人生は、有限です。
当たり前のことなんですけど、普段はあんまり意識しません。
もし人生の時間が無限にあったら、きっと「今日は何もしなかった」なんてことを、誰も気にしないと思うんです。
でも実際には、私たちに与えられている時間には限りがあって。
だからこそ、「この時間を無駄にした」とか「もっと有意義に使うべきだった」とか休んだ後に妙な罪悪感を覚えてしまうのかもしれません。
でも私は、休む時間も人生の中にちゃんと含まれている時間だと
思っています。
人生から切り離された、余分な時間なんかじゃなくて。
好きな仕事に打ち込んでいる時間も、大切な人と笑い合っている時間も、そしてソファに寝転んで何もしていない時間も。
全部、同じ「あなたの人生」という一皿に乗っている、それぞれの味だったりします。
どんなに甘いものが好きでも、それだけを食べ続けていたらいつか飽きてしまう。
酸っぱいものも、辛いものも、まだ出会ったことのない異国の複雑な味も、口に合うかどうかは、実際に食べてみないとわからない。
それでも一度食べてみるから、新しい味に出会える。
知らなかったことを知って、経験が増えるほど、自分の中の「好き」も「嫌い」も、引き出しがどんどん増えていく。
そうやって引き出しが増えていくと、見えてくることがあります。
フレンチや高級な割烹のような、上品で贅沢な食事。
おいしいし、素敵な時間には違いないけれど、それが今の自分にとって「いいもの」かというと、必ずしもそうとは限りません。
マックが食べたい気分の日に高級レストランへ連れて行かれても、なんだかしっくりこないし、ラーメンが食べたい気分のときに代わりにパスタを出されても、満足はできない。
つまり「〇〇だから、いい」という絶対的な正解はどこにもないんです。
高級だからいい、というわけでもないし、逆に安いからいい、というわけでもない。
食べたいときに、食べたいものを食べる。
休みたいときに、好きな休み方をする。
それが、何もしない一日だっていい。
大事なのは、何を体験して、何を感じられたか。
「嬉しい」「楽しい」「しあわせ」だけじゃなく、時には「悲しい」や「悔しい」だって、ちゃんと感じられたなら、それも立派な体験のうちです。
突き詰めれば、そこに尽きるんじゃないかと思っています。
そしてこの考え方こそが、私が伝えている「レストデザイン(休みの設計)」の、最初の一歩だったりします。
何かを達成した日だけが価値のある一日なわけじゃありません。
何もしなかった一日、ぼんやり過ごしただけの一日にも、ちゃんと意味がある。
そういう日があるから、次に頑張れる自分がいる。
それに、そういう静かな一日も、振り返れば案外、愛おしく思えたりするものです。
だから、どうか。
何もしない一日も、好きなことに没頭した一日も、慌ただしかった一日も、どの一日も大切に抱きしめて生きてもらえたらと思います。
それが積み重なって、あなたらしい人生の味わいになっていくはずだから。