レーゲンのドラゴン討伐
その夜、星見省には美しい歌声と力強いギターの音、黄色い歓声が響いていた。中央広場では、三人の美しい青年が一心不乱に演奏していた。ステージを囲む観客席は満員で、聴衆は揃いも揃って恍惚とした表情で彼らの歌に聞き惚れている。それもそのはず、今ステージの上でギターをかき鳴らしているのはあの星見省『流星観測課』の面々なのだ。ステージのサイドでドラムを叩いている青年とベースギターを爪弾いている青年は、今年『流星観測課』に就任したばかりの期待の若手だ。見目麗しい彼らが楽器を演奏する姿も息を呑むほどに壮観だったが、とりわけ観客の注目を集めたのはセンターでギターを奏でている黒髪の青年だった。彼の歌声が空気を震わせるたびに聴衆は涙ぐみ、彼の白い指がギターの弦を弾くたびに聴衆は歓喜の声を上げた。誰も彼もが、一つに結んだ長髪を振り乱してメロディを紡ぐ彼の姿に釘付けだった。それもそのはず、一際目を引く長身の彼は、星見省『流星観測課』部長のレーゲン・シルムだった。『流星観測課』といえば、星見省の平和を守る花形部署である。星座番なら誰もが一度は憧れる役職と目されているほどだ。その『流星観測課』のトップであるレーゲンは百戦錬磨と噂されるほどの実力を持ち、いやでも目立ってしまう端麗な容姿も相まって多くの年少者の心を奪っていた。しかし、当のレーゲンには既に心に決めた相手がいた。
──どこかで、あいつもコンサートを見ているだろうか?
ステージの上で星の女神のために歌唱しながらも、レーゲンの心からは愛しい人の面影が離れなかった。腰まで届く絹のような銀髪。透き通るような白磁の肌。憂いを帯びながらも、たおやかな優しさを湛えたトパーズのような瞳。レーゲンの愛する人の名は、星見省総監ロビン・プレマ。物静かなロビンは自分の気持ちを言葉に出すことは少ないが、きっとこの真摯な想いは彼に届いてるとレーゲンは信じている。
──だから、どうか俺の歌に耳を傾けてくれ。
レーゲンは一心に祈りながら、ロビンを想ってより一層激しくギターを奏でた。レーゲンの歌声は、まるで情熱的な求愛のようだった。レーゲンの火照った肌を伝って、汗の粒が星の光の中を飛び散った。観客たちは興奮のあまり悲鳴のような歓声を上げた。なかには、官能的なレーゲンのギタープレイに当てられて失神した者もいた。
ロビンは熱気を増した観客の群れには加わらず、観客席から離れた物陰でそっと恋人の勇姿を見守っていた。
──レーゲン・・・。いつもながら、素晴らしい演奏です・・・。
ロビンもまた、レーゲンのことを愛していた。勇猛果敢なレーゲンは頼り甲斐があり、
安心して仕事を任せることのできる立派な青年だ。彼の朗らかな笑顔は、いつもみんなに元気を分け与えてくれる。星見省総監という立場上いつも威厳のある物腰を心掛けねばならないと密かに決意しているロビンだが、無邪気に話しかけてくるレーゲンの前では不思議と素の自分を出すことができた。他の人の前では見せないロビンの姿をも、レーゲンはその包容力で受け止めてくれる。そんな彼の晴れ舞台を眺めていると、いつも冷静沈着なロビンの心も思わず浮き足立ってしまう。
──とても素敵です、レーゲン。
ロビンは心の中で拍手を送り、うっとりとレーゲンの奏でるリズムに耳を傾けた。
レーゲンのエネルギッシュな旋律に応えるように、夜空には流れ星が飛び交っていた。演奏を終えたレーゲンは、万雷の拍手の中で手を上げて聴衆たちに答えた。聴衆たちは敬愛と感謝のこもった瞳でレーゲンを見つめる。ギターを置いたレーゲンは、今日はいつもよりも良い演奏ができた、と安堵のため息をついた。レーゲン自身の中にも、楽曲に乗せて星にエネルギーを届けるという大役を立派に果たすことができたという達成感が満ち溢れていた。
「お疲れ様です、レーゲン部長!」
「同じステージに立たせて頂き、光栄でした!」
傍に控えるドラムとギターの二人がお辞儀をする。レーゲンは軽く手を振って答えると、ステージの階段を下りた。
──ロビンは、俺の演奏に満足してくれただろうか?
胸中に去来するのは、やはり愛しい彼のことだ。ロビンに会いたいという気持ちが抑えきれなくなる。慈愛に満ちた彼は、一仕事終えた自分にきっと優しく微笑んでくれることだろう。
──ロビン・・・。お前に会いたい・・・!
ロビンの姿を探そうとした矢先のことだった。
「レーゲン部長!大変です!」
『流星観測課』で働く青年の一人がレーゲンの元へ駆け寄った。血相を変えた部下の様子に驚くレーゲンだったが、冷静に何が起きたのか尋ねる。
「どうしたっていうんだ?そんなに慌てて。コンサートは成功したはずだが?」
「そ・・・。それが・・・!」
部下はガサガサと、さっき出力されたばかりと思しき感熱紙を広げる。そこにはデタラメな数字が大量に印刷されていた。
「見てください、このデータを!無数の流れ星を観測しきれず、計測器がエラーを起こしてしまったんです!」
「な、何だって!?」
レーゲンは首を傾げる。星にエネルギーを届けるコンサートの夜は確かに星々の動きが活発になるけれど、計測器の故障を引き起こすほど流れ星が大量に落ちることなど本来あり得ないはずだ。しかし、流れ星を管理するのは『流星観測課』の大切な仕事。異常事態の原因を突き止めなくてはならない。
(まさか、俺の演奏が原因じゃないだろうな・・・)
レーゲンは内心、自分のせいではないかと危ぶんだ。しかし気を取り直し、部下に流れ星の大量発生の原因追及を命じようとした時だった。
「なんだ?あれ?」
「空で何か動いてる・・・?」
帰り支度をしていた観客たちがザワザワと騒ぎ出した。みな空を眺めて何かを指差し、口々に不思議そうな声を上げている。レーゲンと部下もその騒ぎに釣られて、夜空に目をやった。夜の闇に紛れて、何かが空に蠢いていた。レーゲンは訝しげに目を凝らす。その姿は、古の伝承に登場する幻獣のように見えた。
「あれは・・・」
レーゲンがその先の言葉を口にするより先に、観客たちが騒ぎ出した。
「ドラゴン!?」
「神話やおとぎ話の・・・!?」
「まさか、本当に現れるなんて・・・!!」
夜空で暴れているその姿は、まさしく西洋のドラゴンそのものの姿だった。ドラゴンが登場する伝説は、遥か昔より星見省にも伝わっている。しかしその姿は、伝説を描いた絵画の中でしか現代では見ることが出来ない。ユニコーンやフェニックスと同じように、実在するのかどうかわからないほど稀な存在である。チャンスがあれば出会うことのできる精霊やエルフとは一線を画す生き物だ。そのドラゴンの姿は、絵画に描かれているような青緑色の神々しい姿とは少し違っていた。いかにも禍々しい真っ黒な身体は夜の闇に溶け込み、ブラックホールのような異彩を放っていた。曲がった鋭い鉤爪は灰色に光り、尖った牙が裂けた口から覗いている。ドラゴンがのたうつたびにウロコの縁がきらめき、あたかも星の瞬きかと見まごう瞬間もあった。どうやら狂ったように暴れるドラゴンが手足を動かすたびに、周辺にある星が叩き落とされているようだった。
──流れ星の大量発生の原因は、こいつか!
レーゲンは歯噛みする。まるで、自分の完璧なコンサートが汚されたような気分だった。
「レーゲン部長!」
夜空で悶えるドラゴンを睨みつけていたレーゲンは、部下の呼びかけに我に返る。
「今度はなんだ?」
伝書フクロウの運んできた羊皮紙を開いて、部下はブルブルと震えていた。
(勇敢な『流星観測課』職員がこんなにも怯えるなんて・・・)
レーゲンは嫌な予感がした。
「あのドラゴンが叩き落としている流星の軌道を予測すると・・・星見省一帯にぶつかるみたいです!」
「何っ!?」
レーゲンの背中に冷たいものが走る。大量の流れ星がこの地域に落ちるなんてことがあれば、星見省や仲間たちはどうなってしまうのか。それに・・・
──ロビン!
レーゲンは愛しい恋人の姿を胸に思い描いた。
『流星観測課』の仕事は、星見省の平和を守ること。流れ星の軌道を修正すること自体は、造作もない。日常的に取り組んでいる業務だ。しかし、ドラゴンが登場して星々を叩き落とすなどという事態は前代未聞である。
「困ったことになりましたね・・・」
鈴を転がしたような声が響く。レーゲンと部下は、はっと振り向いた。
澄んだ声の主は──
「ロビン!」
「ロビン総監!」
形の良い眉を寄せながら、ロビンは夜空で好き勝手しているドラゴンを見上げた。
「あれだけ沢山の星が落ちてきたら、いくら星見省といえど無傷ではいられません。このままでは、星々にもどんな影響が出るか・・・」
ロビンは何事か決意したように目を閉じると、大きく腕を振りかぶった。
「あなた、緊急事態が星見省全体に発令されたとみんなに伝えなさい。『流星観測課』総出で流れ星の軌道修正をするように、とも!」
「は、はい!」
部下は頷くと、ロビンからの命令を仲間たちに伝えるために駆けていった。部下の背中を見送る二人だったが、レーゲンは気忙しげにロビンに尋ねる。
「緊急事態発令か・・・。やれやれ、こんな騒ぎ初めてだ。せっかくコンサートが終わったらお前とゆっくり過ごそうと思ってたのに、これじゃあそれどころじゃなさそうだ」
「『流星観測課』のみなさんにはお手数を掛けてしまいますが・・・。星見省の平和を守るためです」
星見省を愛するロビンは、心配そうに胸の前で腕を組んだ。
「でも、どうしましょう・・・。『流星観測課』のみなさんがいくら優秀で働き者といえど、星々を叩き落とすドラゴンがいる限り原因はなくなりません。星見省総出で当たったとしても、いつまでも異常事態に対処し続けることはできません・・・」
ロビンは眉間に鈍い痛みを感じ、こめかみを抑えた。まったく、頭の痛い問題だった。
「大丈夫か?ロビン」
「ええ、少し気分が悪くなってしまって・・・」
目眩を感じたロビンがよろめいたので、レーゲンは慌てて彼の肩を支えた。そして今にも倒れそうなロビンを抱きしめ、相変わらず夜空で無礼を働き続けるドラゴンを睨みつけた。
「あのドラゴンを誰かがなんとかしてくれれば良いのですが・・・」
「俺が行く」
「えっ・・・!?」
ロビンは驚いたようにレーゲンを見つめた。彼の真剣な表情は、嘘をついているようには見えなかった。
「いけません。危険です!」
「みくびるな。こう見えても、俺は名うての銃の名手なんだ」
そして、レーゲンはこう言って微笑んだ。
「それに、大切な恋人にいつまでもそんな顔されてちゃ困るからな」
「な・・・!」
ロビンの白い頬がにわかに色づいた。そして内心の動揺を悟られないようにと、腕組みして精一杯総監らしくこう命じた。
「わ、わかりました。でも、約束です。必ず無事に帰ってくるように!」
「わかった、ロビン。俺は必ず帰ってくる。でも、その代わりに」
レーゲンは悪戯っぽく笑い、ロビンを強く抱きしめる。
「キスしていいか?ロビン」
「もう・・・」
先ほどの虚勢は何処へやら、ロビンの怒ったような表情がふにゃりと崩れる。しかし、恋人同士であるレーゲンからの口づけを拒む理由など何もない。恥ずかしそうに頷いたロビンに応え、ゆっくりと二人の唇が重なった。
「必ず帰ってきてくださいよ?レーゲン・・・」
「ああ、任せろ。必ずドラゴンを倒して帰ってくるからな」
しかし、その様子はまるで別れの口づけのようにも見えた。
***
数時間後には、レーゲンは既にエルフの森の断崖の上に到着していた。ドラゴンが暴れているところは遥か夜空の高みだが、この地域の中では標高の高いこの崖の上からなら銃弾が届くのではないかという目論みだった。もちろん、レーゲンを単騎で向かわせることに星見省の仲間たちも懸念がなかったわけではない。しかし『流星観測課』部長としてこのような危険な任務に部下を巻き込むわけにはいかない、とレーゲン自身が誰かを随伴させることを許さなかったのだ。自身の射撃の腕前に、絶対の自信があったからでもある。上空から雷鳴のような轟きが降ってきて、レーゲンは思わず空を見上げる。
「ウオーーーン!!!」
「あれは・・・!」
凶悪なドラゴンの姿を視界に捉え、レーゲンは眉を顰める。こうして近くで眺めると、ドラゴンの漆黒の身体の中には星のかけらのような小さな輝きが無数に認められた。
「悲しみのエーテルじゃないか・・・!」
──エーテル。無念のまま、星に姿を変えた者たちの悲哀の化身。
鉛のようにどす黒く煙る、悲痛な魂の集合体。それが、黒く輝くドラゴンの正体だった。死して尚、残る未練がドラゴンをがむしゃらに暴走させていたのだろう。ドラゴンの嘆きは理解できたが、かといってこのまま奴の横暴を見逃すわけにはいかない。星見省の存亡がかかっているのだ。
「・・・可哀想だが、成仏しろっ!」
レーゲンは銃を構えた。照準を定め引き金を引くと、銃弾は真っ直ぐにドラゴンへ撃ち込まれる。
──仕留めた!
ドラゴンの巨体に弾が届くかと思った矢先、狙撃の気配を察知したドラゴンはひらりと身を翻した。そして地上から自分を狙うレーゲンの姿を真紅の瞳に映すと、反撃しようと雄叫びを上げた。ドラゴンは空気を切り裂いて滑空した。地上に舞い降りたドラゴンの鉤爪が、断崖ごとレーゲンを削ろうとする。
「くっ!」
間一髪、レーゲンはドラゴンの攻撃を回避する。負けじと銃弾を撃ち込みまくるが、ドラゴンの攻撃を避けながらではいまいち上手く狙いを定めることができない。なんとか何発かは命中したが、ドラゴンの硬い鱗に弾かれてしまう。苦戦を強いられるような予感がしたが、レーゲンは自らを鼓舞するかのように声を張り上げた。
「貴様、なぜ星々に悪事を働く!?このままでは、夜空から星がなくなってしまうぞ!」
威嚇射撃を続けながらも、心を込めてドラゴンに呼び掛ける。星見省に仇なす敵とはいえ、できることなら和解したいという思いもあった。ドラゴンはレーゲンの声に応え、泣き声にも似た咆哮を上げた。
──悲シイ!悲シイ!
レーゲンの心に、ドラゴンの言葉が流れ込んでくる。
「何が悲しいっていうんだ!?聞いてやるから、言ってみろ!」
レーゲンはドラゴンの鉤爪から身を交わしながら、ドラゴンに問い掛けた。
──我ラハ志果タセヌママ、星ニナルコトシカデキナカッタ!護レナカッタ故郷!帰リタカッタ場所!何ヨリモ、引キ裂カレテシマッタ愛シイ人!
ドラゴンは怒りに震えながら、生前の心残りを吐露する。何千何万の今は亡き者の思いの丈が、レーゲンにも伝わってきた。あまりにも大きな悲しみに胸を打たれたレーゲンは、思わず銃の引き金から手を離した。ちょうど、装填していた十二発ぶんの弾丸を全て撃ち切ったばかりだった。レーゲンがドラゴンの言葉に僅かに気を取られた瞬間、大きく振りかぶられたドラゴンテールがレーゲンの脇腹に強烈な打撃を与えた。
「ぐ・・・ぐああ・・・!!」
灼けるような痛みがレーゲンを襲う。とても立っていられなくなったレーゲンは、岩場に倒れ伏した。腹から溢れ出る血をいくら抑えても、後から後から鮮血が迸った。だんだん意識が朦朧としてくる。レーゲンの脳裏に、死が過ぎった。
──俺が死んだら、ロビンはどうなってしまうんだろうか・・・?
夜空にたなびく美しい銀色の長髪。宝石のようにきらきらと輝く金色の瞳。抜けるように白い肌。慈愛に満ちた優雅な所作。そして、レーゲンにだけ見せる子供のように愛らしい表情。
レーゲンの胸に映るのは、今や愛しいロビンのことだけだった。走馬灯のように、ロビンとの記憶が蘇る。
ロビンと出会った幼少時代。ロビンが振り向いてくれるのを待ち続けたあの日。互いの気持ちを確かめあったクリスマス。高熱にうなされるレーゲンを救うために、危険を顧みずロビン自らエルフの森へ出向いて行ったあの晩。そして、ロビンと共に過ごした熱い夜。レーゲンの下で喘ぐ華奢な体躯。普段の気品ある彼からは想像もつかないような火照った身体。甘えるように喘ぐ高い声。
二人で一緒に編み上げた、幾つものかけがえのない思い出。そのきらきらとした走馬灯は、終わることが無かった。
レーゲンはぎゅっと目を瞑った。
「何が、成仏しろだ・・・!」
痛みをこらえながら、かつての自分の言葉をせせら笑う。
「未練だらけなのは、俺の方じゃないか・・・!」
このままロビンに二度と会えないまま、死んでしまったら・・・。想像するだけで、胸が張り裂けるようだった。
「はは・・・」
しかし、この命はここまでのようだった。ドラゴンはかすり傷しか負っておらず、この身が裂かれるのは時間の問題だった。あのドラゴンの中の彼らは、ひとりひとりどんな想いで死んでいったのだろう。護りたかった故郷のある者もいるだろう。暖かい家に帰りたかった者もいるだろう。そして、愛しい人と永遠に結ばれたかった者だっていたはずだ。彼らは、そのどれもが叶わなかった・・・。
「このまま死んじまったら・・・俺の方こそドラゴンになっちまうだろうよ」
レーゲンは諦めたように慟哭した。敵であるドラゴンの苦しみにレーゲンは今初めて心から共感したが、最早遅すぎた。レーゲンは目を閉じてロビンの姿を瞼の裏に描きながら、ドラゴンの最後の一撃が自分を貫くその瞬間を待っていた。
しかし、その時。レーゲンの頬に熱い雫が落ちてきた。
「雨・・・?」
天が自分を弔う涙雨だろうか?レーゲンはそっと目を開けた。レーゲンの視界に入ったのは、大粒の涙を流すドラゴンだった。レーゲンは驚き、目を見開く。
「お前・・・?」
──我ラノ悲哀ニ心カラ共鳴シテクレタノハ、オ前ガ初メテダ。
暴れることをやめたドラゴンは、切なげな鳴き声を上げる。
──オ前ノ愛シイ人ヘノ純粋ナ気持チ、我ラノ心ニシカト伝ワッテキタ。オ前ヲ殺スコトハ、我ラニハ出来ナイ。
ドラゴンは静かに頭を垂れる。
──サア、オ前ノ手デ我ラニ引導ヲ渡シテクレ。
しかし心の通じ合ったドラゴンに銃弾を撃ち込むことなど、情の深いレーゲンには出来なかった。ドラゴンの涙は勢いを増し、やがて土砂降りの雨となった。びしょ濡れになりながらも、レーゲンはなんと言っていいやらわからなかった。ドラゴンを見つめるばかりだったが、意を決して返事をしようと口を開いたその時だった。
「レーゲン部長!」
「ご無事ですか!?今、お助けいたします!!」
青いハイビームが甲高いサイレンとともに夜空に閃いた。ブルーの光線がドラゴンの黒い体躯を貫く。ドラゴンは痛々しい唸り声を上げ、後ずさった。『流星観測課』一隊がレーゲンの応援に駆けつけたのだ。
「レ、レーゲン部長!血がこんなに・・・!」
一隊は負傷したレーゲンを発見して騒然となった。尊敬する上司を傷物にしたドラゴンに手加減無用とばかりに、部下たちは一斉に光線銃を浴びせようとする。
「だ・・・駄目だ!撃つな!!!」
夜空にレーゲンの必死の叫びが轟いた。今にもドラゴンを撃ち殺さんとしていた部下たちは、戸惑ったように攻撃の手を止めた。
「コイツだって、悪い奴じゃないんだ。数多の悔恨に振り回され、自分を見失ってしまっただけの哀れな魂なんだ。コイツを救う方法は、銃弾なんかじゃない・・・!」
脇腹を手で押さえ、レーゲンはふらつきながら立ち上がった。どよめく部下たちを制止すると、レーゲンは静かに息を吸い込んだ。
エルフの森の断崖に、全てを包み込むようなレクイエムが響いた。それは見事なア・カペラだった。殺気立っていた部下たちも、毒気を抜かれたようにレーゲンの歌に聞き惚れる。あれほど暴れていたドラゴンも、おとなしく鎮魂のメロディに耳を傾けていた。
──お前の夢は俺が受け継ぐ。だからどうか、安らかに。
レーゲンとドラゴンの間には、確かに温かな絆が結ばれていた。想いを込めてレーゲンが調べを奏でるのにつれて、ドラゴンの身体を形作っていた小さな星々がひとつひとつ空に昇っていく。徐々にドラゴンの巨大な姿は、小さくなっていった。最後のひとつの魂が空に還っていく時に、レーゲンの耳には確かにドラゴンの声が聞こえた。
──
アリガトウ、レーゲン・シルム。
ドラゴンの消滅とともに雨が上がり、星々の美しい光がエルフの森を明るく照らし出した。
「ドラゴンが消えた・・・?」
「雨もやんだ・・・!」
奇跡を目の当たりにして、ざわめく部下たち。
「フフ・・・当然だろ?俺の名は、レーゲンシルム(傘)なんだから・・・」
冗談めかしてそう呟くと、星見省と仲間たちを救ったことを確認したレーゲンはその場で気を失ってしまった。
***
その後部下たちに運ばれて星見省に帰り着いたレーゲンは、応急処置を受けたあと死んだように眠っていた。廊下から足音が響き、レーゲンの休んでいる部屋の前でぴたりと止まった。控えめなノックの音が何度か室内にこだました。深い眠りに落ちているレーゲンは、まばたきひとつしなかった。やがて静かに重い扉が開き、おずおずとロビンが姿を現した。深手を負った恋人の帰省に気が気でなかったロビンは、取り急ぎ仕事を片付けてレーゲンの様子を見にやってきたのだ。包帯でぐるぐる巻きにされた姿でベッドに横たわるレーゲンの姿を目にし、ロビンは息を呑んだ。そして、震える足取りでレーゲンの元へ駆け寄った。
「レーゲン・・・。あなた、星見省を守るためとはいえ、こんなに無茶をして・・・!」
総監であるロビンは涙こそ見せなかったが、レーゲンを待つ間その繊細な心は揺れに揺れていた。
──この戦いでレーゲンに万一のことがあったりしたら?例えば、死んでしまうとか・・・。
その恐ろしい考えに、何度取り憑かれただろうか。その度にロビンはかぶりを振って邪念を払い、レーゲンの凱旋を信じて待ち続けていたのだ。
ロビンの心に、レーゲン以外の者の姿などありはしない。レーゲンの心にだって、ロビン以外の者の姿などありはしなかった。
ロビンは細い指でレーゲンの整った輪郭をなぞった。そして、汗に濡れた黒髪を労わるように撫でた。
「ん・・・」
ゆっくりとレーゲンの目が開いた。未だ夢心地の水色の瞳は、ロビンの姿をゆっくりと映した。
「ロビンか・・・?」
レーゲンは愛しい恋人の姿を目にすると、かき抱くようにロビンを抱き寄せた。そして熱く抱擁すると、安堵したようにため息をついた。一度は、もう二度と会えないことすら覚悟したのだ。腕の中の愛しい人に再び巡り会えたことを、まるで神の加護のように感じていた。レーゲンの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。ロビンは衝撃を受ける。気丈なレーゲンが涙を見せるなんて、普段の明るい彼からは到底考えられなかった。
「どんなに愛し合っていても・・・どんなに想い合っていても・・・必ず別れは来るんだよな・・・」
レーゲンがこの戦いの中で何かを感じたことを察し、ロビンはぎゅっとレーゲンの手を握った。まるで、自分は永遠にあなたのそばにいるとでもいうように。しかし、レーゲンの涙は溢れるばかりだった。レーゲンの頬を伝う涙は止まらず、まるで雨のようにロビンの服の裾を濡らした。
「わかっている・・・。わかっているけれど・・・」
そして、レーゲンはもう一度ロビンを抱き寄せた。
「わかっていても、俺はお前といつまでも一緒にいたいよ・・・」
「レーゲン・・・」
「ロビン・・・。生きているうちに、もう二度とお前と会えないのかと思った・・・。こんなに誰かとの別れが怖いと思ったのは、初めてだ・・・」
ロビンのトパーズのような瞳にも、涙が浮かんでいた。ロビンだって、レーゲンと想いは同じだった。
「ロビン・・・。愛してる・・・。これ以上、どう愛して良いのかわからないほど・・・」
「レーゲン・・・。私もです・・・」
二人は言葉にできない想いを胸に宿したまま、熱のこもったキスをいつまでも繰り返した。例えこの命が終わっても、輪廻の輪の中で何度でも繰り返しまた出会いたいと願った。
その夜、二人は星に永遠の愛を誓い合った。