◆「標準的な人の感じ方」は、いったい誰が決めているのか
橋本愛さんと佐藤二朗さんが共演したドラマをめぐるハラスメント報道をきっかけに、こんな疑問を持った人は少なくないはずです。
「顎に少し触れた程度でセクハラと言われたら、男性は怖くて仕事も生活もできなくなるのではないか」
「俳優として夫婦役を引き受けたのだから、この程度は仕事の範囲内では」。
こうした疑問の行き着く先には、もっと根本的な問いがあります。
「標準的な人の感じ方」を基準にすると言うが、
その"標準"はいったい誰が、何を根拠に決めているのか、という問いです。
この記事では、この問いに正面から答えます。読み終える頃には、「標準」が特定の誰かの主観や好みで恣意的に決まっているわけではない、という仕組みが見えてくるはずです。
結論から言うと、「標準的な人の感じ方」は、会社の一存でも、被害を訴えた本人の主観だけでも決まりません。会社内部の調査、労働局によるあっせん・調停、そして最終的には裁判所が積み重ねてきた判例、という複数の層によって形成される、動的な基準です。
なぜそう言えるのか、順を追って説明します。
◆結論:基準を決めるのは「一人」ではなく「重なり合う仕組み」
セクシュアルハラスメントは、法律・指針上、次のように定義されています。
「職場において行われる労働者の意に反する性的な言動」により、対応によって労働条件に不利益を受ける(対価型)、又は就業環境が害される(環境型)
「意に反するかどうか」の出発点は本人の受け止めです。
ただし
「就業環境が害される」と言えるかどうかは、本人がどう感じたかに加えて、客観的に見て「就業する上で看過できない程度の支障」があるかという客観的要素も必要になります。
この「客観的に見て」の部分、つまり"標準的な人ならどう感じるか"を、実際に判断しているのは次の3つの層です。
①会社・組織内部の一次判断(人事部門、外部弁護士による調査など)
②行政による紛争解決援助(労働局によるあっせん・調停)
③裁判所による司法判断(労働審判・民事訴訟で積み重ねられる判例)
つまり「標準」は、特定の一人が思いつきで決めるものではなく、この3層が積み重なって形作られていく、動的な基準です。
なぜこの重層構造が必要なのか、次の章で見ていきます。
◆なぜ「誰か一人」に決めさせないのか
もし「標準的な人の感じ方」を会社の担当者一人の主観で決めてよいなら、その担当者の個人的な価値観次第で結論が変わってしまいます。
逆に、
被害を訴えた本人の主観だけで決まるなら、
「本人が嫌だと言えば何でも成立する」ことになり、
行為者側は何が許されるのか予測できなくなります。
「本人がそう感じたらすべてセクハラとして直ちに懲戒対象」ではない一方で、
「本人がそう感じていても標準人なら気にしないはずだから無視してよい」という考え方も認められない、というのはこのためです。
そこで実務上、"標準"は次のようなプロセスで具体化されていきます。
会社内部では、
人事部門や、より客観性を担保するために外部の弁護士・第三者委員会が調査を行い、
言動の内容・回数・継続性、職場での地位・関係性、他の従業員への影響などの事実を積み上げて評価します。
この段階で会社側の結論に納得できない場合、
労働者は労働局の紛争解決援助制度を使い、
専門家を交えたあっせん・調停で改めて評価してもらうことができます。
それでも解決しない場合は、
最終的に裁判所に判断が委ねられます。
裁判所が使う"標準"は、恣意的な個人の感覚ではなく、
過去の判例の蓄積によって形成された「同種の立場に置かれた労働者であれば通常どう受け止めるか」という基準です。
ここでいう「同種の立場」とは、
最も敏感な人でも、最も鈍感な人でもなく、
同じような状況・関係性に置かれた一般的な労働者を想定するものです。
この「最も敏感でも最も鈍感でもない」という設計そのものが、
「本人が過剰に反応しただけでは成立しない」という歯止めと、
「本人が我慢していただけでは免罪符にならない」という歯止めの、
両方を同時に満たす仕組みになっています。
ここまでの仕組みを踏まえたうえで、
「男性は怖くて生活できなくなるのではないか」という懸念について
考えてみましょう。
◆「男は怖くて生活できない」という懸念にどう答えるか
この懸念は、セクハラ・パワハラの基準が拡大しすぎることへの実務上・学術上の議論の中でも、実際に指摘されてきたものです。
「主観を重視しすぎると、行為者側が萎縮し、正常な業務上のコミュニケーションまで委縮してしまうのではないか」という懸念は、決して的外れではありません。
だからこそ、判断の後半に「客観的に見て看過できない程度の支障があるか」という客観的要素が置かれています。
この要素があることで、「本人が不快に感じた」という事実だけでは足りず、
同じ立場の標準的な労働者であれば同様に感じるかどうか、という歯止めがかかります。
つまり「男性は怖くて生活できない」という懸念自体が、まさにこの客観的要素を判断枠組みに組み込む理由になっている、とも言えます。
基準は「本人の主観の暴走」も「行為者側の言い分の一方的な採用」も、どちらも防ぐように設計されているのです。
◆話題の事例に当てはめると:今、どの層で判断が動いているのか
橋本愛さんと佐藤二朗さんが共演したドラマの一件では、今まさに前述の3層のうち最初の層が動いた状態にあります。
フジテレビは外部弁護士による調査という形で、会社内部における客観的な検証を行い、「深刻なハラスメント」と認定したと公表しています。
これは、会社の一存でも本人の主観だけでもなく、
外部の専門家を交えた一次的な"標準"の当てはめです。
一方で、佐藤さん側の事務所はこの認定を否定しています。
この対立が今後どう決着するかは、労働局のあっせんや裁判所による判断に進むかどうかを含め、まだ確定していません。
つまり、「標準的な人の感じ方」がこの事例において最終的にどう確定するかは、現時点では複数の層のうちどこまで進むか次第、ということになります。
◆まとめ:判断基準をチェックリストで整理する
ここまでの内容を、実際に使えるチェックリストとして整理します。
□本人が「意に反する」と感じているか(主観の起点)
□会社内部の調査・第三者委員会は、その言動をどう評価しているか
□労働局のあっせん・調停、または裁判例に照らすとどう評価されるか
□判断の対象は「最も敏感な人」でも「最も鈍感な人」でもなく、同種の立場に置かれた標準的な労働者であるか
□行為者側の萎縮を防ぐためにも、客観的要素(内容・回数・継続性・地位関係)が具体的に検証されているか
「標準」は誰か一人の感覚ではなく、
この重層的なプロセスを経て形成される、という点を押さえておくと、
個別の事例に振り回されずに考えられるようになります。
◆最後に
「標準的な人の感じ方」という言葉だけを聞くと、誰かが恣意的に決めているように感じるかもしれません。
しかし実際には、
会社内部の調査、行政のあっせん、裁判所の判例という複数の層が重なり合い、最も敏感でも最も鈍感でもない「同種の立場に置かれた労働者」という基準を作り上げています。
この仕組みを理解しておくことが、個別の事例の是非を冷静に考えるための土台になります。
参考ソース
・橋本愛、ハラスメント報道で明らかになった過去のセクハラ被害 - ライブドアニュース
・佐藤二朗がドラマW主演の橋本愛にハラスメント行為? 文春オンライン報じる 佐藤の所属事務所は反論(中日スポーツ)
・佐藤二朗(57)が橋本愛(30)に"問題行為"を起こしていた フジテレビ調査では「深刻なハラスメント」認定(文春オンライン)
※事例部分は2026年7月3日時点の報道に基づく、フジテレビの調査結果および事務所側の見解の紹介です。佐藤さん側は疑惑を否定しており、事実関係は今後の続報で変わる可能性があります。