「神を疑う」ということについて

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占い
こんにちは、玄巌です。

まれに霊視や祈祷をご案内すると、

「本当に効果があるんですか?」
「科学的根拠はあるんですか?」
「正直、疑ってます」

といったお声をいただきます。

神というものは目に視えないものですから、疑いたくなる気持ちは分かります。その考えを否定するつもりはありません。

今回の記事では、
"「神を疑う」ということに対する私のスタンス"
をお伝えできればと思います。

まず理解してほしいこと:「疑い」と「疑問」は違う

話を進める前に、一つだけ明確にしておきます。
「疑い」と「疑問」は全然違います。

疑い:「どうせ嘘だろう」と心を閉ざすこと
疑問:「よくわからないから教えてほしい」と心を開くこと

疑問は大歓迎です。
むしろどんどん聞いてください。

「神降ろしの儀って、具体的に何をするんですか?」
「祈導術式は、どういう仕組みで効果が出るんですか?」
「なぜ熊野の神々なんですか?」

こういう質問は遠慮なくしてください。
疑問は理解への第一歩だからです。

一方、「疑い」は違います。
最初から「どうせ効果ないんでしょ?」と否定的な態度になるからです。

疑いながら受けても効果は出にくい

はっきり言いますが、疑いながら受ける鑑定や祈祷は効果が出にくいです。

理由は簡単です。
あなたの心が閉じているからです。

神降ろしの儀を通して神々の声を聞き、あなたに伝える。
ですがあなたが「どうせ嘘だろう」と心を閉ざしていたら、それは届きません。

誰かが優しい言葉をかけても疑っていたら心に響かない。それと同じです。

医者を信じていない人は医者の言うことを聞かない。だから治らない。
上司や先輩を信じていない人はアドバイスを素直に受け入れられない。だから変われない。

神々も同じです。
いや、むしろ人間と違い生身のコミュニケーションが取れない分、皆さんが想像している以上に冷ややかなものかもしれません。

人間同士でしたら、話し合いや何かきっかけとなる出来事があれば心開くことがありますが、神々との対話ではそれがありませんから。

数えきれないほどの相談者を視てましたが、一回切れた縁はほとんどが切れたままです。

いくら神社に足を運ぼうが、手を合わせて必死に祈ろうが、何も変わらない。
この記事を読んでいる人の中にも「何も変わらないじゃないか」と落胆した経験を持ちの人もいるのではないでしょうか。

盲信しろという話ではない

神々の声を信じる。
神々の導きを信じる。
それが流れを動かす第一歩です。

ですが、その全てを信じ切り、人生の舵取り全てを任せるような盲信は不要です。

心を開くこと。
ただそれだけでいいのです。

「しっかり神々の声を聞いてみよう」「丁寧に導きを受け取ってみよう」と心を開く。
それだけで神々の声は届きやすくなります。

最後に

目に視えないことを疑う気持ちはよく分かります。

ただ、疑うくらいなら霊視や祈祷といった類は受けないことをオススメします。お互いのためになりません。

もう慣れましたが、やはり疑われるのは素直に気分が悪いです。笑
そんな無礼な人ではなく、別の大切なお客様に時間を使いたいですからね。

でも、もしあなたが心を開いて「神々の声を聞いてみよう」と思ってくださるなら。

私は全力であなたに寄り添います。

「何を相談したらいいかまとまってない」
「こんな内容の相談でもいいのだろうか」

といった不安もあると思いますので、
まずはDMからお問い合わせいただいても大丈夫です。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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