こんにちは、効率オタクです。
・学生の時、専攻した学問によって人って見るところが違うんだなぁって感じてましたね。
・社会人になってからは、人の先入観というものが想像以上に強いことに気付きました。
・そこから、先入観とはインプットのズレなのではないかと考えるようになりました。
・さらに考えを進めると、人はそもそも先入観の塊なのではないかと思うようになる。
・次に考えたのは、人は本当に三次元を正確に認識できているのだろうか、ということです。むしろ人間の認識は「1~2次元の感覚+情報」で構成されているのではないかと。
・現在の私の仮説は、人は「予測(情報)」の中で生きており、予測誤差を感じ取ったときに初めて「観測」を行う、というものです。
ここでいう予測と観測は、やや広い意味で使っています。予測とは、自分自身の経験や学び、これまで生きてきたコミュニティの常識などから形成されるものです。観測とは、五感で感じ取ることや、一度立ち止まって考えることなどです。
例えば太陽は昇り、やがて沈みます。しかし人はこれを意識的に観測しているわけではありません。予測の範囲で済ませているからです。リンゴが落ちることも同じです。通常はそれを予測の範囲として処理し、改めて観測したり考察したりはしません。
現実的な例として、言葉の意味があります。以前「考察」と「批評」について語っている記事を書きましたが、人はこの二つの言葉について観測ができているでしょうか。ここで言っているのは内容の賛否ではありません。
もし観測ができていれば、すぐに言語化できるはずです(言語化のメリットはここにあるのかもしれません)。自分なりの考えを持てているということです。一方で、多くの場合はそれぞれの言葉の意味はなんとなく理解しているものの、比較して考えたことはありません。つまりこれは観測していない状態で、予測だけで処理しているのだと思います。
ノーベル賞を受賞された方がテレビで対談している場面を見ることがあります。談笑しながら話していても、議論が専門的な内容に入ると、皆の目が急に真剣になり、聞き方が変わります。あれはおそらく、自分の考えと照らし合わせているのだと思います。専門分野は違っていても、自分の予測(自分の理論)に対して観測を行い、そこに予測誤差を感じ取っているのではないでしょうか。
恐らくこの部分が顕在意識に近いところなのではないかと思います。人はほとんど無意識(予測)で生きています。顕在意識は人によって1~10%程度だと言われています。なので「どれだけ意識して観察に移行できるか」が重要な気がしています。
まだ暫定的な全体像にはなりますが、重要なのは「いかにニューロンに正確な情報を貼り付けることができるか」と考えています。五感で感じ取ったものは理想的な情報源であり、最終的なステップなのかもしれません。
今回書いた内容は、その割と最初の段階の考察だと思っています。例えば「便利なものを新しく知ったとき」、人は観測を行い、予測(情報)を更新をするからです。ここからどうニューロンに張り付いていくかが面白そうなとこです。
人間には「注意の盲目」という現象があります。見たいものだけを見るというものです。都合のよいものだけ見たり、都合よく解釈したりすることです。これが強く働くと、五感で感じ取る前の情報(または思考の浅い予測)がニューロンに貼り付いてしまい、それが先入観になってしまうのかもしれません。