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【情報発信することで豊かになる】

日常的スピリチュアル、安田です。 情報発信というのは 与える歩みであり 投入する歩みになります。 与える、投入する歩みによって 真空をつくることができ その真空は自然に 埋まるようになります。 発信できること 与えられること 投入できることが あるというのは すでに豊かで あるということです。 学んだことや 悟ったことを 発信していくことで より豊かになることができ 発信した通りの感情になります。 成熟した時代に 求められているのは 感情の豊かさなのです。 環境が成熟することで より感情の豊かさを 求めるようになり 感情を豊かにできる人が より豊かになっていきます。 今は本質を求める時代なので 本質的な豊かさを 我知らず求めるようになります。 情報発信というのは 与えるためであり 投入するためであり 気づけるように 悟れるように 導くことなのです。 そして 教育、指導することであり 成長ができるように 導くことでもあります。 自分が学んだこと 悟ったことというのは 自分だけに留めてはいけないのです。 その学びや悟りは 他の人に必要な場合があるので 自分だけに留めてしまうと 与える歩み、投入する歩みが できなくなってしまうのです。 発信力を身につけるには とにかく発信する実践を 続けていくしかないのです。 最初から完全完璧にはできないし どんなに実践しても 完全完璧にはできません。 というより 発信力には答えがありません。 今はどんな形でも 発信できる時代であり 環境は整っています。 発信した情報というのは 資産になっていくので より豊かになっていきます。 人工知能を使って 情報
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【内外のモチベーション】

日常的スピリチュアル、安田です。 モチベーションというのは 主体的に歩める原動力であり モチベーションによって 基準高く歩むことができます。 ただ、常にモチベーションを 維持することはできません。 私たちの感情は 朝夕に変わりやすいので 常にモチベーションを 一定にすることはできないのです。 モチベーションが弱くても やるべきことができていれば 何の問題もありません。 モチベーションの目的は 歩むためであり 努力するためであるので やるべきことが できていればいいのです。 モチベーションが 高くないといけないと 思い込んでいる人がいますが 歩む勢いのために モチベーションが 必要なのであって モチベーションのための モチベーションではないのです。 やるべきことが できているのであれば モチベーションが高い、低いは どうでもいいことなのです。 歩みの原動力というのは より大きな目的を目指すことで 原動力が強化されていきます。 原動力が強化されることで 基準高く歩むことができ よりモチベーションも 上がっていくのです。 今の時代は 自分次元の意識では 歩めなくなっています。 より大きなことを 目指していくことで その基準に合った 歩みができるのです。 基準高く歩める人は 目指していることが 大きいのです。 自分次元の視野で 基準高く歩むことの方が かえって難しいのです。 時代の環境が 成熟しているので より大きなことを 目指していかなければ モチベーションを 上げることができないのです。 より大きなことを目指すのは 自分で決めるしかないのです。 目指すことというのは 主体的に決める
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【完全完璧な準備はできない】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんなに準備をしても 完全完璧な準備はできません。 準備ばかりを意識してしまうと 前に進むことができなくなり 何もできなくなります。 準備というのは 実行するための 準備であって 少しでも実行が できるのであれば 準備ができています。 準備のための 準備ではなく 実行するための 準備であることを 悟ることが必要なのです。 私たちの歩み自体も 完全完璧には歩めないのです。 まして 初めてのことに 挑戦するとしたら 失敗するのは当たり前で 失敗を通して 学ぶことができるのです。 私たちには 「完璧でないといけない」 という教育が 無意識の境地で 根付いています。 「答えは一つだけ」 という教育によって 一つの完全完璧な 答えだけを求めてしまうのです。 その教育の弊害が 今の時代に合わなくなり 前に進む歩みが できなくなっています。 過去の時代では 同じモノを大量生産することが 求められていたので 失敗ばかりをしていたのでは 話しにならなかったので ほぼ完全完璧な歩みが 求められていましたが 今の時代は 経験、体験をしながら 新しい創造をしていくことが 求められています。 経験、体験をするには 実行することが 不可欠なのです。 何も実行しないで 経験、体験を 積むことはできません。 今は過去の時代のように 大量に生産する時代ではなく 一つ一つのことに 集中し、投入しながら 最善を尽くしていく時代なのです。 創造する歩みというのは 投入する歩みであり 投入していくには 勢いも必要なのです。 準備ばかりを 意識している人は 勢い的な歩みが できなくなり
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【成長欲求を満たすことで心霊基準が上がる】

日常的スピリチュアル、安田です。 時代の恩恵によって 心霊基準が上がっていますが その心霊基準に合わせていくことで 時代の恩恵を感じることができます。 心霊基準というのは 霊的に成長することであり より悟りの境地に 至ることをいいます。 心霊基準が低い 幼いことで 無駄な争いが起こり その争いによって 犠牲になる人がいます。 なので 心霊基準が低い、幼いというのは 大きな死活問題でもあるのです。 心霊基準は一人ひとりで 上げていくしかないし 心霊基準を上げるためには 成長欲求を満たすことが必要なのです。 成長欲求は努力をすることで 満たすことができます。 努力をすることで 成長欲求が満たされ 心霊基準が上がるのです。 私たちの成長というのは 自分で努力をしなければ できません。 他の人から学ぶことはできても 自分で努力をしなければ 成長することはできないのです。 例えば いくら泳ぎ方の知識を学んでも 実際に水の中に入って 実践をしなければ 泳げるようにはならないのです。 受け身体質の人は 「誰かが自分を成長させてくれる」と 待ち望んでいますが 誰も成長させてくれないし 成長させてあげられないのです。 全ての人に自己責任があり 自分の成長は 自分で責任を持つしかないのです。 他の人の心霊基準は どうすることもできないのですが 自分の心霊基準を上げる努力は 一人ひとりの自己責任なのです。 どんな人にも 成長欲求があり 満たされることを 願っています。 時代が成熟することで 本質を求めるようになり より成長欲求が強くなります。 成長欲求は努力をすることでしか 満たすことができないので
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【満たしてもらう側ではなく、満たす側になる】

日常的スピリチュアル、安田です。 誰でも満たされることを 願っているのですが 満たしてもらう側ではなく 満たす側になることで 本当の意味で満たされるのです。 宇宙の法則、原理原則は 先に与えることで 真空をつくることができ その真空は自然に 埋まるようになっています。 なので 満たされる側よりも 満たす側になることで より満たされるのです。 情報発信というのは 価値を提供することであり 満たす側になることをいいます。 発信力というのは 満たすために必要なのです。 多くの人は 満たされる側になっていて 満たす側になっていないので 本当の意味で満たされないのです。 今の時代の波動には 受け身でいては 合わせることはできません。 受け身体質でいては 真空をつくることができないし 真空がつくれないと 好循環な歩みができなくなります。 宇宙の法則、原理原則は 非常にシンプルなのです。 先に投入する歩みをすれば 法則、原則通りの歩みができます。 今の時代の環境は 誰でも情報発信ができるので 誰でも満たす側になることができ 満たし、満たされる 好循環をつくることができます。 情報発信に必要なことは 知っていること 悟っていることを 発信するための土台なのです。 「満たすために発信する」という 動機の土台によって 発信する価値が高まるのです。 どんな歩みをしていくにも 土台が必要なのですが 情報発信の土台というのは あり方の土台が 満たす動機になれば 価値の提供ができます。 そして、今の時代で 求められているのは 知識ではなく 悟りの境地なのです。 情報発信をするには 学びが必要なのですが そ
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【嫉妬から悟れること】

日常的スピリチュアル、安田です。 嫉妬というのは されると面倒だし しているとなると みっともなさを感じます。 ですが 嫉妬は感じる境地であるので 我知らず湧き上がってくるので 抑えて感じないようにはできないのです。 感情というのは 無意識に湧き上がってくるので 抑えることはできません。 嫉妬をしているというのは できる可能性があるということです。 全く可能性がないことには 嫉妬することはできないのです。 私たちの感情 感じている境地は 全て知っているのです。 悟りというのは 感じている境地から 悟ることができるので 何を感じているのかを 把握することで 悟りの境地に至れるのです。 人それぞれで 感じている境地が違うので 自分の悟りの境地には 自分しか至れないのです。 究極の理想は 全ての人が悟りの境地に至り 悟った通りの歩みをすることで 全てが調和されるのです。 悟りの境地に至るには 瞑想の習慣が必要なのです。 瞑想というのは ひたすら自分と向き合うことであり 自分と向き合うことで 感じている境地の把握ができ 感じている境地を 言語化していくことで 悟りの境地に至れるのです。 言語化ができなければ 実行することができないので 悟りには至れないのです。 現代人は知っていることは 多いのですが 悟っていないので 葛藤が多いのです。 何も知らなければ 悟っていなくても そう葛藤することは 少ないのですが 知っていることが できないことに 葛藤しているのです。 現実的に 悟りの境地に至れないと だんだん苦しい時代になります。 なぜなら 答えがない時代であるので 自分で答えを見い出すこ
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【今、できることを見失わない】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちは、今の瞬間にしか 歩めないのです。 過去に戻って 未来にワープして 歩むことはできません。 今の瞬間にしか 努力ができないので 今、できることを 見失ってはいけないのです。 全ての瞬間に 気を張ることはできないのですが 今できることを明確にすることで できることを見失わないのです。 努力というのは 積み重ねていかなければ 意味がありません。 一時的、一定期間だけでは 積み重ねる歩みはできないのです。 現実的な歩みというのは 同じようなことの 繰り返しであるので 流されやすくなり マンネリ化しやすくなり 惰性的になりやすいのですが 常に投入する歩みをすることで 新鮮に歩み続けることが できるようになります。 投入する歩みというのは 上限がないような 歩みのことをいいます。 時間があれば いくらでもできるような 歩みをしていくことで より投入することができます。 より投入するには 発想と創造が必要なのです。 いくらでも 発想することができれば いくらでも 創造することができ より投入することが できるようになります。 上限がある歩みでは 投入する歩みができません。 誰がやっても 同じ結果であること 同じ結果でないといけないことには より投入することはできないのです。 努力というのは 同じことの繰り返しなのですが 積み重ねることができるので より投入することができるのです。 基本的な努力である 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動は 積み重ねることができます。 すぐに効果、結果は 出て来ないのですが 着実に積み上げていくことで 変化していくこと
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【試されていることに感謝する】

日常的スピリチュアル、安田です。 誰でも試練は避けたいのですが 否応なしに与えられる試練があり 避けることができないことがあります。 自業自得のようなことでも 全ての原因ではないのです。 私たちの小さなことが 全ての原因であるとしたら 常に気を張りながら 生きていくしかないのです。 実際は、起こる出来事の 根本的な原因というのは 分からないのです。 分からないことは いくら考えても分からないので 与えられることを 受け入れるしかないのです。 試練というと 嫌気を感じてしまうので 訓練として捉えてください。 訓練というのは 鍛えるために必要なのです。 試しというのは 必要なことなので 与えられています。 ただ、いつ必要性が 感じられるのかは分かりません。 今与えられていることは 1年後のためなのか 3年後のためなのか 5年後のためなのか あるいは、10年後 20年後のためなのかは 分からないということです。 今の訓練が いつのためなのかは 分からないので 長期視点が必要なのです。 常に、今から 最低10年後を意識することで 長期視点での歩みができるのです。 試されていることに 感謝をするというのは 必要なことが与えられていることに 感謝をするということです。 自分次元では 何が必要なのかは 分からないのです。 私たちは 自分の都合を基準にして 必要なことを 求めてしまうのですが 自分次元の意識では 視野が狭くなってしまうのです。 使命が大きい人には それ相応の訓練が必要なので 試しの基準も高いのです。 他の人、周りの人と比べてしまうと 「何で自分ばかりが  こんな経験をするのか」
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【満たされることを求める】

日常的スピリチュアル、安田です。 どんな人でも 満たされていれば 与えることができるし 投入することができます。 私たちの根底の願いは 満たされることであり 満たされていることを 感じることなのです。 満たされていることを 感じることで 歩む原動力が 強くなります。 満たされることを 求めていくのですが 外に求めてはいけないのです。 自分で自分を満たすことを 求めていくことで 常に満たされている状態を 保っていけるのです。 自分で自分を満たせる人は 他の人から満たされることを 求めなくて済むのです。 大抵、人間関係の悪化は 互いに満たされることを 求めてしまうからなのです。 お互いに「くれ、くれ」と 求めているので 関係が悪化するのです。 自分で自分を満たすというのは 成長欲求を満たすことをいいます。 努力をして 成長欲求が満たされていれば それ以上のことを 求めなくなります。 常に受け身でいる人は 自分から主体的に 努力することができないので 満たすことができないのです。 多くの人は 外からの満たしを 求めているのですが 外からの刺激というのは 長くは続かないし 一時的で、一瞬の満たししか 感じられないのです。 自分で自分を満たすことは いつでも、どこでも どんな環境でもできます。 今まで、努力をすることで 満たされるということが 分からなかったのです。 努力をすることは 苦痛だと思い込んできたので 無意識に、反射的に 努力することを避けてきたのです。 私たちの根底の欲求は 成長欲求を満たすことであり 貢献欲求を満たすことなのです。 この欲求を基準にしていくことで 満たすため
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【マイペースで基準を上げる】

日常的スピリチュアル、安田です。 マイペースというのは ゆっくり、のんびり 歩むことではなく 基準を上げ続ける ことをいいます。 基準というのは 自分のペースで歩まないと 上げることができないのです。 自分よりも 基準高く歩んでいる人と 共に歩めれば 良い影響を受けることができ 基準高く歩めるのですが 一人になったときに その基準を持続できるかなのです。 影響を受けることは 必要なのですが 影響を受け続けることは 現実的に無理なのです。 一人でも基準を 持続できるようになれば 基準を上げ続けることが できるようになります。 マイペースを極めることで 歩む基準を上げ続けることができ より投入する歩みができます。 マイペースで歩める人は 自分の成長段階に合わせた 歩みができるのです。 成長段階に合わせて 負荷をかけることができ 「ちょっと無理をする」という 歩みができるようになります。 成長というのは 現実の歩み、日常の歩みの中で 成されていくのです。 現実の環境の中で 流されていては 成長はできないのです。 毎日の歩みというのは 基本的には同じようなことの 繰り返しになるので マンネリ化しやすいし 惰性的になりやすいのですが より投入する意識で歩むことで 成長につながる歩みができます。 これからより マイペースで歩むことが 求められてきます。 一人でも歩める 努力ができれば 成長ができるのです。 マイペースで歩むには 工夫が必要なのです。 マイペースで歩める環境をつくり 整えていくことで 歩みやすくなります。 現実の環境は マイペースで歩める 環境にはなっていないので 工夫が必要
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【日常の中で成長ができる】

日常的スピリチュアル、安田です。 日常の歩みの積み重ねによって 成長ができるのですが 日常の環境は流されやすいのです。 成長には積み重ねが必要であり 何かを一気にやっても 一気に成長はできないのです。 どんな人の環境でも 流されやすい環境であり いくらでも妥協できるし 妥協しても 誰も何も文句を言いません。 努力の積み重ねは 日常の中でしか できないのです。 そして、努力は 一人一人の自己責任であり その自己責任には誰も 干渉することはありません。 日常の中で成長するには 感情を流さない意識が必要なのです。 感情を流してしまうと 気が抜けたような感覚になり 集中できなくなり 投入できなくなります。 一人で歩んでいれば 感情を流しようがないのですが 他の誰かといたり 歩んだりしていると 感情を流しやすくなります。 感情が流されている感覚は 誰でも分かる感覚なのですが 流されている自覚がないと どこまでも流されてしまうのです。 常に気を張る歩みはできないのですが 感情を流すのであれば やるべきことをやってから 流していけばいいのです。 心理的なバランスも必要なので 常に気を張らないことも必要です。 私たちの歩みを妨げるのは 環境ではなく、感情なのです。 環境の制限があったとしても 与えられた環境の中で 最善を尽くせばいいのですが 感情の不安定さによって 努力ができなくなるのです。 できること やるべきことが できなくなるのは 感情の問題なのです。 感情の不安定さは どうにもできないのですが どんな感情であっても やるべきことが できていればいいのです。 常にヤル気があって モチベー
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【メリハリを極める】

日常的スピリチュアル、安田です。 メリハリというのは やるときとやらないときを 極端にすることをいいます。 やるときは集中して、投入し やらないときは 全く何もしないことで メリハリをつけることができます。 人の集中力の持続は 30分から40分で 3分から5分の休憩が必要です。 効率的に歩むには このサイクルがいいのですが 休憩のときは何もしないことが ポイントなのです。 何もしないことで 集中力を維持させることが できるのです。 どんなに集中力がある人でも 一日中、集中することはできません。 メリハリを極めていくことで 集中したいときに 集中することができます。 投入する歩みをしていくには 集中力が必要なのです。 集中するには メリハリが必要なので メリハリを意識した歩みが 必要なのです。 今までの時代は 時間を基準にして 歩んできたのですが これからの時代は 集中を基準にして 歩むようになります。 なぜなら 効率的に歩むことが 求められてくるからです。 集中することができれば 投入することができるので いかに集中するかが 問われていくのです。 多くの人が、無意識に 集中力を求めているのは 時代の変化を感じているからなのです。 何もしない時間というのは 意図的に意識しないと つくれないのです。 私たちの無意識は 常に何かをしていないと 落ち着かないのです。 何もしない時間に 苦痛を感じてしまうので 意図的な意識が必要なのです。 何もしない時間は 瞑想をすれば 何もできなくなります。 目を閉じていれば 何もしようがないので 自然に何もできなくなります。 私たちは 集中することを
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【行き詰まりを感じるほどに投入する】

日常的スピリチュアル、安田です。 投入する基準を上げていくことで 限界を感じることができ 限界を感じることで 転換ができるようになります。 限界まで歩む 投入するというのは 簡単ではないのですが 転換するためには 生みの苦しみが必要なので 行き詰まりを感じるくらいの 投入が必要なのです。 私たちの無意識は 現状を維持しようとしてしまい 居心地の良さを持続させようとします。 ですが 宇宙の法則、原理原則は ありとあらゆるものは 変化し続けるようになっています。 循環というのは 変化を前提にしているので 常に変化していないと 循環ができなくなるのです。 私たちの歩みに 投入が必要なのは 宇宙の法則、原理原則に 合わせるために必要なのです。 そして、成長するため 成長欲求を満たすために 投入する歩みが必要なのです。 行き詰まりを感じるくらいに より投入することができれば そこから新しい段階の 転換ができるのです。 多くの人が 転換することを 願ってはいるのですが 実際は生みの苦しみを 感じるほどの投入が必要なので 転換することを挫折してしまうのです。 そこまでの苦しみを感じてまで 転換したいとは思わないので 転換する努力ができなくなってしまうのです。 ですが、時代が転換されているので その時代の中で生きている私たちは 否応なしに転換するしかないのです。 環境的に追い込まれることで 行き詰まりを感じるか 自分で自分を追い込んで 行き詰まりを感じるかなのです。 現実的に、現状維持は できなくなります。 一気に崩されることもあるので 現実の環境に、執着することが できなくなることもあります
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【直感的な情報発信】

日常的スピリチュアル、安田です。 情報発信を続けることが 大変に感じている人が 多いのですが 直感的な情報発信が できるようになれば 無数に、無限に 発信し続けることができます。 今の時代の情報発信は 感じている境地 悟りの境地の 発信が求められています。 知識は無数、無限にあるので いくらでも調べることが できるのですが 感じている境地 悟りの境地は 一人ひとりで違うのです。 その感じている境地 悟りの境地を 言語化することで 気づきや悟りを 与えることができるのです。 今の時代に 求められているのは 悟りの境地なのです。 他の人と同じことを 教えるにしても 角度を変えながら教えることで 新しい気づきや 悟りに導けるのです。 無限に知識が 公開されていても 学ぶことを求めるのは 悟りを求めているからなのです。 悟りを提供するためには 無意識の境地からの 情報発信が必要なのです。 知識を学ぶことは 必要なのですが 学んで感じたこと 気づいたこと、悟ったことを 情報発信することで 価値提供の歩みができます。 「自分が感じていることは  大したことではない」と 考えてしまう人がいますが 自分が感じている境地は 自分だけのものではないのです。 他の人に気づきや 悟りを与えるために 感じていることなので 自分で勝手に留めてはいけないのです。 情報発信は より大きな目的のために 発信することなのです。 その動機、目的があれば いくらでも発信することができます。 発信するネタがないことを 心配するのではなく 動機、目的が明確になっていないことに 気づくことが必要なのです。 知識を学んで 知
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【努力ができるようになる原動力】

日常的スピリチュアル、安田です。 本心基準では 努力は快感であるのですが 本能基準では 苦痛になってしまうのです。 努力ができるようになるには 本心基準の掘り起こしが必要なのです 本心基準の掘り起こしが 好奇心の強さであり 好奇心によって努力が したくなるのです。 努力は、義務、強制では 続けられなくなります。 なぜなら 意図的にしなければ できないことだからです。 頑張ることは 仕組みができていれば 義務、強制でもできるのですが 努力は主体的に決めなければ できないことなのです。 主体的に決められる力が 好奇心からの原動力なのです。 努力ができる、続けられる人は 好奇心が強いのです。 好奇心からの欲求が強いので 無意識に努力ができるのです。 最初は意図的に やっていたことでも 続けていくことで 無意識にできるようになり より投入することによって 好奇心が目覚めてくるのです。 好奇心を目覚めさせることで 歩みの原動力が強くなり 良い意味で誰にも止められなくなります。 基準高く歩むことが 求められているので より好奇心からの 原動力の強さが 求められてきます。 基準高く歩み続けるには 原動力の強さが必要なのです。 原動力の強さによって 霊力が強化されていき 霊的に満たされた状態で 歩むことができるのです。 今の時代の私たちは 現実の環境の中で 霊的に満たされることで 基準高く歩めるのです。 現実の環境というのは ありとあらゆる方面からの 誘惑があるので 流されやすいのですが 流された状態では 努力を積み重ねる 歩みはできません。 霊的な基準を上げる 環境というのは いくらでもあり
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【高い基準の波動を意識する】

日常的スピリチュアル、安田です。 高い基準の波動というのは 投入する波動であり 投入することで 波動の基準が上がります。 今の時代の波動は 奪おうとすると奪われる 波動になっています。 他の人を蹴落としたり ライバル視すると 波動が下がるのです。 波動を上げていくには 常に真空をつくるくらいの 投入する歩みをしていくことで 波動を上げ続けることができます。 投入する歩みというのは 宇宙の法則に合わせた歩みなので どんなに時代が変化しても 変わらないのです。 逆に奪おうとするのは 宇宙の法則に反することなので 長くは続かないし 奪うことで 奪われてしまうのです。 このシンプルな法則は 誰でも、何となくでも 知っていることなのですが 今までの歴史が 奪い合いの歴史であったので 奪わないと損をするような 錯覚をしていたのです。 なので、いつの時代の人でも 損を避けて、得することだけを 無意識に考えてきたのです。 奪いも、投入も いつ実るのかが 分からないのです。 奪ったことが 自分の代で報いに なることもあれば 子孫、後孫に 報いを残して しまうこともあります。 逆に投入したことも 自分の代で実ることもあれば 子孫、後孫に実ることもあります。 いつどのように 報いるのか、実るのかが 分からないのです。 今の私たちの現実というのは 先祖の報いもあれば 功労もあります。 あるいは 歴史的な報いもあれば 功労もあるのです。 表面的に捉えてしまうと 全てが自業自得に なってしまうのですが どんなに努力をしても どうにもできないこともあります。 どうにもできなくても 努力を続けていくことで 未
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【一つのことを極めることが個性発揮になる】

日常的スピリチュアル、安田です。 一つのことを極めることで 個性発揮に連結されていきます。 今の時代は 器用に多くのことが できる必要はないのです。 一つのことしかできない 不器用さによって 一つのことを極めることが できるようになるのです。 「器用だね」と言われるよりは 「不器用だね」と言われることが 褒め言葉になるのです。 一つのことしか できないというのは 一つのことに集中 投入ができるということです。 集中も、投入も 多ければ多いほど 分散してしまうのです。 極論、一つのことであれば 一つのことに100パーセントの 投入ができるということです。 2つのことであれば 50パーセントずつになり 3つのことであれば 33パーセントずつの 投入になります。 もし、10個であれば 10パーセントずつになり 100個であれば 1パーセントずつの 投入になるということです。 もちろん、キッチリと 分散されているのではないのですが やることが多いと それだけ分散されやすいのです。 極める歩みをしていくには 集中と投入が必要なのです。 集中、投入するには 時間が必要なのですが 時間は1日24時間という 枠が決まっています。 そして 空間の制限もあるので 今いる場所でしか 歩めないということです。 私たちは、頭では無限のことを 考えることができるのですが 現実的には一つのことしかできないし 大したことはできません。 どんなに器用に歩めても 同時並行的には歩めないので 中途半端な器用さによって 意識が燦爛としてしまうのです。 極めることを意識することで 一つのことに集中し 投入することができ
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【比較することでメンタルが病む】

日常的スピリチュアル、安田です。 メンタルが病む原因は 他の人と比較して しまうからなのです。 とくに今の時代は 個性を発揮する時代なので 比較をしてしまうと よりメンタルが 病みやすくなるのです。 個性の発揮に必要なのは 良い意味での我が道を行くことで 個性発揮ができるのです。 個性発揮に集中し 投入していれば 他のことが見えなくなるので 比較できなくなるのです。 視野を大きくすることは 必要なのですが 他の人と比べてはいけないのです。 なぜなら 個性が違うからです。 個性だけではなく 使命も違うし 背景も違うし 才能、能力も違うので 比べようがないのです。 比べようがないことを 勝手に比べて 勝手に落ち込んで 勝手にメンタルが 病んでしまうのです。 私たちは 常に比べられてきたので 無意識に比べてしまう 癖ができています。 普段は、他人には 興味関心が無いのに 比べることに関しては 興味関心をもってしまうのです。 他の人と比べないことで メンタルが保てるようになり 個性発揮に集中することができ 投入することができるのです。 比べない歩みをするには 比べていることの 自覚が必要なのです。 無意識に、反射的に 比べてしまうので 自覚をする意識が 必要なのです。 意識と自覚が できるようになれば 比べることの無意味さを 感じることができ 比べない歩みが できるようになります。 個性の発揮というのは 唯一無二のことを 発揮するということです。 唯一無二のことを 発揮することが 価値創造の歩みになるのです。 価値というのは 希少性なのですが 全ての人に 希少性を生み出す力が あるとい
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【目標が必要な理由】

日常的スピリチュアル、安田です。 向かうべき方向を定めるためには 目標が必要なのです。 あるいは 何かを目指すためにも 目標がなければ 目指しようがないのです。 ただ、目標を自然に立てれる人もいれば 目標を立てることができない人もいます。 目指すことを 明確にしてしまうと プレッシャーを感じたり 恐怖を感じてしまうことがあります。 目標の明確さが 必要であることは 何となくでも分かるのですが 明確にしたくない 心理もあるのです。 目標が必要なのは 投入する決意をするために必要なのです。 目標を達成するためには 投入する歩みが必要なので どれだけの投入をするかの 目標でもあるのです。 目標が大きければ大きいほど より投入することが必要なのです。 小さな目標であれば 大した投入は必要ないのですが 目指すことが大きければ 目指すことと一致した 投入が必要なのです。 結果はコントロールが できないのですが 投入する歩みは コントロールができます。 目標が無くて 何も目指すことが無くて 投入する歩みをすることはできません。 投入する歩みというのは より基準を立てる歩みなので 目標、目指すことがなければ 歩み続けることはできません。 高い目標を立てることで 今の自分の基準を低さを 自覚することができるのです。 今の基準では 実現できないことを 感じていくことで 基準を上げる意識が できるようになるのです。 目標、目指すことを 大きくしていくことで 目標、目指すことに 合わせる歩みができるのです。 歩みの基準は 一気に上げることは できませんが 目指している基準に 合わせようとしていくことで
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【コントロールができないことは与えられている】

日常的スピリチュアル、安田です。 コントロールが できないことというのは 自分の力では どうにもできないことをいいます。 自分の力では どうにもできないことは 与えられていることなのです。 与えられていることは 必要なことなのです。 必要なことというのは 自分次元の基準では 分からないのです。 物事を 「与えられている」という 観点から見ていくことで 自分次元を越えた意識が できるようになるのです。 時間、空間の制限から 逃れることができない私たちには 大したことはできないのです。 どんなに限界まで 最善を尽くしたとしても できることは たかが知れているのです。 なので ほとんどは与えられていることであり 必要なことが与えられているのです。 何に必要なのかは 分からないのですが 成長につながることが 与えられているのです。 成長過程は 一人一人で違い 成長ができる時期も 違うのです。 与えられた環境の中で 最善を尽くしていくことで 成長ができるのですが 自分ではどうすることもできない 時期があるのです。 その時期は じっと耐えながら 時を待つしかないのです。 コントロールができないことを 無理にコントロールしようとしても 消耗するだけなのです。 消耗する歩みばかりをしてしまうと 建設することができなくなり 心霊が枯れていくのです。 常に調子よく歩むことは できないのですが 消耗しないように 工夫をしていくことは 必要なのです。 私たちができることは 基本的な努力だけなのです。 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動を続けることしか できないのです。 基本的な努力に 最善を尽くしなが
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【潜在意識の願い】

日常的スピリチュアル、安田です。 潜在意識が願っていることは より大きな目的のために歩むことです。 なぜなら、潜在意識は 宇宙の法則、原理原則を 知っているので より大きな目的のために歩むことで 原則的な歩みができることを 知っているからです。 より大きな目的のために 歩むというのは 歩む動機を 明確にするということです。 現実の歩みというのは 目の前のことしかできないので 大したことはできません。 ごく小さな歩みしか できないのですが 歩む動機が より大きな目的のためであれば より投入する歩みが できるようになります。 目の前の小さな歩みと より大きな目的が一致していることを 感じることで 潜在意識の願いのままに 歩むことができます。 歩む動機を明確にすることは 面倒に感じるのですが 歩む動機によって 歩む原動力の基準が 決まるのです。 基準高く歩むためには 歩む動機の大きさが 必要なのです。 潜在意識は より基準高く歩むことを 願っているので より大きな目的のために 歩むことを願っています。 自分次元の願いのためでは 歩む動機が弱いのです。 過去の時代は 自分次元の願いでも 歩むことができたのですが 今の成熟時代は より大きな目的を 目指していかないと 時代の波動に合わせることが できなくなります。 潜在意識は 時代の波動を 知っているのです。 潜在意識のままに 歩んでいけば 時代の波動に合わせる歩みが できるのです。 今の時代は 直感や感じるままに 歩んでいくことで 時代の波動に 合わせることができます。 感じていることを基準に 歩んでいくというのは 本心基準で歩むことを
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【心霊が満たされる歩みをする】

日常的スピリチュアル、安田です。 心霊基準が上がる歩みをすることで 心霊が満たされていきます。 心霊基準は 基本的な努力である 学ぶこと 実行すること 瞑想、運動を 続けていくことで 上げることができます。 何をするにしても 基本的な努力が必要なのですが 基本的な努力ができている人 続けている人は少ないのです。 心霊というのは 自分で自分を満たすことをいいます。 成長欲求を満たすことで 心霊が満たされるのです。 今の時代は 努力をしなければ 満たされないのです。 心霊というのは 内的な欲求なので 外的なモノでは 満たすことができないのです。 内的な欲求を 外的なモノで満たそうとすると より空しさを感じてしまうのです。 今の成熟時代は 心霊を満たす時代なのです。 心霊が満たされることを 我知らず求めるようになるのです。 努力をして 成長している実感ができれば 成長欲求を満たすことができ 心霊を満たすことができます。 心霊は自分から主体的に 努力をすることで 満たすことができるのです。 努力というのは 強制されてすることではなく 自分から主体的に 決めることなのです。 自分で決めたことであれば 続けることができるのです。 義務、強制が 通用しない時代になることで より主体的に決めて 歩むことが求められてきます。 主体的に決めるために 主体力が必要なのですが 主体力は基本的な努力を 続けていくことで 育てることができます。 今は受け身で待っている 時代ではないのです。 受け身で待っていても 誰も何も与えてくれません。 自分から主体的に歩むことで 今の時代の波動に合わせることが できる
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【問題意識から価値が生み出される】

日常的スピリチュアル、安田です。 「問題がある」というと あまり良い印象ではないのですが 問題がなければ 答えはないのです。 答えを見い出すには 問題が必要なのです。 問題は問題意識を持たないと 明確にすることはできないのです。 現実の世の中は 問題だらけなのですが 問題が多いので 創造力の発揮が しやすいのです。 ただ問題は多いのですが 問題意識が持てる人が少ないのです。 問題があることを ネガティブに捉えてしまうので 問題意識を反射的に 避けてしまうのです。 答えを見い出すには 問題が必要なのです。 そして 新しい価値を創造するにも 問題が必要なのです。 創造には目的があるのです。 何かを得たい 感じたいので 創造したくなるのです。 創造力というのは 「何かを創造しないといけない」という 義務感的なことではなく 「創造したい」という 自然な発露によって 創造力の発揮ができるのです。 問題があるというのは 創造力の発揮の チャンスでもあるのです。 問題意識が強い人は 創造力の発揮が しやすいのです。 問題意識を持つためには 問題点を意図的に探す 意識が必要なのです。 ある意味、批判的な人は 問題点を無意識に探して 明確にできるのです。 大した問題でもないことを 大きくしてしまうのですが 問題意識があるので 常に批判することができるのです。 問題は無数にあるので いちいち反応していたら 身が持たなくなるのですが 問題意識は必要なのです。 そして、問題意識は 他の人に当てはめるのではなく 自分ができることに 当てはめてください。 問題を自分ができることに 当てはめることで 創造力
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【情報収集よりも悟りを求める】

日常的スピリチュアル、安田です。 情報は無限に増え続けているので 情報収集は切りがないのです。 学ぶこと 学び続けることは 必要なのですが 学びを通して どう悟るかなのです。 覚える 暗記する学びではなく 悟る学びによって 深い境地で学ぶことが できるのです。 情報収集の罠に嵌ってしまうと 切りがなく情報ばかりを集めてしまい 情報を集めれば集めるほど 不安を感じてしまうのです。 多くの人は 「自分だけが知らないのでは・・・」と 勝手に思い込んでいますが どんな人でも 知っていることよりも 知らないことの方が 圧倒的に多いのです。 そして 自分が知らないところで 何かをしていると 気になってしまうのです。 何となく置いてけぼりに されていることを感じ 不安を感じてしまうのです。 他の人が知っていることを 自分が知らないとなると 不安に感じてしまうのですが 知る必要がないことは 知らなくてもいいのです。 必要なことでも 認識できない場合があるので 認識できる時までは 学び続けるしかないのです。 認識というのは 悟りの始まりでもあります。 深く悟るためには まず、認識することが 必要なのです。 多くの情報を収集しても 悟れるとは限らないのです。 同じようなことを 学び続けることで 認識することができ 悟ることができるのです。 時代の流れを 知るための情報は 必要なのですが 自分の専門分野の知識を 深く学んで 深く悟ることで 学習力を 強化させることが できるようになります。 自分の専門分野を 磨いていきながら 光らせることを 意識してください。 どんなに多くの情報収集をしても 自分の
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【霊力を投入する教育】

日常的スピリチュアル、安田です。 教育をされる人は 受け身側になりますが 教育をする人は 与える側になります。 教育をする人は 与えているのであり 投入しているのですが 今の時代の教育は 知識だけの教育ではなく 霊力を与える教育が 求められています。 霊力というのは 感じさせる力であり 感じることができる 力のことをいいます。 霊力を与える 投入といっても 今の基準で 与えられること 投入できることを 提供していけばいいのです。 今できることを 精一杯にできれば 霊力を与えることができ 投入することができます。 そして 霊力を投入する教育は 霊的に拡大されていくのです。 どんな分野の教育であっても 霊力を投入することができ 霊力を投入することで その分野の教育を 拡大させることができるのです。 表面的な知識だけを教える教育は 終わったのです。 なぜなら、表面的な知識は 専門家が公開しているので 知識だけであれば 誰でも簡単に学ぶことができ 知ることができるのです。 これからの時代に必要なのは 「霊性教育」なのですが 霊性教育というのは 霊的世界の教育と 霊力を強化させる 教育でもあるのです。 霊力を強化させることで 霊的に振り回されなくなり 現実の環境の影響も 受けなくなります。 とくに混沌としている時期は 振り回されないために 霊力が必要なのです。 霊力の強化は 瞑想の習慣と 徹底的な学びで 強化させることが できるようになります。 霊力を強化させることで 霊力を与える教育 霊力を投入する教育が できるようになります。 教育というのは 与えることであり 投入することなのです。
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【真空状態とは?】

日常的スピリチュアル、安田です。 真空状態は 投入することで つくることができるのですが 感覚的なことであり 感じることなのです。 真空状態は見えないのですが 感じることができれば 投入する歩みが できているということです。 投入する歩みというのは 出し切って、やり切っている 状態のことをいいます。 どんな歩みをしていても 真空状態をつくることが できていれば 何の心配もする 必要がないのです。 なぜなら 宇宙の法則の通りに 歩んでいるからです。 ただ、真空は自然に 埋まるようになるのですが いつ埋まるのかは 分からないのです。 いつ埋まるか分からないことに 投入し続ける歩みをしていくことで 不安を感じることもありますが 宇宙の法則を信じて 歩み続けていけば 本当の意味で 宇宙の法則を感じることが できるようになります。 私たちができることは 投入していくことだけなのです。 現実の知識や技能の基準が どうであるかではなく 投入していくことで 宇宙の法則の通りに 歩むことができるのです。 真空状態をつくる意識をして 投入することができていれば 何の負債も無い 歩みができているので あとは真空が埋まるのを 待っていればいいのです。 負債が無い歩みというのは 完全完璧な歩みでなくてもいいのです。 結果が願うように 出ていなくても 負債が無い歩みが できていれば 何の問題もありません。 流されるように 生きている人は 何となく負債があるのです。 やろうと思えば できることが できていないので 負債を感じるのです。 その負債が
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【注意コントロール力】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちは常に緊張していて 常に全てのことに 注意を向けることはできません。 注意のコントロールというのは 注意を向けることを選べる力のことをいいます。 注意すべきことに注意し 都合がいいことに注意を向ける 力のことをいうのです。 何に注意を向けるのかは 人それぞれで違いますが 注意を向けることに 集中し、投入することが できるのです。 とくに混沌している時期が 意識が燦爛としているので 意識のコントロールが しにくくなっています。 これは自分の思いだけではなく 集合的無意識の影響もあるので 我知らず意識が燦爛とし 混沌としてくるのです。 これは時代が大きく変わる 前触れであるので 混沌さ、燦爛さを 大きく感じている人ほど 転換ができるのです。 なのでより 注意コントロール力が 必要になっていきます。 集中したいこと 投入したいことに 注意を向けることで 現実の中で 日常の中で やるべきことが できるようになります。 混沌さや燦爛さは 集合的無意識の影響であり 霊的な影響でもあるのです。 その影響によって 振り回されてはいけないので 霊力の強化が必要なのです。 このような時期だからこそ 霊力を身につけるために より学び より実行して より瞑想をして 集中し 投入することが 必要なのです。 ある意味 霊的な攻撃を 最も受けやすいのが 今の時期なのです。 とくに使命がある人は より内的な試練が大きくなります。 この内的な試練は 自分で越えていくしかないので 霊力の強化が必要なのです。 私たちの
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【エネルギーを創造する】

安田です。 エネルギーの創造というのは 教育というエネルギーを 創造するということです。 教育というのは 単に何かを教えるだけではなく 未来を創造する エネルギーがあります。 「総教育時代」というのは 全ての分野の教育をしていく 時代なのですが 今までの各分野の再創造や 新しい分野の創造をすることで エネルギーを 増やすことができます。 エネルギーを創造するには まず自分のエネルギーを 投入することから始まります。 創造には投入が必要なので 出し切る、やり切ることで 投入することができるのです。 今は中途半端に 歩む時代ではなく 投入し切る歩みが 求められています。 どんな分野であっても 中途半端な歩みでは 何事も成すことはできません。 それこそ 本気になって 真剣になって 全てを投入し切る歩みをしないと 中途半端な歩みになってしまい 何も創造することが できないのです。 自分のエネルギーを どこに投入するのかを 選ばないと 無駄なことに エネルギーを 消耗させてしまい 肝心なことに 投入することが できなくなります。 エネルギーが無限であれば いくらでも投入し続けることができますが 私たちのエネルギーは有限なので 何に投入するのかを 選ばないといけないのです。 人にしかできないことしか できなくなることで より投入する歩みが 求められてきます。 ある意味 真剣にやるか やらないか 本気でやるか やらないかに 二極化されていきます。 中途半端なことが できなくなるのです。 何をするにしても 中途半端な人は 何も極め
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【未来から見る時間管理】

安田です。 時間というのは 休むことなく 進み続けるので 管理しにくいのですが 未来から見ることで 今の瞬間に投入することができ 時間管理ができるようになります。 多くの人の 時間の感覚は 過去から現在に至り 未来に向かうような 感覚なのですが 時間の流れは 未来から現在に至り 過去に流れていきます。 つまり 過去、現在、未来ではなく 未来、現在、過去という 流れになります。 この時間感覚によって 未来に実らせたいことを 今投入することができるのです。 未来から見ることで 今までがどうであったか 過去がどうであったかは 全く関係がないということです。 私たちは未来に向かって 歩んでいるのです。 今投入していることは 未来に実らせるために 投入しているのです。 過去ばかりを意識してしまうと 未来を意識することが できなくなります。 未来に実らせることを 意識することで 今の目の前のことに 集中することができ 投入することができます。 過ぎ去った過去というのは 良くも悪くもどうにもできません。 どうにもできないことに 意識を向けるのは それこそ時間の無駄なのです。 ただ私たちには 記憶があるので 無意識に過去を 思い出してしまうのです。 未来に向かいたくても 無意識に過去を思い出し 過去を引きずってしまうことがあります。 記憶というのは 生きていれば 常につくられていきます。 その記憶を整理していかないと 記憶に振り回されてしまい 未来に向かうことが できなくなるのです。 過去の記憶を 整理していくのが 瞑想の習慣なのです。
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