最近、私は仕事で大手メーカーの販促プロジェクトに関わり、商業施設の店頭で加熱式タバコの本体(専用機器)を販売する現場に立っている。
最先端の製品を扱い、その魅力を伝えるのが私の役割だ。しかし、そのすぐ横には販促用のタバコ(試供品)も置いている。
そこで、どうしても視界に入ってくる50代前後の男性がいる。毎日その商業施設をうろついていて、仕事をしている様子は見受けられない。
彼の目的は、スタッフの隙を突き、キャンペーンの試供品から「数本」だけを抜き取っていくことだ。スタッフに「ダメですよ」と注意されても、別のスタッフが対応している隙を狙ってまた近づいてくる。こちらをチラチラと伺い、目が合えば視線を泳がせる。
正直、私の頭には一つの疑問しか浮かばなかった。
「なんでそこまでして、それをやるの?」と。
自分の価値を「26.5円」に設定する虚しさ
冷静に計算してみる。
530円で20本入りのタバコなら、1本あたりわずか26.5円だ。
3本手に入れたところで、得をするのはたったの79.5円。
80円にも満たないそのわずかな金額のために、彼は「人から軽蔑される危険」を冒し、コソ泥のような真似を繰り返している。
20年、営業の世界で「信用」を積み上げて商売をしてきた私の感覚からすれば、これはあまりにも割に合わない、最も損な取引にしか見えない。彼は、自分自身の価値を「タバコ1本分」にまで自分で値下げしてしまっている。そのことに気づかないのだろうか。
なぜ、そこまでしてやるのか
彼にとってそれは、もはやタバコが吸いたいという欲求を超えているのかもしれない。
社会的な役割もなく、誰からも必要とされない空虚な時間の中で、その「数十円をくすねる」という歪んだ成功体験だけが、彼が自分の存在を感じられる唯一の手段になってしまっているのではないか。
スタッフの顔色を伺い、ルールの隙間を突く。
その瞬間のスリルだけが、彼の止まった日常を動かす燃料になっているのだとしたら、それはあまりに悲しい。
「情けなさ」の正体
正直に言えば、彼を見ていて「情けない」と感じてしまった。
でもそれは、彼を上から目線でバカにしたいからではない。
20年、泥臭く現場を這いずり回って、必死に「信用」を積み上げて商売をしてきた自分にとって、大人の男が数十円のために自尊心を削る姿を見るのは、身を切られるように辛いのだ。
「もし自分が、社会との繋がりをすべて失ったら、ああならないと言い切れるだろうか?」
そんな、自分の中にあるかもしれない『弱さ』を突きつけられているようで、やりきれない気持ちになる。彼という個人を否定したいというより、彼をそこまで追い込んでしまった「何か」に、言葉にできない虚しさを感じているのかもしれない。
自分を安売りしないという矜持
「犯罪は犯罪だ」という一線はもちろんだが、それ以上に「大人が自分の価値をここまで安売りしてはいけない」と強く思う。
どれだけ生活が苦しくても、自分の行動を「正々堂々としたもの」として保つこと。
その誇りを捨ててしまったら、もう一度立ち上がるための気力さえ失ってしまう気がするからだ。
彼の泳ぐ視線を反面教師に、私は今日も、自分の価値を自分で高められるような仕事をしていきたい。自分の価値を、タバコ1本分(26.5円)にまで値下げしないために。