【カウンセラーとして、息子として】

記事
学び
 カウンセラーが、クライエントの「実現
 傾向(人が、自分の持っている潜在的な
 能力や自分らしさを発揮していく傾向)」
 を解放するために必要とされているのが、
 「3つの治療的パーソナリティ」である。
 ①自己一致(自己概念と有機体的経験の
 一致):自己概念は、自分をどう捉えて
 いるのか、どうあるべきかという自分の
 イメージ、評価であり、有機体的経験は、
 有機体(生き物)として実際に経験して
 いる自分自身で、簡単に言えば、自分の
 思う通りの自分でいることが「自己一致」
 ②無条件の受容(クライエントの経験を
 一切評価せず温かく無条件に受け入れて
 いる態度③共感的理解(クライエントの
 考え方や気持ちを同じように感じながら、
 その話を理解し伝え返す:世界を正確に
 共有し、言語化・象徴化する)がそれだ。
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 「自分自身の考えや気持ちを一旦心の器
 の外に出す」姿勢が「無条件の受容」に
 必要とされるということは先日も述べた。
 心理カウンセラーが、立場上難しいのは、
 友人や家族のように「ああすればいいよ」
 「こうするべきだよ」と個人的な見解で
 断定的なことを言えない、ということだ。
 では、相手が友人や家族であれば個人的
 見解を心置きなく言えるのか?と言えば、
 必ずしもそうではないのではなかろうか。
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 私の母は、現在81歳。以前は、頻繁に
 私の自宅と実家を互いに行き来もしては
 いたが、コロナ禍に加えて、最近、母の
 足腰が急激に弱ってきて、マンションの
 階段の昇り降りもままにならない状態で
 あるため、今は行き来は控え、よほどの
 場合は私が出向くということにしている。
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 過日、「スーパーでの買い物を手伝って
 ほしい」と母から電話があった。食料の
 買い溜めをしたいのだが、大量の食料を
 一人で持ち運ぶのは足腰の状態もあって
 体力的に厳しいから付き添いを頼みたい。
 要するに、荷物持ちに駆り出されたのだ。
 父も手伝いを申し出たらしいが、自転車
 で何往復すればいい、だの、あれこれと
 煩いことを言うのでお断りなんだそうだ。
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 買い物の手伝い自体は一向に構わないが、
 いざ一緒にスーパーに行って困ったのは、
 私から見れば「困った」母の行動の数々。
 魚売り場では、捌いてもらう魚を「ああ
 切って、こう切って」と指でツンツンし、
 店員に「困るんですけど…」と言われて、 
 私が慌てて「これ全部下さい」と言って 
 その場を取り繕い、パックの大豆を買う
 時には、店員が品出しをしていて品物を
 取れなかったので、私は品出しが終わる
 まで待とうとしたのに、邪魔だと言わん
 ばかりに「すみません~」と声をかけた
 ので、「いいから、待ってやれよ!」と
 声を荒げてしまうし、皮付きピーナツを
 買おうとするのはいいが、ちょうどレジ
 待ちの人達が長蛇の列を成している時で、
 「今、ここにいるとレジに並んでいると
 間違えられるから後にしよう」と忠告を
 したのに気にも留めずに買い物を続けて、
 結果、予想通り、何人もの人に「並んで
 ますか?」と聞かれる羽目になったのだ。
 勿論、「いいえ」と対応したのはこの私。
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 私の個人的見解から言えば、母の上記の
 行動は人として有り得ない。だからこそ、
 買い物の最中、母には何度も文句を言い、
 イラ立ちも決して隠そうとはしなかった。
 だが、買い出しに息子の手助けを必要と
 するほど足腰が弱り、現に、スーパーに
 来るのにも、ゆっくりした足取りでしか
 歩けず、待ち合わせの時間に20分以上
 遅れてやっと到着し、買い物もカートや
 杖につかまって、私の補助も受けながら
 している状態(日によって調子の変動が
 あり、この日は最悪であったそうだ)の
 母には、もっと「無条件受容」の姿勢を、
 心理カウンセラーである前に息子として
 持つべきだったと反省しきりな私である。
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 カウンセラーとして、家族として、友人
 として、それぞれの立場としての自分を
 どう使い分けるか、これは難しい問題だ。
 今回の一件で、特に、息子としての親に
 対する無条件受容の難しさを思い知った。
 母からは、「これからも時々頼むわ」と
 言われているので、自分自身の気持ちを
 抑えて母のすることを評価せずに温かく
 無条件に受け入れる姿勢を整えなければ。
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 因みに、今日もまた外科クリニックへの
 通院に付き添うため(治療について説明
 する必要があるので息子さんと来院して、
 という医師からの指示があったらしい)、
 自分自身の通院の予定をキャンセルして
 朝から実家に駆け付け、母の手を引いて
 出かけた。明日はメンタルヘルス指導員
 資格試験があり、本来なら、自身の通院
 にも出たくないくらいだが、長年世話に
 なり、今でも何かと心配や面倒をかけて
 いる母を粗末にしては子としての道義に
 もとるし、真人間ではなくなってしまう。
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 駄文の御閲覧、心より感謝申し上げます。
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