母親には弟がひとりいる。
奇妙なことに、その弟は親族から苗字で君付けで呼ばれている。
母の母、自分からしたらおばあちゃんも同様だ。
母親に、叔父をいつからその呼び名で呼んでいるか聞いたところ、わからないとの返答。
この呼び名は空気の如く、違和感なく親族たちのあいだで広く受け入れられていた。
血が繋がっていないとか、養子ではない。
れっきとした、実の姉弟だ。
複雑な家庭問題を含んでいるということも一切ない。
こどもの頃から、その呼び名に違和感はなかった。
90年代の後頭部が盛り上がったスケルトンiMac、外国産クワガタ、熱帯魚、ニューバランス、カメラなどは叔父からの影響を多分に受けた。といっても、詳しく教えてもらということはなく、きっかけをくれた。
ネットがないので、知りたいことは書籍を頼って解答を探した。
面白いのは、ほんとうにきっかけだけをくれるということ。叔父に電話をして、疑問点など聞けない。そうゆう空気を彼は出している。
その存在は、唯一無二でまったく読めない。
気難しさとユーモアを兼ね備えている。
そして、趣味人。
今は、高校生の頃にバイトで入った都内の映像スタジオで代表を勤めている。
10代から自分の道が定まっている。
ここの部分、ブレない強さとして自分の中で評価が高い。もちろん叔父には言わない。言えない。
水商売酒屋で車を運転する際は、ペーパードライバーだった自分を、連れ出して教えてくれた。
「車の形をイメージしろ」
「タイヤはどこに向いている?」
「左折する時は右に膨らむな」
「右折する時は、慎重に。まごまごするな」
「そこまで車間距離を詰めるな。開けすぎるな」
文面で起こすと厳しい印象を受けるが、まったくそうではない。「無理をしない人」という言葉がぴったり当てはまる。
見栄のためにブランド品を買ったり、お姉ちゃんの店に行ったりもしない。
実際そうなのだ。家庭もあり、ひとり息子がいるがべったりということもない。
職場の同僚に言われたことがある。
「いっくんって宝くじ買わなそう」
そのとおり。宝くじは買わない。
そう思わせる空気感を纏っているというところに、叔父との共通点を感じる。