自由に生きるとは?

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占い師も自由な生き方の一つなのでしょうか?

少し昔に、家を持たないホッパーとか、ノマドとか、そういう生き方が自由だとされていました。

でも、時間に束縛されていないことや、住む場所に束縛されていないことが、本当に自由なのでしょうか?

他にも、自由に使えるお金を持っている人は自由なのでしょうか?乗りたい時にタクシーに乗れ、行きたい時に海外に行けるのは自由なのでしょうか?

もちろん、そういう自由も自由のひとつだと思います。しかし、それらはすべて実質的、物理的自由であり、本来の自由とは違うように思います。そのような生活をしていても本来の自由とは全く違う場所にいる人も多いのです。例えば、

毎日働く場所を変えることに縛られてしまい「今日ここで働いている自分は格好いいだろうか?」「ほら今あの女性が見ていた。それってこのカフェでパソコン開いて仕事している自分がいい感じに見えたかな?」こんなことを思っている人は自由でしょうか?

他にも「タクシーをちょいちょい乗れるって自由だよね。電車に乗って、毎日あっちこっちに行くなんて、もう信じられないよ。この運転手さんは乗っていただく方の仕事、この格差は大きいよね。」と考える人は自由でしょうか?

自由というのは、イコール何も思わないというのは言い過ぎかもしれませんが、カフェでパソコンを開いていてもいなくても、たった3分でコーヒーを飲んですぐに店を出ていく人も、全部オッケーの精神なんです。

タクシーに乗るのも、乗せるのも、どちらも平等で、そんなことを考えない人が自由なのです。お互い様で、ありがとうな精神なのだと思います。もしかしたら、その運転手さんは、あなたより稼いでいて、車が好きだから趣味で週末だけ運転手かもしれませんよ。

つまり「自由に生きる」というのは、自分のやっていること、自分や他人の生きざまに解説や注釈を加えないということなのかもしれません。

こんなことしたら格好悪いとか、格好いいとか、いい人に見えるとか見えないとか、あの人がそんなことをするなんてひどいとかひどくないとか。

私達スピリチュアルの世界の人間の考え方では、起きている物事に良い悪いは基本的にありません。色絵具の違いのように、赤いか青いか、それとも白いか黒いかだけで、好き嫌いはあっても、何色がいいとか悪いはないのです。

だから、自由でありたいと思うのであれば、自分の選んだ色と同じくらい、他の人が選んでいる色もOKであるということこそ、本来の自由なのではないかと思います。

そうすると、自分のやっていることはやりたいからやっている。誰かがやっていることや生き方も、それがどれだけ羨ましくても、どれだけ悲惨に見えても、「ああ、その人がやりたいからなんだ。妬んだり、つべこべ批判したりはやめておこう。助けてあげる必要もない。」ということなのです。

えっ?そんなのひどい?困っているなら助けないと?

そうですね、物質的な考え方だとそうなりますが、スピリチュアルだと、それも本人が選んだ結果なので、ほおっておくのが愛なのです。




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