『やさしさ迷惑4/100』

記事
学び
第4話
「たぶん大丈夫」が、いちばん危ない

翌朝のオフィスは、いつもより少しだけ張っていた。

空気が静かなわけじゃない。
むしろ電話は鳴っているし、誰かが急ぎ足で会議室を行き来している。
でもその慌ただしさの中に、
まだ言葉になっていない“嫌な予感”みたいなものが混ざっていた。

中村優作は、朝一番のコーヒーを机に置きながら、
自分の受信トレイを開いた。

未読が12件。

そのうち一番上にあったメールの件名で、手が止まる。

【至急確認】本日14時ご提案資料について

差出人は、昨日話していた先方企業の担当者だった。

優作はメールを開く。

昨日お送りいただいたたたき台を社内共有したところ、
想定していた提案内容と少し認識の違いがあるようでした。
本日14時のお打ち合わせ前に、一度認識合わせのお時間をいただけますでしょうか。

優作は、二回読んだ。

“少し認識の違いがあるようでした。”

この言い方の時は、だいたい“少し”じゃない。

「……うわ」

思わず声が漏れた。

「何」

斜め前から、美月の声が飛んできた。

優作が顔を上げると、
相沢美月はすでにPCを開いていた。
まだ朝なのに、もう一日の半分くらい終えていそうな顔をしている。

「先方からです。昨日送った資料、認識ズレてるっぽくて」

美月は椅子を少しだけ引いて、手を止めた。

「どの案件ですか」

「東洋メディアさんの件です」

その瞬間、美月の視線が少しだけ鋭くなる。

「昨日、真壁さん経由で来たやつですか」

「……はい」

「誰が最終確認したんですか」

優作は答える前に、一瞬だけ考えた。

昨日の夕方。
真壁から電話が来て、
“ざっくりでいいから方向性だけ合わせたい”と言われた。
その場で話して、
優作がメモして、
夜のうちに軽く資料にして送った。

たしかに送った。
でも——

「……最終確認、っていうほどは」

美月が瞬きを止める。

「してないんですか」

「いや、真壁さんとは電話で話して」

「電話で話した、は確認になってません」

優作は何も言えなかった。

そのとき、後ろから桐谷が半分呆れた声を出す。

「始まったな」

「何が」

「“たぶん大丈夫だったはず案件”だよ」

優作は眉をひそめる。

「そんな名前ついてんの?」

「お前の中では、毎回ついてないだけ」

優作は昨日送った資料を開いた。

1ページ目、提案の全体像。
2ページ目、実施イメージ。
3ページ目、スケジュール案。

たしかに見た目は悪くない。
まとまっている。
でも、妙に胸がざわつく。

何かが、足りない。

いや、違う。
何を前提にこの提案を作ったのかが、曖昧だ。

そこへ、真壁本人が現れた。

「おはよー、中村くん。昨日ありがとね」

その明るさに、優作は少しだけ腹が立ちそうになる。

「真壁さん、先方から連絡来てます」

「え?」

「認識がズレてるっぽいです」

真壁は優作の画面をのぞき込み、
メールをざっと読んで、
「あー」と声を漏らした。

「でも、これくらいなら大丈夫じゃない?」

美月がキーボードを打つ手を止めた。

「何が大丈夫なんですか」

真壁は、少しだけ笑ってごまかすような顔をする。

「いや、まだ打ち合わせ前だし。今日すり合わせれば——」

「“すり合わせれば大丈夫”の前に、何がズレたか把握してますか」

空気が、少しだけ変わった。

真壁も一瞬黙る。

優作はその横顔を見ながら、
昨日の自分もたぶん同じ顔をしていたと思った。

なんとなくいける。
たぶん大丈夫。
細かいことは打ち合わせで詰めればいい。

その“たぶん”が、今こうして戻ってきている。

「昨日、誰が何を前提にしていたか、整理しましょう」

美月は立ち上がりながら言った。

「中村さん、会議室取ってください。真壁さんも5分ください」

真壁が少し戸惑う。

「え、今?」

「今です。14時まで時間がないので」

有無を言わせない声だった。

優作は立ち上がって会議室を押さえる。
その間に、佐伯がそっと近づいてきた。

「中村さん、何かありました?」

「……ちょっと認識違いが出て」

佐伯は小さくうなずく。

「昨日の資料ですか」

「うん」

少し迷ったあと、優作は聞いた。

「佐伯なら、あの資料見て、何向けの提案だと思う?」

佐伯は少しだけ画面を見てから言った。

「えっと……既存の延長提案、ですか?」

優作は息を止めた。

「……やっぱり?」

「はい。新規提案というより、“今ある案を少し広げる”ように見えます」

優作は小さく目を閉じる。

先方が求めていたのは、
昨日の電話で真壁が言っていた限りでは、
**“新しい打ち手”**だったはずだ。

でも、真壁の言い方は曖昧だった。
優作も、確認しなかった。
結果、資料は“無難な延長案”になった。

ズレている。

しかも、わりとはっきり。

会議室に入ると、美月がすでにホワイトボードに線を引いていた。

左に
先方が欲しいもの

右に
こちらが出したもの

その二つだけ。

「真壁さん、昨日の電話で先方は何を求めていると理解しましたか」

真壁は腕を組む。

「えーと、今の施策がちょっと伸び悩んでるから、次の一手がほしい感じで」

「“次の一手”は、新しい施策ですか。既存の改善ですか」

「……たぶん、新しいやつ寄り」

美月は優作を見る。

「中村さんは?」

「僕は……今の施策をベースに広げる話だと思ってました」

「確認は?」

「……してません」

美月は何も責める顔をしなかった。
ただ、淡々と書く。

先方:新しい打ち手を期待
こちら:既存施策の延長案を提出

その文字を見た瞬間、
優作は胃の奥が少しだけ重くなる。

たったそれだけだ。
でも、たったそれだけで、
提案の意味はほぼ変わる。

「これ、資料の出来の問題じゃないです」

美月が言う。

「最初の認識確認が抜けています」

真壁が苦い顔をする。

「……でも昨日、向こうもそこまで明確に言ってなかったんだよね」

「だから確認するんです」

即答だった。

「曖昧な依頼を曖昧なまま受け取って、
そのまま形にすると、あとで“なんか違う”になります」

優作はその言葉を、黙って聞いていた。

どこかで、自分に向けて言われている気がした。

いや、たぶんその通りだった。

その時、優作のスマホが震えた。

先方からの着信。

会議室の空気が止まる。

「……出ます」

優作は喉を一度だけ鳴らして、通話を取った。

「お世話になっております、中村です」

相手の声は丁寧だった。
でも、その丁寧さの中に、少しだけ困惑が混ざっている。

『昨日の資料、ありがとうございます。
ちょっとこちらの伝え方も悪かったかもしれないんですが……』

優作は目の前のホワイトボードを見る。

美月が、ペンを持ったままこちらを見ている。
桐谷ならここでたぶん言う。
“また曖昧に受けるなよ”と。

優作は息を吸う。

「いえ、こちらの確認不足でした。
一点、先に確認させてください。
今回、御社が欲しいのは、現状施策の改善案というより——
新しい打ち手の提案、という理解で合っていますか?」

会議室の中が、静かになる。

電話の向こうで、相手が少し間を空けたあと、言った。

『はい、その認識です。
今ある延長ではなく、次の柱になりそうな案を期待していました』

優作は目を閉じた。

やっぱり、そうだ。

でも同時に、少しだけ違う感覚もあった。

ちゃんと聞けた。
今、逃げずに聞けた。

「承知しました。
こちらの認識がずれていました。
14時までに、新規案ベースで組み直します。
その前に10分だけ、要件確認のお時間をいただけますか」

電話の向こうの声が、少しだけ柔らかくなる。

『ありがとうございます。では11時に少しお時間取ります』

通話が切れる。

会議室の中で、誰もすぐには何も言わなかった。

優作はスマホを置く。

その手が、少しだけ汗ばんでいる。

真壁がぽつりと言う。

「……ごめん。昨日、俺もそこ曖昧だった」

優作は首を振る。

「いや、僕も確認しなかったんで」

美月はホワイトボードに新しく書く。

11時 要件確認
14時 再提案

そして振り返る。

「ここからです」

その一言で、空気が仕事の顔になる。

大きく息をつく暇もないまま、
優作たちは組み直しに入る。

でも優作の中には、
さっき電話口で確認したあの一言が、まだ残っていた。

確認させてください。

たったそれだけで、
壊れかけた話が、少しだけ戻った。

ただ——
問題は、ここで終わりではなかった。

11時の要件確認で、
先方がさらにもう一つ、
“聞いていない条件”を出してくることを、
この時の優作はまだ知らない。

第5話へ続く。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら