休むことへの気まずさの正体

休むことへの気まずさの正体

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コラム

「お疲れ様です」「ご苦労様です」
日本語には、頑張ったことをねぎらう言葉がたくさんあります。
裏を返せば、それだけ「頑張ること」が前提になっている社会だと
いうことでもあります。

わたしの時代には学校には皆勤賞なんてものもありましたね。
(今まだあるのかな?)

休まず来ることが、ひとつの立派な実績として表彰される。
もちろん、一つのことを休まずやり遂げるというのは、
それ自体はすごいことです。
継続する力があるからこそ、できることだと思います。
ただ、その裏側で「休むこと」のほうが、当たり前からはみ出す行為として、
なんとなく歓迎されない空気になってしまうとしたら、
それは少し違う気がしていて。

休まないのが偉くて、休むのが良くない。
そんな二択にしたいわけじゃないんです。

そんな空気の中で育つと、
休むこと自体に、なんとなく罪悪感を持ってしまうのは、
わりと自然なことだと思います。

予定のない休日に落ち着かなくなったり、
誰かが働いていると思うと申し訳なくなったり。
休んでいる自分を、どこかでサボっている自分と重ねてしまう。

休むこととサボることは、本当は全然違うはずなのに。
でも「これは休み」「これはサボり」と、
はっきり線を引ける基準なんてどこにもなくて。
だから境界線はいつも曖昧なまま、
なんとなくスッキリしない気持ちだけが残ったりします。

これ、日本の国民性みたいなものも関係している気がします。
周りに合わせること、協調性を大事にすることを軸に育ってきた分、
一人だけ休むことにブレーキがかかりやすい。
だとしたら、しんどくなるのも当たり前で。

最初にも触れたように、
頑張ること自体が悪いわけでは全然ありません。
むしろ頑張ることは、素敵なことじゃないですか。
なんなら私自身、わりと頑張るガチ勢ですし笑。
ただ、頑張り続けるためには、それを支える土台がいる。
その土台が、休むことです。
本来の力を、ちゃんと発揮できる自分でいるための準備。
レストデザインでは、休むことをそう定義しています。

そこから先、どうするかを選べるのは自分です。
罪悪感を持ったまま休むのか、
その意識を少しずつ変えていく行動をするのか。

もしあなたが休むことに罪悪感を持っているなら。
その罪悪感と、どう付き合っていきますか?
それとも…
そろそろ退場してもらいますか?
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