【否定されてもふれあいたい?】
人として最もつらいことの一つ、それは、
「自分の存在を認知されない」ことだと
私は思っている。過去にそれで苦しんだ
こともあり、自分の周辺にいる人の存在
を無視するようなことなど私は許さない。
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「他者の存在を認知している」、つまり、
「あなたがそこにいることを私は知って
います」、という意味の「ストローク」。
この「ストローク」には、身体的(肌の
触れ合い)・非言語的(表情・動作)・
言語的(言葉)の3種類があるが、その
中には、肯定的なもの(撫でる・微笑み
かける・応援する、等)だけではなくて、
否定的なもの(叩く、避ける、叱る、等)
も当然あるが、例え受けた「ストローク」
が否定的なもので心的問題が蓄積しても
「ストローク」への欲求は喪失せず求め
続ける、という「ストロークの法則」が
ある。結局のところ、人は人の中でしか
生きられない生き物であるということだ。
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他者から否定されるのが嫌なら、極論を
言えば、他者と交流しなければいいのだ。
だが、人は一人ではいられないものだし、
どこかで必ず誰かとつながっているもの。
他者から自分の存在を見向きもされない、
それをつらいと思わぬ人がいないだろう。
例え、否定される恐れがあったとしても、
他者との交流は続けたい。それが人間と
いうものだろうと社交性のない私ですら
思う。そして、上手に交流するには私の
カウンセラー仲間が言うように、「来る
ものは選べばいい」のだろうと私は思う。
私自
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