自分の感覚に従う
わたしが最初に自分の感覚を信じたのは小学生のころでした。当時、悩みが多かった母親は、救いを求め、とある宗教に入信しました。そして、兄弟の中でなぜかわたしだけ毎週のように集会に連れていかれていました。そのころは深く考えることもなく親についていっていただけだったのですが、親はわたしがとても信心深い子どもだと思って、すぐに家庭教師をつけました。つまり、宣教師がわたしの家に来て神様の教えを説いてくれるということです。わたしは特に拒否はしませんでした。好きでもなかったのですが、嫌いでもなかったからです。教えにきてくれたのは温和で、優しい若い男の先生でした。先生は家に来ると、さっそく、さし絵がついたテキストをみせてくれました。そのさし絵には、自然豊かな楽園で人々が楽しそうにピクニックをしている光景が映っていました。先生は言いました。「どう?神の国に入ったらこんな風に素晴らしい楽園で毎日生活できるんだよ。」それは素晴らしい、とわたしも思いました。しかし、その楽園に入るには神を信じなければならない、と先生は言いました。そこでわたしは「信じれば誰でも入れるのですか?」と聞くと「いや、コップに水がいっぱいになったら注ぐを止めるように、楽園に行ける人数も限られているのです。だから一生懸命神様の勉強をしなければならないのです」その時わたしは心のなかで「そんなの絶対おかしい!」と思いました。それじゃあ神を信じていてもあぶれる人が出てくるってことじゃないか!!でも内気なわたしは先生に向かって「それは違うと思います」とは言えずに、トイレに行ってくるといって外に飛び出しました。それから何度か宣教師の先生は家に
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