「お前、どこ見て歩いてるんだよ!」
「あっ、ごめんなさい・・・!」
ブドウやリンゴを両腕に抱えた少女が粗野な男に突き飛ばされた。少女は謝罪の言葉を口にしながら、取り落としたレモンを大切そうに拾い上げた。少女は灰色のスラム街をヨロヨロと歩いていく。くすんだストロベリーブロンド、ボロボロのエプロンワンピース。元は白かったであろう洋服は、今は何色とも言い難い色に汚れている。まさに貧民のいでたちだった。裸足で歩く少女の目は虚で、生まれてから一度も楽しいことなどなかったかのような表情をしている。少女の名前はラフレーズ。誰からも省みられることなく、友達もできず、日々闇市で売れ残りの果物をかき集めては家に持ち帰ることを日課にしている。
「ラフレーズ!帰ってくるのが随分遅いじゃないか!」
みすぼらしい家のドアをくぐると、母親の罵声とともに鍋が飛んできた。鍋は少女を掠めて壁にぶつかって、派手な金属音が響き渡る。なぜ鍋が飛んでくるのかというと、皿を投げると割れるからだ。出来の悪い娘を脅しつけるのに、いちいち家財道具を失う訳にはいかないのだ。
「もらい子のお前の面倒を見てやってるって言うのに、まったく気の利かない子だねぇ!トロくてオドオドしてて、見ててイライラするったら!」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、お母さん・・・」
継母はラフレーズの顔を覗き込んで吐き捨てた。
「苺みたいにブツブツのそばかすが気持ち悪いねぇ。それに、赤いアザだらけじゃないか。何が悲しくて、こんなみっともない娘を養わなきゃならないんだか!」
そしてラフレーズの手から果物を引ったくり、ブツブツ文句を言いながら台所へ戻っていった。今夜もラフレーズの口にはあの果物の切れ端ですら、きっと入らないのだろう。ラフレーズは悲しみに暮れながら、一人になれる場所を探して物置でうずくまった。
「あぁ、なんで私はこんなふうに人から嫌われるのかな。この街の人はみんな、貧乏でイライラしてるもの。こんなスラム街、グルナドゥ地区に生まれたんだから、私もこうやって人からいじめられて生きていくしかないのかな」
ラフレーズは溜息を吐く。
「1度で良いから、外の世界を見てみたいな。領主のパステク様の住んでいらっしゃるお屋敷は、とても素敵だって噂だもの。きっと心のきれいな人ばかり住んでいる夢のような場所なんだろうな。でも、私みたいな醜い貧しい者には一生ご縁の無い場所なんだわ」
話相手のいないラフレーズは、この世にきっとあるであろう美しいもののことを考えるのが好きだった。そういう美しいものについて考えている間だけ、自分の悲しい境遇を忘れることができるのだった。
その日もラフレーズは市場で果物の屑をかき集めていた。夏の日差しが突き刺すなか、ラフレーズは汗を流しながら少しでも家族の腹の足しにしようと潰れた梨やカビだらけのオレンジを腰をかがめて拾っていた。
「そばかす女!邪魔だ!」
「あっ!」
うろつきまわるラフレーズを鬱陶しく思ったのだろう、心無い男が彼女を突き飛ばした。その日は運が悪かった。
「キャンッ!」
「あっ、ごめんなさい!」
ラフレーズは足元を駆け回っていた白いテリアの尻尾を踏んづけてしまったのだ。ラフレーズは思わず、果物を取り落としてテリアを抱き上げた。可愛らしい顔立ちのテリアは、キュンキュンと鳴き声を上げている。
「可愛いワンちゃん、踏んづけちゃってごめんなさいね。でも、怪我をしていなくて良かった。飼い主さんはいるのかしら?」
その日は実に運が悪かった。飼い主を探して辺りを見回したラフレーズの背中に熱い痛みが走った。思わず膝をついたラフレーズが見上げると、鞭を持った役人がラフレーズを睨みつけている。
「娘!自分が何をしたかわかっているのか!?」
呆然としているラフレーズに鞭が振り下ろされた。
「痛い!痛い!」
「あのお犬は領主のパステク様の可愛がっていらっしゃるご愛犬であらせられるぞ!貧民風情のお前が、傷つけていいものではないぞ!」
役人の後ろでは領主パステクが憤怒の形相でラフレーズを睨んでいた。
「ひっ!」
ようやく自分が何をしでかしたのかわかったラフレーズの背中に冷や汗が伝う。領主は法であり、法は領主である。
「す、すみません!すみません!命だけは助けてください!」
土下座して命乞いするラフレーズを、怒りに任せて蹴り上げるパステク。役人も鞭をしならせて加勢する。大の男が二人がかりで年端もいかぬ少女を折檻している見るも哀れな光景に道ゆく人々も足を止めて気の毒そうに眺める。あのいつも捨てられた果物を拾っている内気な少女が、いったい領主にどんな大それたことをしたというのだろうか。事情はわからないながらにも、謝罪しながら命乞いしている少女に鞭打たれ足蹴にされなくてはならないような罪があるとはどう考えても思えない。おおかたあの傲慢な領主の虫の居どころが悪かったか何かだろう、と人々は結論づける。しかし、誰がパステクを止められるだろうか。パステクといえば、先祖代々ここら一帯を取り仕切る名のある領主である。高価な服装に気圧されるし、恵まれた健康的な体躯にはとても敵わない。こちらは食うや食わずの貧民なのだ。病持ちの者も多い。グルナドゥ地区の大人たちにはとても領主に食ってかかる度胸は無く、ただただ指を咥えて見守ることしかできない。
ゴッ!!
しかしその時、拳ほどの石がラフレーズを折檻するパステクの頭に命中した。この不意打ちにはたまらず、パステクは頭を抱えてうずくまる。患部を覆った手の隙間からは、流れる赤い血潮が見える。
「パステク様!!!」
役人が慌てて、パステクを介抱する。
「今だ!逃げるぞ!」
紅顔の少年が驚くラフレーズの手を取った。
「コラッ!!!お前ら、待て!待たないか!!!」
役人の怒声を背中に、ラフレーズは少年に手を引かれて息を切らして走り去った。
ラフレーズをアジトへ招待した少年はペッシュと名乗った。ペッシュは数人の同じく年少の仲間を連れて、ギャングというには小さな愚連隊を組織していた。彼らはみな親に捨てられ、盗みやスリで生計を立てているとのことだった。今日も街角で喧嘩沙汰があると聞きつけ、騒ぎに乗じて何か掠め取ることはできないかとやってきたところラフレーズがパステクに折檻されているのを見つけ、矢も盾もたまらず石を投げつけたのだと言う。
「パステクはあんなに綺麗な服を着て、きっと食べるものにも困ってないだろう?なんでも持ってる癖に、なのによってたかって女の子を虐めるなんて、オレは腹が立っちまったぜ」
ペッシュはそう言って快活な笑い声を上げた。
「石がアイツの頭に命中した時はしまったと思ったけど、せいせいしたぜ!」
少年のひとりが丸パンを差し出した。騒ぎに乗じて、近くの屋台から失敬したのだと言う。みな少年の機転と端っこさに感心して、少年を褒め称えた。そして神への祈りを捧げ、パンをちぎって全員に分配した。めいめいに平等に分配するとパンはすっかり小さくなってしまった。
「私もいただいて良いのかしら?」
小さなパンのかけらを配られたラフレーズはびっくりしたような声を上げた。なにしろ、ラフレーズが誰かと同じ食卓について、あまつさえ平等な食事にありつけることなど人生でこのかた無かったのだ。ペッシュは頷いた。
「食事は誰が取ってきたって、みんなで食うもんだ。だってここにいるみんなは仲間なんだから」
パンはボソボソしていて、なんの甘みも旨みも無かった。しかし、ラフレーズにとってはこの世で最もおいしいものだった。
「このパン、とってもおいしい」
涙ぐんだラフレーズに、少年たちは驚いた。ラフレーズは己の身の上を語り出した。醜い外見から人々に嫌われてきたこと、もらい子だから継母から冷遇されていること、どこにも味方はいなかったこと・・・。ラフレーズは尋ねた。
「私、家に帰らずにずっとここにいても良いかしら」
「もちろん!」
ペッシュは間髪入れずに答えた。
それからの日々は、ラフレーズにとって人生で最も楽しい日々だった。少年たちとの暮らしは裕福ではなく、今までに輪をかけて貧しく日々の食事に困る生活だった。しかし少なくとも、少年たちもラフレーズと同じくらい貧しかった。食事は必ず平等に配られた。みなラフレーズと共に悲しみ、共に笑った。そこでだけはラフレーズは人間らしい扱いを受けることができた。
「私は苺みたいにそばかすだらけで、それに赤いアザだらけだから、だから人から好きになってもらえないの」
「何言ってるんだよ!ラフレーズはとっても美人じゃないか!君のそばかすは可愛らしいし、アザなんて気にならないよ!」
ペッシュの言葉を聞いて、ラフレーズは微笑んだ。少し自分の顔を好きになれそうな気がした。ラフレーズは自分の望んでいた美しいものはここにあるのかもしれないと思った。ラフレーズは生まれて初めて、恋を知ったのだった。
その頃、パステクは腹の虫が治らなかった。スラム街の小僧に石を投げつけられて怪我をさせられたという不名誉な出来事は彼のプライドを著しく傷つけ、なんとかしっぺ返しをしてやりたいと腑が煮えくり返る思いだった。
「役人!役人!」
「はっ」
役人は冷や汗を流しながら、パステクの相手をしていた。パステクはスラム街での事件以来、明らかに不機嫌だった。いったい何を言い出すことやら・・・。役人は内心、戦々恐々としていた。
「あの小僧をなんとかしてやらないことには、我輩の沽券に関わる。家来を総動員させて、なんとかひっ捕まえて死刑にしてやろうじゃないか」
「恐れながら、パステク様。たかだかスラム街のガキ1人を捕まえるのに家来を総動員させますと、大人気ないと見られてパステク様の評判に傷がつきまする」
「それではどうしろと言うのだ。手配書を回したところで、あの薄汚いネズミのこと、すばしっこく逃げ回るに決まっている」
「パステク様、いっそこうしてみたらいかがでしょう」
役人の提案に、パステクは乗ることに決めた。
グルナドゥ地区が燃えている。人々は逃げ惑い、我先にと僅かな家財道具を持って走っている。パステクが火を放ったのだ。燃えさかる炎を背に、パステクはもっともらしく頷く。
「前々からこのスラム街は治安が悪く、危険だと思っていた。領民の安全を守るためにも、グルナドゥ地区は滅びた方がいいのだ」
街を滅ぼすついでとばかりに、前科のある者は次々と捕縛されていった。
「お前はパステク様に楯突いたあの娘の親だな!」
引き摺り出されたのはラフレーズの血の繋がらない母親だった。
「あたしが何をしたって言うんだい!あの子のことなんて知らないよ!」
母親は激しく抵抗する。なにしろ、罪人として捕縛されたらどんな仕打ちを受けるか分かったものではない。
「あのそばかす娘はパステク様のお犬のしっぽを踏んだばかりか、ペッシュという悪漢と徒党を組んで悪さをしているのだ!パステク様は怪我まで負わせられたのだぞ!」
「あ、あの子がそんなことするわけがありませんよ!あれは気が弱くてオドオドしてて、そんな御大層なことができる性格ではないんですから!」
「この後に及んでまだ言い訳する気か!?あれはお前の娘だろう?」
「そ、そうだ。きっとあの子はそのペッシュとかいうガキに騙されてるんですよ!きっと誘拐されて、いやいや言うことを聞かされているんです!」
追い詰められた母親は嘘八百を並べ立てる。パスカルは口髭を捻った。
「なるほど、ペッシュという小僧はいたいけな少女を騙くらかして、無理矢理連れ歩いているというのだな」
「そうですそうです!きっとそうに違いありません!」
大義名分を得たパステクは声を張り上げる。
「皆のもの、聞いたか!ペッシュはなんと悪いやつなのだ!我々はペッシュ一味を滅ぼして、正義を取り戻さねばならない!」
少年たちのアジトにパステク一派が踏み込んだのはそれから僅か数時間後のことだった。グルナドゥ地区で火事が起きているらしいと聞きつけ、集まっていた少年たちは一網打尽にされた。
「神をも恐れぬガキどもめ!」
「誘拐された少女を取り返せ!」
「悪に裁きを!」
口々に正義を振りかざし、向かってくる大人たち。少年たちは驚き、ラフレーズもまた驚いた。誘拐された少女?いったい何のことだろう?
「ああ!愛しいラフレーズ!お母さんが迎えに来たよ!」
涙ながらに手を差し伸べる継母の姿も見える。ラフレーズは心底仰天し、そしてまた心底恐怖した。あの母親の言葉のどこに真実があるというのだろうか?少年たちは捕縛され、ラフレーズは母親の元に戻された。ラフレーズは生まれて初めて母親に抱きしめられたが、その腕はまるで絡みつく蛇のようであまりの恐怖に彼女は母親の腕の中で気を失った。
捕縛されたペッシュは憤懣遣る方無かった。わけのわからないことを言う大人たちが、よってたかって自分たちを縛り上げたのだ。馬車で連行される少年たちはこれからのことを話し合った。
「なんでオレたちがラフレーズを誘拐したことになってるんだ?」
「オレたちはせいぜい盗みやスリしかしてないのに、誘拐の濡れ衣を着せられたが最後死刑になってもおかしくないぞ」
「オレたち、パステクに嵌められたんじゃないか?」
口々に不安な気持ちを吐露する少年たち。年少の者は今にも泣きそうだ。
「お前ら、オレがなんとかしてやるぜ」
ペッシュは隠し持っていたジャックナイフで自らのロープを切断した。そしてゆっくりと幌馬車から出て行き、御者の後ろで悠々とふんぞり返っていたパステクの背後に立った。
今回ばかりはパステクの方が一枚上手だった。長時間縛り上げられていたペッシュは体の自由が効かず、なにぶんパステクは筋骨隆々の健康な男だった。パステクは自分の背後に現れたペッシュに驚きはしたが、ペッシュに組み付き暫し揉み合った後、ペッシュを馬車から突き落とした。ちょうど馬車は橋の上を渡っていたところだった。ペッシュは轟々と流れる河へ落ちていった。
「最後まで威勢のいい小僧だったな」
勝ち誇ったパステクは、勝ち鬨の笑い声を上げた。
むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。まいにち、おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。ある日、おばあさんが、川のそばで、せっせと洗濯をしていますと、川上から、大きな何かが一つ、
「ドンブラコッコ、スッコッコ。ドンブラコッコ、スッコッコ。」
と流れて来ました。
「おやおや、これはなんだろう」
おばあさんは、そう言いながら、腰をかがめてその何かを岸辺へ引き上げました。見ると、まだ息のある紅顔の少年です。驚いたおばあさんはその少年を家へ連れて帰りました。
ブロンドの髪と青い目、桃のように血色の良い頬を持つ少年は、記憶を失っていたので「桃太郎」と名付けられました。桃太郎はおじいさんとおばあさんのお世話になって、毎日白いお米と赤い魚を食べてすくすくと大きくなりました。やがて桃太郎が立派な青年になった時、桃太郎は改まっておじいさんとおばあさんに話をしました。
「おじいさん、おばあさん、命を助けていただきありがとうございます。ごはんはおいしく、人々は優しいこの村が大好きです。でも、オレにはやらなくてはいけないことがあるんです。オレは昔自分が流れてきたこの川を上流へ辿り、オレの故郷へ帰りたいと思います」
おじいさんとおばあさんは驚きましたが、桃太郎の決意が固いことを見てとると、きび団子を沢山こさえて、桃太郎に持たせて送り出してくれました。桃太郎の記憶を取り戻す冒険の始まりです。桃太郎はグルナドゥ地区へ帰り、過去と決着をつけるために旅立ったのでした。
【補足】
ペッシュ:桃
ラフレーズ:苺
パステク:スイカ
グルナドゥ:ザクロ
全てフランス語です。
引用
「桃太郎」楠山正雄(著作権は切れています)