こんにちは
あなたのオアシスになりたい毒親育ち専門カウンセラーのかんなです。
本日はカウンセリングというものにいまいちど
どんな意味があるのか考察していきます。
私の家庭は冷めきっているな
と気付いた18歳のころ
大学の学生カウンセリングルームを初めて利用しました。
そのころのカウンセリングのイメージは
スクールカウンセリングで
「学校にいけない」とか「いじめを受けている」
という前提のある子のみがいける
特別なものだと思っていました。
だから最初にカウンセリングを利用する時って
ある意味“抵抗感”があったなということを
今でも覚えています。
当時は学生相談室に派遣できてくださる
男性のカウンセラーさんでした。
2,3度通うとあまり意図していなかったのですが
初めて交際相手ができたこともあって
自分の内面に向き合うことに重きを置かなくなってやめてしまいました。
そんな私がもう一度継続して卒業まで通い続けることになる
大きな出来事がありました。
それは、資格取得のために行った児童養護施設での実習です。
「家が辛い」
自分と
家にいる親に会いたくて会いたくて
親との繋がりを一生懸命にアピールする
入所施設の子ども
そこをミラーリングして
比較し始めた時
私の中の「支援者」と「支援を受ける子ども」
の境目がなくなって崩壊しました。
当時施設長の先生には見抜かれていました。
「家でずーっといい子をしてきたんだろう。」
「せっかく大学に行って自分で自分のことを学ぶ機会を得た。」
「カウンセリングでも使い倒してとことん自分を理解したらいい。」
「遅すぎる反抗期は、もう親が受け止める力がないんだよ。」
「自分でそこを乗り越えるしかないんだ。」
ぼろぼろ泣いて
資格実習どころではない自分がいて
実習終わりに学生カウンセリングルームに電話。
職業として就きたかった
児童養護施設の先生は諦めて
助かりたかったのは自分だったんだ
と気付くところからスタートしました。
正直、毒親と認識してから
自分の中の壮絶な葛藤がありました。
自分自身の「親剥がし」スタートのために
思春期、多感な中学生の頃や もっと前から
親に迷惑をかけてはいけないと
押し殺してきた本当は聞いてほしかった気持ちを
ただひたすら言葉にする作業
いわゆるパンドラの箱を開けるのに
合計130回を超えるカウンセリングが必要でした。
学生時代にその経験を積めたことはよかったです。
なぜそこまでしたのか。
毒親育ちっていうだけで
人生のスタートラインがマイナスである
という風に認識する機会が多くありました。
父親の虐待で
父子家庭から長年離れていた母親の家庭に統合された
高校の時の友達がいった言葉があります。
「うちはマイナスからのスタートだから
みんなと同じ0まで行くのが大変なんだ。」
親という名もなき宗教の下で
自分を押し殺して一心に「親の体裁を保つために」
努力し続けた空虚な自分が
自分の足で歩く、そのために「普通に就職」しなきゃいけない
来年4月には「普通」の人の顔をして
就職していたい。
そうやってまた
「親の望む姿」になろうとして
親と決別するための一歩を踏み出したのでした。
出していなかった気持ちは沢山ある。だからカウンセリングが必要。
その方程式も間違っていません。
しかしその一方でカウンセリングは
その時楽になることと合わせて
今後自分を楽にする術を身に付ける場でなければいけない
と強く思うようになりました。
歯の治療と一緒で
「終わりのあるカウンセリング」
こそ
目標にすべきカウンセリングであると
考えています。
どうしてそうなったのかは
また今度♪
自分の現状を変えようとカウンセリングを利用するという手段は
とてもかけがえのないことです。
欧米では当然自己管理の一つという捉え方の中に
メンタルヘルスケアも組み込まれているとか。
気軽に頼れるカウンセラーがいるといいですよね。
自分自身の体験として
毒親テーマは
話が「重すぎて」(これは私の主観です)
友達に受け止めてもらえるレベルは超えているな
と感じたため、
カウンセラーさんというプロの存在は非常にありがたかったです。
ですからどうぞ、ぶつけてください。