こんにちは。
今日は、私がデザインを仕事にするまでの話を書いてみようと思います。
デザインを仕事にするまでに、
ずいぶん遠回りをしました。
でも、思い返すと、
出発点はずっと同じ場所にありました。
私はずっと、図工の時間が好きだった
小学校1年生のとき、花の絵を描く授業があった。
まやちゃんと並んで、パンジーを鉛筆でスケッチして、水彩で色をのせた。
水彩の色がきれいに出て、
鉛筆の輪郭もさりげなく残って、
自分でも「うまくいった」と思える絵だった。
友達にも褒められていたその横で、
まやちゃんが突然、黒い絵の具で輪郭をなぞりはじめた。
「こうするといいんだって〜」
アニメみたいで、確かに楽しそうだった。
私も、さっきうまく描けたその絵に、黒い線を足しはじめた。
しばらくして先生が見て、
突然、大きな声で言った。
「なんでこんなことするの!?
よく見て!!そんな線、お花についてますか!?」
今思えば
「せっかくうまく描けていたのにもったいない」
という気持ちだったのかもしれないし、
「実物に忠実に」という教育方針だったのかもしれない。
でも当時の私は、ただ、強く叱られたことだけを覚えている。
似たようなことは何度もあった。
課外授業で牛を描いたとき、私は牛をじっと観察せずに、
牛っぽいものを楽しく描いた。
太陽と青空。
頭の位置は、馬みたいに高かった。
「よく見て!!
牛さんの頭は背中より上ですか?下ですか?」
見てみると、確かに下だった。
でも今思えば、
そんなに強く叱ることだっただろうか、って思う。
「うまくできてるね。でもね」
それくらいでよかったんじゃないかと。
私は、先生の指摘で覚えているのは
図工のことばかりだ。
たぶん、それくらい印象が強かった。
「感じたまま描く」を、私はやめた
そういう経験が重なって、
私はだんだん
「感じたまま描く」ことを避けるようになった。
「うまく描かなくちゃ」
「間違えたらだめ」
そしていつのまにか、
「絵はうまくない」
「得意じゃない」
そんなふうに思うようになっていた。
でも、描くこと自体はやめられなかった。
受験生のころも、親に隠れて絵を描いていた。
ゴミ箱に捨てると見られるから、
机の一番手前の引き出しに、紙やノートを溜め込んでいた。
親は、絵を描いていると
「遊んでる」「勉強しなさい」と言った。
そのうち私は、
「絵は大切なものじゃない」
「人生には関係ない」
という価値観を、自分の中に置いた。
評価される人生を生きて、満たされなかった
大人になって、
生活費を稼いで、人に認められて、
社会の中でちゃんと役割を果たすことに必死だった。
評価のことばかり考えていた。
でも、どれだけ頑張っても、満たされなかった。
結婚して、子どもができて、
営業職のままでは自分が壊れると思って、専業主婦になった。
妊娠や出産の時期、
子どもの頃の記憶をよく思い出した。
好きだったこと。
ショックだったこと。
あんなに好きだった図工。
週に1時間しかなくて、
理想の制作物はいつも時間内に完成しなかった。
夫のおかげで、贅沢はできないけれど、
時間ができた私は思った。
ちゃんと、自分の好きなことをやろう。
やらないと、このままおばあさんになって死ぬな、って。
子どもに
「好きなことやりなさい」
って言えなくなるな、って。
最初は、子どもみたいなことをするのに抵抗があった。
でも、やり始めると止まらなかった。
今はYouTubeもあって、
ノウハウはいくらでも見られる。
そうしているうちに、
パートするくらいなら、
この美的センスでお金にしてやろう、と思った。
そして今、私はデザインをしている
今、私のデザインが
誰かの役に立っていることが、泣けるほど嬉しい。
これからも仕事としてデザインをやっていけることが、心からうれしい。
私は、個人で頑張る女性を応援している。
それは、みんな
自分の得意なことを使って生きている人たちだから。
私は、そういう人たちに
自分を重ねている。
心から、応援している。
そしてたぶん、
私は心から美術を愛している人間なんだと思う。
隠しても、離れても、
結局ここに戻ってきたから。
Nariaは、
そうやって始まった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
社会の価値観に揺らぎながらも、
それでも自分の得意を信じて立っているあなたを、
私は心から応援しています。
今日も、あなたの感性がちゃんと息をできますように。