ユダヤ教の「安息日(シャバット)」

ユダヤ教の「安息日(シャバット)」

記事
コラム

前回の話題からの延長なんですが、休むことへの罪悪感について。
実は世界には、その罪悪感がそもそも生まれない仕組みを持つ文化があります。

ユダヤ教の安息日、シャバットです。

金曜日の日没から土曜日の日没まで、仕事はもちろん、火を使うこと、電気のスイッチを入れること、車を運転することまで、細かく禁じられているとされています。
(宗派や家庭によって、実際の運用にはかなり幅があるようですが。)
傍から見ると、そこまでするの、と思うくらい徹底した「何もしない」ルールです。
働かないとかではなく、もう"禁止"なんだそう。すごい。

でも、これって裏を返せば、「休みたいけど、なんとなく罪悪感があって休めない」という悩みが、そもそも生まれない仕組みとも言えます。
休むかどうかを毎回自分で判断しなくていい。
休むことが、選択肢じゃなくて前提になっている。

少し余談ですが、わたしの名前「エデン」も、"楽園"という意味です。
あの有名なアダムとイブが暮らしていた場所こそ、エデンの園。
物語を端折ると、禁じられたことをしてしまった二人は楽園を追われ、そこから労働を強いられるようになった、とされています。
神話の中では、労働はそもそも"罰"だったわけです。

こういう物語が土台にある文化圏だからこそ、海外の方は日本人よりも、働かない時間そのものを尊いものとして扱えていたり、家族との時間や自分をいたわることを大事にできているのかもしれません。

私たちの暮らす日本の社会には、そこまで強制力のある休みの日はありません。
周りや制度は「休んでいい」と言ってくれているはずなのに、なぜか自分が自分に「本当に大丈夫?」と問いかけてしまう。
だからこそ、「今日は休んでいいのかな」「これくらいで休んでも大丈夫かな」と、毎回自分に確認を取らなければいけない。
これは地味にしんどいことです。

思い当たる方、いませんか?(昔の私なら完全に挙手です笑)
変化は、まず自認することから始まりますよね。

シャバットのような厳格なルールは、さすがに真似するのは難しいですが、その発想には、なるほどと思わされるものがあります。
宗教的な背景や文化、価値観の違いなど、理由はさまざまですが、休みへの向き合い方としては、お手本にしたい部分です。

実はわたしも、「月に一回だけは何があっても休む」という自分なりの決め事を、持っています。
休むことを、毎回の判断じゃなくて、決め事にしてしまう。
この「決める」というのが、かなり肝。
シャバットほどストイックでなくても、休むことを"決め事"にしてしまう、あの考え方なら、私たちの暮らしにも、少し借りてこられるんじゃないでしょうか。
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