誰かに反対されたり、
自分が大切にしているものを理解してもらえない時、
人は思っている以上に
心が揺れてしまうものだと思います。
私も、
「どうしてそんなに惹かれるのか」
「なぜそこまで信じられるのか」を伝えても
周囲に理解されにくかった時期がありました。
今日は、
そんな私の歩みの中で
支えになってきた出来事を綴ってみます。
私の父方と母方の親族は
日本信仰を大事に守り、
その環境の中で私は育てられてきました。
以前にも少しブログで触れましたが、
私は心が深く沈み、
立ち上がる気力が持てなかった時期があります。
その頃、
不思議な感覚とともに、
心の奥に残る言葉がありました。
「あなたが生きているうちに、
あなたご自身が本当に信じられる専属のコーチ、神を見つけなさい」
そんな意味に、
私には感じられたのです。
当時の私は思わず、
「もう遅いよ。こんな年齢で…」
「神様って、みんなの神様でしょう?」
そんなふうに
心の中で言い返していました。
するとまた、
「あなたが自分の目と足を使って
探し出しなさい。
ご自分の手で食事ができている間に、
遅いことは何もない。」
そのように受け取れる感覚が
私の中に残りました。
もちろん最初は、
そんな感覚を信じることはできませんでした。
けれど不思議なことに、
その感覚を受け取りながら
少しずつ行動を起こしていくうちに、
私の心は少しずつ
楽になっていきました。
いつしか私は、
ベッドから起き上がり、
少しずつ普通の生活を取り戻していったのです。
果たしてあの時の感覚は
何だったのだろう…。
私は長い間、
その答えを探してきました。
そしてある時、
私は教会の扉を開きました。
一歩、中へ入ったその時です。
静かな空間の中で、
牧師が聖書の言葉を語っていました。
私は……
私は……
涙が止まりませんでした。
ティッシュ3枚では
拭いきれない状態だったことを
今でも覚えています。
牧師のメッセージの中で語られていたことが、
私の中にあった「ずっと、探していたもの」と
深く重なったのです。
「霊妙なる議士」
「聖霊さま…」
この言葉は・・・
あの時の・・・
あぁ、
私はここに導かれてきたのかもしれない。
そんな思いが、
静かに心の中へ広がっていきました。
(その後、私は
10年ほど教会に通い、聖書に触れて学ばせていただき
教会の人たちには、感謝しかありません。)
それまでの道のりは、
決して穏やかなものではありませんでした。
親兄弟から強い反対を受け、
想像以上に心が揺れたのです。
ある日、庭先で私は
こんなことを思っていました。
「神様と離されることが怖い…」と
無意識に呟いていたんです。
すると、
久しぶりに心の奥に
響くような感覚がありました。
「誰が私たちを
離すことができようか…」
その言葉を私は、
素直に信じました。
もう、なにも悩まない。
そう決めた日でもありました。
今日の言葉は、
ローマの信徒への手紙 8章38〜39節
「私は確信しています。
死も命も、天使も支配者も、
現在のものも将来のものも、
力あるものも、
高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、
神の愛から、
わたしたちを引き離すことはできない。」
誰かの反対や、
周囲の理解のなさに、心が揺れる日があっても、
本当に大切なものや想いは
そう簡単に失われるものではないのだと
私はこの言葉に支えられました。
また
自分の人生・ビジネスなど
新たに何かを新しく始めるとき
人は
身近な人の意見を求めてしまいます。
しかし
”ドリームミラーに気をつけろ”と
私の心の中で密かに思います。
自分の人生です。
・「最後まで責任を持って生き抜く。」
・「誰があなたの人生に責任を持ってくれるのですか?
親はいつか先に旅立ちます。」
・「配偶者が何かのきっかけで、見切りをつけてきたら
それまでです。」
自分の軸・夢・出逢う人によって
私たちは”小さな一歩を選択する力”が
まだあります。
いつの日か
必ずよい実を結ぶと信じている私です。
最後に
私は聖書の言葉を土台にしながら、
日々の気づきや癒しを言葉にしています。
けれど、
読む方それぞれの大切な信仰や支え、
人生の中で信じているものと重ねながら、
自由に受け取っていただけたら
嬉しく思います。
~静かに心を整える言葉のサロン~
あなたの言葉にならない想いを
やさしく言葉に変える場所
心に寄り添う相談員・文章サポーター 陽子