『やさしさ迷惑5/100』

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第5話
「言ってない」より、ずっと痛い

11時ちょうど。
会議室のモニターに、先方の顔が映った。
東洋メディアの担当、田辺は、前回より少しだけ表情が固かった。
怒っているわけではない。
でも、もうこちらを全面的には信用していない。
そんな空気だった。

「本日はお時間ありがとうございます」

優作が頭を下げる。
隣では美月がメモを開き、真壁は少しだけ姿勢を正していた。
田辺は、短く会釈したあと、すぐ本題に入った。

『昨日の資料ですが、こちらの意図がうまく伝わっていなかった点は、こちらにも責任があると思っています』
丁寧な言い方だった。
でもそのあとに来る言葉を、優作はなんとなく予感した。

『ただ——』
やっぱり、来た。

『一点、気になったのは、既存施策の延長案としてまとめられていたこと以上に、前提条件の扱いです』
優作は眉を動かさないようにした。

『前提条件、ですか』
『はい。今回こちらでお願いしたかったのは、来月の新商品リリースに合わせた新規施策の提案です。そこは昨日お電話でもお伝えしたつもりでした』

会議室の空気が、少しだけ重くなる。
真壁が言う。
「すみません、そこは私の理解が曖昧で——」
『いえ』

田辺は遮らなかった。
でも、やわらかくもなかった。
『昨日のやり取りのあと、御社から送っていただいた資料を見て、こちらとしては少し不安になりました』

優作の喉が詰まる。
“不安になりました”
責める言葉より、ずっと痛い。
田辺が画面の向こうで資料を共有する。
昨日の3枚。
優作が作ったものだ。
赤いカーソルが、1ページ目のタイトルを指した。

『まず、タイトルに“次期展開案”とありますが、こちらは今回“新規リリース起点”でお願いしていました。ここでまず認識のズレを感じました』

次に2ページ目。
『それから、想定ターゲットが既存顧客寄りに見えます。今回は新規層も含めた広がりを相談したかったんです』

3ページ目。
『さらに、スケジュールが“現施策の改善版”として組まれていて、リリース日基準になっていない』
一つ一つは、小さい。
でもそれが並ぶと、ただのズレじゃなくなる。
この人たち、本当に分かっているのか。
そう思われても仕方ない形になる。
優作は、自分の手元の資料を見た。
昨日の自分は、たしかに焦っていた。
真壁の電話を受けながら、頭の中で“たぶんこういうことだろう”をつないで、形にした。
その時点で、ボタンは少しずつ掛け違っていたのだ。

『確認ですが』
田辺の声が少し低くなる。

『今回のご提案って、どなたがどの情報をもとに組み立てられたんでしょうか』
その質問は静かだった。
でも、かなり深く刺さった。
誰が。
どの情報をもとに。
つまり、責任の線を見にきている。
真壁が答えかけた瞬間、優作が先に口を開いた。
「昨日のお電話の内容を、私が整理して資料化しました」
真壁が横を見る。
美月は何も言わない。
優作は続けた。
「ただ、その段階で前提確認が足りていませんでした。そこは、こちらの確認不足です」

数秒、沈黙があった。
田辺は画面の向こうで、小さくうなずいた。
『わかりました』

そう言ったあとで、もう一枚、別の資料を映した。

『その上で、追加でお願いしたいことがあります』
優作の胸が、嫌な感じで沈む。
ここからだ。
これは、ここから増える。

『本日14時の再提案では、単なる新規案だけでなく、
既存施策との違い
新規案の想定リスク
社内説明用の要約
この3点も追加でいただけますか』

真壁が思わず言う。
「14時までに、ですか?」
『はい』
田辺は表情を変えない。
『正直、昨日の段階で一度認識がズレていたので、社内にも説明が必要になっています。こちらとしても、そのまま再提案を受けるだけでは通しにくいんです』

優作は、その言葉の意味をちゃんと理解した。
信頼が一段落ちたから、求められるものが増えた。
理不尽ではない。
でも、苦しい。
こちらのズレが、相手の慎重さを呼び、
その慎重さが、さらに仕事を重くする。
これが一番つらい。
打ち合わせが終わると、会議室の空気が一気に落ちた。
真壁が頭をかく。
「……やばいな」

桐谷ならたぶん、今の一言にいらっとする。
優作も少しだけした。
“やばい”で済む段階は、もう過ぎている。
美月が資料を閉じた。
「14時まで、あと3時間弱です」
「……ですね」
「新規案を組み直して、比較表を入れて、社内説明用の要約も作る」
優作は乾いた笑いをこぼしそうになる。
「無理じゃないですか」
その瞬間、自分でも驚いた。
口に出したことに。
でも、美月は笑わなかった。
「無理かどうかじゃなく、出すしかないです」
それは正しい。
正しいけど、今は少しだけきつい。

真壁が言う。
「俺、新規案のたたき作るから、優作は比較表いける?」
優作は答えなかった。
その比較表の元になる“既存施策と今回の違い”を、
最初に曖昧にしたのは自分たちだ。
今さらそれを、きれいに並べる。
まるで、自分のズレを見やすく整理するみたいで、
少し吐き気がした。
席に戻ると、佐伯がそっと声をかけてきた。
「中村さん、大丈夫ですか」
大丈夫じゃない。
でも、そう言うわけにもいかない。
「……うん」

佐伯は少し迷ってから言う。
「さっきの、聞こえちゃったんですけど」

優作は顔を上げる。
「先方、結構ちゃんと見てるんですね」
「……うん」
「ちょっとのズレでも、積み重なると怖いですね」
その言葉が、やけに真っ直ぐ入ってきた。
ちょっとのズレ。
ちょっとの確認不足。
ちょっとの思い込み。
本当にそうだ。
どれもその場では小さい。
でも、小さいからこそ流してしまう。
そして、流した分だけ、あとで大きくなる。
優作は比較表のファイルを開いた。
左に「先方が求めていたこと」
右に「こちらが出したもの」
並べるたびに、胸が苦しくなる。
新規の柱になる案
→ 既存施策の延長提案
新規層を含む広がり
→ 既存顧客寄りの整理
リリース日起点の設計
→ 従来スケジュールの流用
自分の画面に、失敗がきれいに並んでいく。
美月が横に立つ。
「その比較、社内説明用にも使えます」
「……はい」
「でも、そのままだと痛すぎるので、表現は少し整えます」
優作は苦笑する元気もない。
「痛すぎる、ですか」
「はい。事実は変えられないので」
事実は変えられない。
その言葉が、今日は何度も重く落ちる。
昼を過ぎたころ、先方からさらにメールが入った。
件名は短い。

【追加】参考事例について
本文はもっと短かった。

先ほどお願いした内容に加え、
類似案件の実績があれば1枚でご提示ください。
社内説得材料として必要になりそうです。

優作は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
追い打ちだった。
でもそれも、たぶん当然だ。
昨日のズレがなければ、ここまで求められなかったかもしれない。
真壁がメールを見て、小さく舌打ちする。
「今それ言う?」
美月は即答した。
「昨日の資料が刺さらなかったからです」
その一言で、誰も何も言えなくなる。

優作は、ふと窓の外を見た。
昼の光が強い。
なのに、今日はずっと薄暗い場所にいるみたいだった。
あの時、最初の電話で一言だけ確認していれば。
“新規案ベースでいいですか”
たったそれだけでよかったかもしれない。
でも、していない。
していないことは、戻らない。
そして今、自分はその代わりを、何枚もの資料で払おうとしている。
「中村さん」
美月の声がする。
「はい」
「比較表、あと20分で一回見せてください」
「……わかりました」
「それと」
優作が顔を上げる。
美月は少しだけ言いにくそうにしてから、言った。
「田辺さん、最後の方、中村さんじゃなくて資料を見てました」
優作は一瞬、意味が分からなかった。
「え?」
「人じゃなくて、出てきたものだけで判断する段階に入ってます」
会議室で感じた不安の正体が、そこで言葉になった。
信頼が落ちる時って、
怒られる時じゃない。
“この人の説明を聞こう”より、“出てきたものだけ見よう”に変わる時だ。
優作は、言葉を返せなかった。
14時まで、あと一時間ちょっと。
資料はまだ揃いきらない。
比較表は痛いまま。
新規案は詰め切れない。
追加依頼は増えた。
先方の目は厳しくなった。
それでも時間だけは進む。
優作はキーボードに手を置いた。
指先が少し震える。
ここで止まりたい。
逃げたい。
でも、止まったらもっと遅れる。
だから進めるしかない。
進めるしかないのに、
進めるほど、自分たちが何を落としてきたのかが見えてしまう。
些細なボタンの掛け違えだった。
本当に、最初はそれだけだった。
でも今はもう、
その“一つずつの小さなズレ”が、
全部まとめてこちらを締めつけている。
優作は画面を見たまま、深く息を吸う。
そのとき、チャットが鳴った。
送り主は田辺。

短い一文だけだった。

14時の件、役員も関心を持っている案件なので同席予定となりました。
宜しくお願い致します。

優作の手が止まる。鼓動が早まる。
役員。
それはもう、“少しズレた提案を立て直す場”じゃない。
一度落ちた信頼を、その場で取り返せるか試される場だ。
しかも今の資料は、まだ間に合っていない。
比較表は痛いまま。
新規案は浅いまま。
追加依頼は終わっていない。
それでも、14時は来る。
優作は画面を見つめたまま、やっと気づく。
今回まずいのは、提案がズレたことだけじゃない。
“この人たちに任せて大丈夫か”を、先方が見始めていることだ。
そして、その答えを一番先に出さなきゃいけないのが、
たぶん今日、
自分だ。

第6話へ続く
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