六本木のオフイスで若い男性社員を号泣させた女

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コラム
あれはオイルショックの数年前のことでした。
当時、私は日本へ進出のため、設立準備中のアメリカの会社で
働いていました。

職種はオフイスマネージャー兼社長秘書
でも、オフィスマネージャーと言っても、
未だにどんな仕事なのか、良く分かりません。

オフイスマネージャーなんて、あまり聞きませんよね。
一体、何をするのか?
よく分かりませんでした。

とにかく、企画部、営業部、経理部などではなく、
どこが処理するのかわからないような問題はすべて処理する。
オフイスが円滑に動くようにすることすべてを担当する、
と言われても、よく分かりませんでした。

舞台監督が、舞台で起こったことはすべて責任を持つのと同じように
オフィスで起こったことはすべてオフィスマネージャーの責任と言われても、
雲をつかむような話です。

初めは、良く分からないからと辞退したのですが、
社長に大丈夫だから、まあまあとにかくやってみなさいと言われて、
お引き受けすることにしました。

スタートしてみると、
観葉植物が枯れた、とか
机のカギを忘れてきたから引き出しが開かない、とか
机の角に腕をぶつけて擦りむいた、とか
タイプライターが、動かない、とか
仕事をしにくいから席を別のところへ変えてくれ、とか
・・・・・・
・・・・・・
いろいろなことが飛び込んできました。

その会社が扱う商品は女性の服飾品
当時、すでにアメリカ国内はもとより、ヨーロッパ各地でナンバー1の売り上げを誇っていた会社は、勢いもあり活気にもみちていました。

その会社は、TV広告を中心にマスメディアの協力を得て
マーケティング主導で大々的に日本進出を企てていたのです。

当時の日本では耳慣れないプロダクトローンチで、販売を始めるとのこと、
従って実際の販売前の業務のほとんどはマーケティングの業務でした。

そのため、営業部隊は揃っていないのに、マーケティング部だけは
ニューヨーク本社から出向のアメリカ人ディレクターをはじめとして、
マーケティングマネージャー、プロダクトマネージャー、セールスプロモーションマネージャー、リサーチマネージャーがおり、それぞれのマネージャーに数人のスタッフが所属していました。
そのセールスプロモーション部にH君という20代後半の男性社員がいました。

H君は、雑学が豊富で、若いのにいろいろなことを知っていて
それを面白おかしく話すのですから、社内の人気者になっていました。
日本人の社長も、H君の話は面白いねと言って、
とても気に入っていたようです。

ただ、H君は英語があまり得意ではなく、時々分からないことがあると
私の所へそっと聞きに来たりしていました。
そして、そのたびに、
「これ、聞いたこと黙っててね。」と言っていました。
部内には、若い女性社員もいましたから、
私に聞きに来たなどということは知られたくなかったのでしょう。

ある時にはこんな質問もありました。
「グレートライヤーって、どういう意味?」
「グレートライヤー? 大ウソつきってことでしょう?」
「でも、グレートって、偉大だとか、偉人だとかいう意味だよね。」
「グレートだけだったら、そうなるかもしれないけれど、
後にライヤーが付いているから、偉大な嘘つき、つまり大ウソツキと言うことになるのじゃない?」
「そうか? それで、変な顔して2度も3度もグレートライヤーって言ったのか。
僕は、グレートって言われたから褒められたのだと思って、にこにこしてたんだよね、そうしたら、2度も3度も言うから変だと思ったんだ。」
などといって、席へ戻っていったこともありました。

そんなある日のこと
昼食を終えて席へ戻り、午後の仕事に取り掛かろうとしていると
H君が食事から戻ってきたのが見えました。

H君の席は入り口から左の方へまっすぐに進んだところです。
それなのに、H君はまっすぐに進まず、途中で曲がると私の方へ足早にやってきます。
「何の用だろう?」と思っていると、
つかつかと、私のデスクの前まで来ると、
「Lさん!」と
一言、私の名前を呼ぶなり、
いきなり号泣し始めたのです。

驚きました。

どうしたら良いのか分からず
慌てて、デスクの上にあったティッシュの箱を差し出すのが精一杯でした。
すると、H君は、ティッシュペーパーをとっては涙をぬぐい、取っては涙をぬぐい、と、とどまることがありません。

どうしたの?と、聞く方が良いのか、聞かない方が良いのか、
分からないまま、トラッシュボックスを差し出すことしかできませんでした。

ティッシュボックスのペーパーはどんどん少なくなり、
トラッシュボックスのペーパーはどんどん増えていきました。
それが、どのくらいの時間つづいたのか分かりません。
が、しばらくすると、H君もやっと泣き止んで、
少し落ち着いいた様子で、自分の席へ戻っていきました。

どうしたのか、気になりましたが、
また、H君の感情を刺激してもいけないと思い、
そのまま、そっとしておく方が良いのだろうと思いました。

やがて、社長が、広告代理店とのミーティングから戻り、
本社への報告業務が忙しくなり、
H君のことも次第に忘れていきました。

次の日、心配していましたが、
H君はいつものように元気よく
自分の席で冗談を言ったりしているようでした。
良かった!と、思いました。
その後、H君からの説明はなく、
H君は、号泣のことは忘れたような感じだったのでそれで良かったのだと思いました。

1週間ほどが経ち、日本出張を終えてニューヨークへ戻る
本社のアジア担当バイスプレジデントを羽田まで
社長と一緒に見送りに行きました。

その帰りの車の中で、
あまり、プライベートなことは話さない社長がこう言ったのです。
「あんた、なかなかすごいんだね。
若い男の子を泣かしたんだって?」
私は慌てて答えました。
「え? 私、そんなことしたことありません。」

すると、社長は
「は、は、は、は! 会社中で有名ですよ。
あなたが若い男性社員を泣かしたって。」
(そうか。H君が号泣したことが、そんな風に広まっているのだ。)

「そんなに有名なのですか?」
そう、聞くと
「有名も有名も。会社の中で知らない人はいませんよ。」と
社長は笑って言うのです。

なるほど。
私はいつの間にか、若い男性社員を泣かせた女になっていたのです。

でも、
オフイスで起こったことはすべてオフイスマネージャーの責任。
なら、これも、オフイスマネージャーの仕事なのかもしれない。
そう、思いました。

それから、しばらくして、オイルショックが起こり、
有名な女優さんを起用して作成したTVコマーシャルは
日の目を見ることなく、会社は撤退することになりました。

それと共に
あの号泣の原因は何だったのか?
それは、H君の心の中にだけ深くしまわれたまま
私の「若い男性社員を泣かせた女」の名称は消えていきました。

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