までも否定してしまうことがあります。人間の自然な判断機能について私たちの日常を振り返ってみると、実はさまざまな判断をしながら生活していることに気づきます。「この食べ物は美味しい/美味しくない」「この人は信頼できそう/少し注意が必要かも」「この行動は適切/もう少し考えた方が良さそう」これらはすべて一種の「判断」であり、生きていく上で自然に備わった機能です。ジャッジの大小はあれど、人は生きていく上でそれを避けることはできません。なぜなら、選択の判断基準のひとつになるからです。「詐欺をする人とは付き合えない」というのも判断のひとつです。自己一致から自己受容へ「ジャッジしない」に振り回されないために重要なのが「自分に正直になる」ことです。これを心理学では「自己一致」といいます。自分の本当の気持ちと行動が一致している状態のことで、心の中の矛盾が減り、精神的に安定しやすくなります。この「自分に正直になる」プロセスが、ありのままの自分を認める「自己受容」へと繋がります。自分を丸ごと受け入れられると内側が整い、他人と比較して優劣をつける必要がな
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あなたは○○していませんか?

ここ最近、自分の振り返りを行っているのですが・・・。深~く、深~く、今まで掘り下げたことがなかったくらい深~く、覗き込んでみたことで気がついたこともたくさんありました。お陰で、な~んにも出来なくなっちゃってますけどね(苦笑)そういえば、【魔法にかけられて】ですが、相変わらず、毎日観ていて、また、気がついちゃいました!自己肯定感もさることながら、【ジャッジしない】という点においても絶品でした!王子の継母である魔法使いですが、「お前、おかしいぞ!」って言われた時、何て言ったと思います?「あ~ら、意地悪で、執念深いけど、おかしくはないのよ」って、サラッと言ってのけたんです。つ・ま・り、【意地悪で執念深い】っていう自覚があるということ。でも、それを【悪い】ことだとは思ってないんですよ。私たちの中には、【意地悪】とか、【執念深い】って、【悪いこと】というイメージというか、印象というか、ありますよね?だから、たま~に自分の中に見つけちゃったりした時にすっごくイヤ~な気分になったりしませんか?これって、【ジャッジしてる】ことになるんですよね(苦笑)天使も女神もマスターも、神さまでさえ、一切のジャッジはしません。つまり、【判断しない】ってこと。子供の頃から、親や先生等々、周りに居た大人たちから色々な【ジャッジ(判断)】を植え込まれて育ってきたんですよね。【意地悪】も【執念深い】も別に悪くはない。ただ、そうであるというだけのこと。まあ、どちらも愛が動機ではないから、蒔いた種は刈り取るという法則からいけば、良いことは起こらないかもしれないけど、別に、本人がそれで良ければ、良いだけで、悪いことではな
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心が最後まで伴ってこそのコンテンツ

心の世界ではたびたび、ジャッジしないことの大切さが言われる。 それを知ってるはずなのに買った後の、自分たちの思惑に合わない問い合わせには無機質に、杓子定規に規定や条項を持ち出す。 それ、ジャッジでしょ。 最初にジャッジした者がダメってこと。 だからジャッジされるんだよ! 切り替えは大事。 でも志がブレて伝わったら意味ない。 お客さんのためにも。 それには買ってもらう前と後(アフターフォロー)で目的や対応に違いが顕著なのは問題だと思った。 私は商品や提供者への気持ちを心を込めて伝え、もし迷惑ではと思い、問い合せたんだよ? 今回のことで学べたことはある。 でも提供者はコンテンツ自体のほうの価値(商品のメリットについてあんなに強調・教育したんだから)を最後までお客さんに感じさせてあげるべき。 嫌な思いして、そのコンテンツまた思い出して心の支えにしようと思う? 別の学びができたかどうかはこちらが腑に落ちるときがくることであって、提供者はコンテンツに対し何の役割も果たしてない! 企業の思惑通り、すべてシュレッダーにかけ跡形もなくなりました。 …価値提供できてないじゃん! 講座はあくまで、コンテンツをお客さんの人生に活かしてもらうためのもの。 思い出すたび嫌な思いするなら使わないわ、時間もお金も大損よぉ、どうしてくれるぅぅ コンテンツは最後まで心が通ってこそ存在価値があるってことよ。
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