書きあぐねる作家の髙橋P.モンゴメリーは、昨晩から朝にかけて、noteの通知がいつもより多いことに気づいた。
スキがつく。
フォローされる。
誰かが、自分の文章の前で少し立ち止まってくれた気配がある。
それはもちろん、うれしい。
うれしいに決まっている。
以前は、一日に二百人ほどの方が読みに来てくれていたこともあった。あの頃のありがたさを、僕はまだちゃんと覚えている。
文章というものは、部屋の中でひとり書いているようでいて、誰かに読まれた瞬間に、少しだけ外の空気を吸う。
だから通知が増えるのは、うれしい。
なのに。
そのうれしさのすぐ隣に、変な不安が座ってくる。
もしかして、どこかで晒されているんじゃないか。
誰かが僕の文章を見て、知らない場所で何か言っているんじゃないか。
そう思ってしまう。
なんとも面倒くさい。
読まれたいくせに、読まれると怖い。
見つけてほしいくせに、急に見つかるとカーテンの裏に隠れたくなる。
けれど、よく見てみれば、嫌がらせはなかった。
変なコメントが来たわけでもない。
心ない言葉を投げられたわけでもない。
ただ、スキが増えて、フォローが増えて、誰かが読んでくれていただけだった。
だったら、素直に喜べばいい。
そう思う。
そう思うのだけれど、人間はそう簡単にはできていない。
今日は雨だ。
窓の外は少し暗くて、道の色もいつもより濃い。雨の日は、どうしても気持ちが内側に向かう。
けれど今日は、雨だけど涼しい。
それはそれで、ありがたいことだ。
雨はいやだ。
でも、涼しいのはうれしい。
寒いと、あたたかくなれと思う。
暑いと、涼しくなれと思う。
人って本当にわがままだ。
エアコンの設定温度を25度にしたとき、ふと思う。
これは暖房寄りなのか。
それとも冷房寄りなのか。
25度という数字は、なんだか中立の顔をしている。
寒い人には少し足りなくて、暑い人には少し物足りない。
どちらにもいい顔をしながら、どちらにも完全には寄り添わない。
まるで人間関係の達人みたいだ。
いや、エアコンにそんな重い役割を背負わせるのもどうかと思う。
雨の午前に、僕はそんな無駄なことを想っている。
noteの通知が多くてうれしい。
でも少し不安になる。
雨はいやだ。
でも涼しいのは助かる。
寒ければあたたかさを求め、暑ければ涼しさを求める。
そしてエアコンの25度に、暖房なのか冷房なのかを問いかける。
なんて無駄な時間だろう。
でも、こういう無駄なことを考えている時間が、案外いちばんエッセイになるのかもしれない。
役に立つことばかり考えていたら、たぶん僕は何も書けなくなる。
雨の音を聞きながら、スマホの通知を眺める。
うれしい。
少し怖い。
でも、嫌がらせはない。
ただ誰かが読んでくれた。
それだけのことを、今日はちゃんと喜んでもいいのだと思う。
雨だけど、涼しい。
通知も鳴った。
エアコンの25度はいまだに謎だ。
そんな午前も、悪くない