【否定されてもふれあいたい?】

記事
学び
 人として最もつらいことの一つ、それは、
 「自分の存在を認知されない」ことだと
 私は思っている。過去にそれで苦しんだ
 こともあり、自分の周辺にいる人の存在
 を無視するようなことなど私は許さない。
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 「他者の存在を認知している」、つまり、
 「あなたがそこにいることを私は知って
 います」、という意味の「ストローク」。
 この「ストローク」には、身体的(肌の
 触れ合い)・非言語的(表情・動作)・
 言語的(言葉)の3種類があるが、その
 中には、肯定的なもの(撫でる・微笑み
 かける・応援する、等)だけではなくて、
 否定的なもの(叩く、避ける、叱る、等)
 も当然あるが、例え受けた「ストローク」
 が否定的なもので心的問題が蓄積しても
 「ストローク」への欲求は喪失せず求め
 続ける、という「ストロークの法則」が
 ある。結局のところ、人は人の中でしか
 生きられない生き物であるということだ。
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 他者から否定されるのが嫌なら、極論を
 言えば、他者と交流しなければいいのだ。
 だが、人は一人ではいられないものだし、
 どこかで必ず誰かとつながっているもの。
 他者から自分の存在を見向きもされない、
 それをつらいと思わぬ人がいないだろう。
 例え、否定される恐れがあったとしても、
 他者との交流は続けたい。それが人間と
 いうものだろうと社交性のない私ですら
 思う。そして、上手に交流するには私の
 カウンセラー仲間が言うように、「来る
 ものは選べばいい」のだろうと私は思う。
 私自身、「コーピング(ストレスに対処
 するための四つの行動)」の一つである、
 「ストレッサーの除去」として、自身の
 生き方を認めない相手とは距離を置くと
 いう方針を取っている。カウンセラーと
 してはどうかとも思うが、それが人間だ。
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 他者との交流の中で否定的ストロークを
 受ければ、心傷つき精神疲労が蓄積する。
 嘗ての私もそうだった。それでも、私は
 他者との交流を断ちたいと思わなかった。
 寧ろ、他者との交流を求め続け、それが
 ままならないことへのストレスを感じて
 いたくらいだった。社交性がない私でも、
 誰かとLINE交換したり、LINEで
 やり取りをする、それだけのストローク
 でも、相手が今自分の存在を見てくれて
 いる、という事実に胸湧き踊ってしまう。
 そういう時、私は全力で相手と向き合う。
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 「否定されてもふれあいたい?」という
 問いには、「否定されることがあったと
 しても、兎に角、自分の存在を認知され、
 肯定されることも有り得る、と考えると、
 何があってもふれあいたい」と私は言う。
 そして、「なるべく否定されないような
 ふれあいを考える」と付け加えるだろう。
 「来るものは選べばいい」のであるから。
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 メンタルヘルス指導員資格試験の出来は、
 ほぼ完璧で、あとは五日後の結果待ちだ。
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 駄文の御閲覧、心より感謝申し上げます。
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