昔の「輝き」、今の「守り」──保育のあいだで育まれるもの
昔話が好きなわけではないです。でも、少し考えたいとおもいました。
「最近の保育、ちょっと窮屈になった気がする」
そんなふうに感じたことはありませんか?
もちろん、現代の保育が進化していることは誰もが認めるところです。事故を防ぐルール、安全な遊具、アレルギーへの細やかな対応……子どもたちの命と健康を守ることが、何より優先される時代になりました。
でも、ふと立ち止まって思い出すのです。泥だらけで遊び、木に登り、虫に夢中になった日々。転んで泣いて、でも自分で立ち上がったあの頃。
そう、昔の保育には「輝き」がありました。
昔の保育が教えてくれたこと
昔の保育は、良くも悪くも「おおらか」でした。
細かい規則や禁止事項は少なく、保育士もすべてに手を出すのではなく、子どもたちを温かく見守っていました。そこには、自分で考え、試し、失敗して学ぶ「体験の宝庫」があったのです。
地域の大人たちも、子どもを見守る存在でした。通りすがりの商店のおばちゃんも、近所のよく怒る怖いおじさんも、みんなが保育者のような存在だった──そんな人間関係のぬくもりの中で、子どもたちは育っていたのです。
もちろん、衛生や安全の面では課題もありました。けれども「子ども自身が育っていく力を信じる」という姿勢は、間違いなく、そこにあったように思えます。
現代保育のジレンマ──「安全」と「学び」のバランス
今の保育は、安全が最優先。だからこそ、遊びの幅が狭まってしまう場面も増えました。
「木登りは禁止」「泥遊びは汚れるからやめて」──こうした言葉が、子どもたちの好奇心や挑戦を奪ってしまうことが多々あります。
たしかに木登りは、落下したら骨折などの大きな事故につながる危険性があります。しかし、安全をとる一方で、子どもの学びの機会を奪っていないでしょうか。どのくらいの力加減が必要か、どんな上り方は危ないのか、この枝に足を置いていいものかどうか、など、考える事が山のようにありました。
そんなことは、危険を冒さないでも、経験出来るという方もいると思いますし、確かにそうだと思います。ただ、子どもたちの日常の「遊びの中」にはありません。こんなにも、体験して学べるタイミングはないかもしれません。その「機会」を大人の「危ないから」という理由で、奪ってしまうのはどうなのかと思います。
泥あそびも同様です。汚れるか、衛生的に。確かにそうです。後の洗濯や片付けなどとても大変です。では、大人の「大変」を理由に子どもたちの学びを奪うことは良いのでしょうか?泥あそびを通して、「どれくらい水を入れたら砂がどうなる」「ここの砂はこうなるけど、あっちの砂は感触が違う」「この位置に溝を掘ると水が流れる」など、子どもたちが遊びながら、「学ぶ機会」を奪ってしまうことにはつながらないでしょうか?
本当に必要なのは「どうすれば安全に挑戦できるか」という視点です。
危険を完全に排除するのではなく、子どもと一緒にリスクを考え、挑戦を支える力。それこそが、保育者に求められている専門性なのではないでしょうか。
今、できること──未来へつなぐ保育の形
では、今の保育の中で、子どもたちの「輝き」をもう一度育むにはどうしたらいいのでしょうか?
🌱 子どもの「やってみたい」を応援すること
禁止するのではなく、「どうすれば実現できるか」を一緒に考えることで、挑戦する意欲を育てます。
🧠 失敗を見守る勇気を持つこと
すぐに手を出さず、少し距離を取って見守ることで、子どもは自分で乗り越える力をつけていきます。
🌍 地域とのつながりを取り戻すこと
保育園の外にも学びの場はあります。地域の人との交流や自然とのふれあいを通じて、子どもたちの世界は広がります。
🔥 安全の「定義」を見直すこと
安全とは「危険をゼロにすること」ではなく、「危険にどう向き合えるかを学ぶこと」。この視点に立つことで、保育の質は一段と高まります。
保育の本質は、時代が変わっても変わらないものかもしれません。
それは、「子どもが自分らしく育つこと」。昔の保育が教えてくれたのは、「信じて待つ」こと、「寄り添うこと」、そして「子どもには力がある」ということ。今の保育の中でも、その「輝き」を灯していくことは、きっとできるはずです。
子どもたちの目がキラキラと光る瞬間──その一歩先を、私たち大人がどう支えるか。
保育の未来を、昔から学びたいと思いました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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