趣味が冷めるとき

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小学生の頃、夢中でプロ野球選手のカードを集めていた。

小学校の野球クラブに入っていたし、その当時ニンテンドー64のパワプロにもがっつりハマり込んで勉強そっちのけで遊んでいた。
ポテチにもカードがおまけでついていたっけ。
この場合、ポテチがおまけか。

イチローもゴジラも日本にいた。
プロ野球が面白くてしょうがなかった。
家庭科の課題では、東京生まれの東京育ちにも関わらず、ジャビット君には一瞥もくれず、中日ドラゴンズの関川(こども心に泥臭いヘッドスライディングに漢気を感じた!)のファンということもあり、クロスステッチでシャオロンの顔をデカデカとクッションカバーに描いていった。

月日は経ち、あの時ドラフト会議で選ばれたルーキー達は今や球団の監督やコーチになっている。

中学入学を1ヶ月に控えた、春休み。溜まりに溜まったプロ野球カードを整理していると、今まで思ってもみなかった視点が湧き上がってきた。

(この選手たちは誰かのお父さんってことだよな? ってことは、この選手は自分と同い年くらいのこどもを持つ高給取りのお父さんってことだ。
その選手のこどもは自分のお父さんがいくら有名人でも、小遣いを貯めて写真を買うことはしないよな。俺はいままで何をやってきたのか)

目の前が真っ白になった。花粉症ではない。

家にあったダンボールに、袖机から事務的にプロ野球カードを取り出し、目の届かない押し入れへしまいこんだ。結果、中学3年間は一度も開封することはなかった。高校1年の頃には、長年集めてきた"いろいろなお父さんたち"を友達と一緒に売りにいった。二束三文の小銭を手にした自分は何故だか清々しかった。

趣味からの解放は決して悪いことでは無い。

見えない鎖に自分でも気づかずに繋がれている場合があるということを学んだからだ。

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