【試されていることに感謝する】
記事
学び
日常的スピリチュアル、安田です。
誰でも試練は避けたいのですが
否応なしに与えられる試練があり
避けることができないことがあります。
自業自得のようなことでも
全ての原因ではないのです。
私たちの小さなことが
全ての原因であるとしたら
常に気を張りながら
生きていくしかないのです。
実際は、起こる出来事の
根本的な原因というのは
分からないのです。
分からないことは
いくら考えても分からないので
与えられることを
受け入れるしかないのです。
試練というと
嫌気を感じてしまうので
訓練として捉えてください。
訓練というのは
鍛えるために必要なのです。
試しというのは
必要なことなので
与えられています。
ただ、いつ必要性が
感じられるのかは分かりません。
今与えられていることは
1年後のためなのか
3年後のためなのか
5年後のためなのか
あるいは、10年後
20年後のためなのかは
分からないということです。
今の訓練が
いつのためなのかは
分からないので
長期視点が必要なのです。
常に、今から
最低10年後を意識することで
長期視点での歩みができるのです。
試されていることに
感謝をするというのは
必要なことが与えられていることに
感謝をするということです。
自分次元では
何が必要なのかは
分からないのです。
私たちは
自分の都合を基準にして
必要なことを
求めてしまうのですが
自分次元の意識では
視野が狭くなってしまうのです。
使命が大きい人には
それ相応の訓練が必要なので
試しの基準も高いのです。
他の人、周りの人と比べてしまうと
「何で自分ばかりが
こんな経験をするのか」と
嘆きたくなりますが
使命の違いがあるので
仕方がないのです。
良い意味で
諦めるしかないし
使命の違いを悟ることで
他の人と比べることの
無意味さが感じられます。
試練と捉えてしまうと
感謝ができなくなるので
訓練が与えられていると
捉えてください。
訓練によって
鍛えることができ
鍛えることで
使命が全うできるのです。
否応なしに与えられることは
避けることができないことがありますが
与えられる試しよりも基準高く歩むことで
試しが小さく感じられるのです。
苦しいことは
与えられるとなると
より苦しく感じるので
自分から主体的に
訓練していけば
与えられることが
小さく見えるのです。
試しが与えられる前に
基準高く歩んでしまえば
大したことではないと
感じることができます。
自分で自分に
負荷をかけるのであれば
何の理不尽さも感じないし
自分のペースで
基準を上げることが
できるようになります。
与えられる試しに
感謝をしていくには
精神的な余裕が必要なのです。
感謝ができる人には
精神的な余裕があります。
精神的な余裕を感じるためには
負荷をかけた努力が必要なのです。
限界基準まで歩んだ
実績を積み重ねることで
精神的な余裕ができ
どんなことが与えられても
平常心で歩むことができます。
試しが与えられると
大騒ぎしてしまうのは
余裕がないからなのです。
精神的な余裕があれば
「どうしようかな」と
軽く考えることができ
できることに
最善を尽くせるのです。
転換時代は、何が起こるか
分からないのですが
与えられることは
必要なことだということを
漠然とでも信じてください。
与えられる試しに
感謝できる余裕があれば
やるべきことに集中し
投入することができます。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌