文系×30代×未経験。それでもアラフォーでフリーランスPMO(ITコンサルタント)になれた話

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「自分のアプリを作りたい」から始まった転身
「フルリモートで高単価」――そんな広告に目を引かれたわけではありません。

私がプログラミングを始めたのは
「自分の作りたいアプリを作って、ユーザーを驚かせたい」
「情報の非対称性をアプリやAPIで解決して、商売したい」
そんな理由でした。つまり、技術そのものよりも“サービスを作る”ことに興味があったのです。

2019年1月、当時32歳。
今のようにChatGPTなどのAIもほとんどなく、プログラミングはまだ“特別なスキル”という印象が強い時代でした。
英語を話せる人のように、プログラミングができる人はどこか魔法使いのように見えたのを覚えています。

第1章|プログラミングスクール入校

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当時、YouTubeで話題だった「マコなり社長」の影響もあり、TechCampという通学式スクールに入校。費用は3ヶ月で約50万円。通学式を選んだのは、挫折しにくい環境を求めたからです。

私は当時、Web集客のフリーランスとして活動していたので平日はスクールに通い、土日の空き時間で生活費を稼ぐ、という生活をしていました。

スクール近くのマンスリーマンションを借りて“住み込み”のような形で集中。しかし、いざ始めてみると、プログラミングの真っ赤なエラー画面の意味すらわからず、何をググればいいかも見当がつかない日々でした。

入校2週間で行われた理解度テストは散々な結果。「自分には適性がないかもしれない」と薄々感じながらも、3ヶ月のカリキュラムを何とか完走しました。

3ヶ月の履修し、プログラミングスクール卒業しましたが、すぐにアプリが作れるほどの実力はなく、「就職しよう」と気持ちを切り替えました。Web集客は順調でしたが、4年も続けて「飽き」が来ていたのも事実です。

そんな事象も重なってSIerの会社に就職することにしました。

第2章|SIerでの修行時代

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就職活動はWantedlyを活用し、マンスリーマンションから近い順に片っ端から応募。Twitter(当時: 今はX)の情報で「SESはやめとけ」「受託がいい」「自社開発は難しいが成長できる」などの声を参考に、受託開発の会社に就職しました。今思えばコードが書ければ自分次第の要素がデカい事に気づきましたが。

新宿にある社員30名ほどのベンチャー企業。社長は30代後半の東大出身、猛烈に働く方でした。社会人歴15年になりましたが、個人としてあそこまで働き、優秀な人は未だに見たことがありません。
給与の提示は月30万円。2019年当時、まだ物価も今ほどではなかったので、十分に生活できました。とはいえ金銭的な不安もあったため、週末はWeb集客を続けて補っていました。
転職が激しい業界だったので、1-2年働いて合わなければ転職するorフリーランスになれば良いや、「とにかく実務経験を身につける」のが目的でした。

入社当初、プログラミングのセンスはやはりなく、何をどう聞けばいいのかもわからない――そんな状態が1年間続きました。加えて業務要件を理解するのにも苦労し、開発が進まず泡を吹く日々。

ただ、社員同士の関係性は良く、困ったら助け合う風土が構築されていました。未経験出身者が多い会社でしたが、皆がハードワークもあり、多くの人がみるみる能力を上げて戦力になっていきました。

そして1年ほど同じ案件に関わり続け、ようやく開発の基礎が少しずつ見えてきました。

第3章|PMO業務との出会い、そして英語学習の開始

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1年経って基礎が就き、2年経つ頃にはPLをやることになりました。ただ、反面でプログラミングの適性は相変わらず怪しいままでした。開発に限界を感じ始めた頃、社長がPMO案件を取ってきてくれました。
開発と並行してPMO業務も担当することになりました。PMO・・・PMを補佐する役割です。
テレビのディレクターがPMならPMOはAD(アシスタントディレクター)みたいなものでしょうか。

通常、契約は1人月という単位で契約をします。1人月140-180時間ほどです。私は2人月だったので、月280〜360時間分の稼働計算でしたが、PMOは調整と会議出席が主で、手を動かす時間は限定的。空き時間を使って、受託で仕事を続ける日を続けました。

それでも月200-220時間は働いていたと思います。ここでマルチタスク能力が身についたと思います。

システムがイベント当日に止まる、データが消える――そんなトラブルにも何度も直面しました。けれど、今思えばすべてが成長の糧だったと思います(顧客に対しては今もすごく申し訳なく思ってます)
給与も次第に上昇し、特に2022年7月には「売上歩合制」が導入され、業績に応じて大幅アップ。技術力は乏しくても売上は良かった私にとっては追い風でした。

2019年7月:30万円
2020年1月:32万円
2020年7月:40万円
2021年1月:44万円
2022年1月:49万円
2022年7月:70万円→売上歩合制の導入
2023年1月:72万円
2023年7月:74万円
2024年1月:80万円
2024年7月:74万円

第4章|独立を決意した理由と背景

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2022年8月から英語の勉強を本格スタート。

理由はシンプルでした。「英語を話せるようになりたい」「英語の仕事に挑戦したい」「技術に自信がないので“差別化”が必要」そんな理由からです。

英語学習の過程は下記で記載しています。
そしてこのあたりで会社に変化が訪れます。給与制度の変化や会社の拡大もあり、入社当時30人だった社員数は120人を突破。
人事評価も「売上重視」から「技術重視」へシフトしていきました。

人数が増えれば歪みも増えるものです。
単価と給料が連動すると単価が高いプロジェクトへ長くいようとする人が増えますし、単価は低いが、技術力が身につくプロジェクトは敬遠されます。

会社は中長期を見据えて経営を行う必要があるため、このあたりを是正する必要があったのです。

ただ、これを個人に当てはめると状況は一変しました。技術力が評価される流れに変わり、技術力が低い自分の給与が今後下がるのは明らか。
多分、残っていたら月60-65万円程度だったと思います。

そこで「会社に残る意味」を再考し始めたのです。

この時に英語案件をゲットして、自分で営業・単価交渉ができるようになった自分は会社に残る意味を失いました。

2024年末、妻と訪れたニューヨーク旅行で大きな刺激を受け、年明けに退職を決意。38歳半での再独立でした。

今でも所属会社には感謝しています。願わくば、自分の技術力が高ければもっと所属したかったのですが、そのレールに自分が乗れなかったーというのが退職の背景です。

第5章|独立後の生活と学び

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Web集客で一度フリーランスを経験していたこともあり、心構えはできていました。

ただし、今回はエンジニアとしての独立。
・半年分の生活費を確保
・SES営業との人脈(5社)を使って面談を毎週1〜2件
・出費は極力抑える・元同僚の紹介で“親身な営業”を確保

このような準備を整えてスタートしました。

面談に慣れるために数をこなし、単価交渉も徹底。その結果、自分の市場価値(単価レンジ)も把握できるようになり、初年度から安定した収入を得ることができました。

正社員と比較すると収入は増えたものの、不安定ではあるので、案件がある中でも定期的に面談を行い、いつ案件から外されても良いように備えています。
またそんな備えをすることで営業会社に生殺与奪の件を握らせないよう牽制もしています。(自分で案件が探せないと、どうしても足元を見られてしまうので)

私より優れた能力を持つ人は世の中に沢山いると思います。願わくば月1-2回でも良いので面談を受けると人生は変わると強く言いたいです。

フリーランスは私の英語案件のようにやりたいことが決まっている(例:技術力身につけたい、フルリモートで働きたいなど)には向いてます。一方で、所属会社でうまくやっていて大きな事ができるのであればフリーランスになる必要はないと思います。

自分の向く生き方として選択されると良いと思います。

最後に|技術力がなくても、戦える

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私は、もともと開発のセンスはないタイプでした。世の中のnoteを含むSNSにはプログラミングで人生が変わった話が多いですが、成功者バイアスであり、それでSurviveできなかった人もたくさんいると思います。
私もSurviveできなかった1人です。
辛辣な事をいうとエンジニアに向いている人は全体の1/3程度だと思います(私調べ+前職のCTO調べ)

ただ、適性がない中でも2-3年勉強してPMO、ITコンサルタントなど上流に回れば実務が分かる人ととして重宝される存在になりうります。
開発ができる人は開発に秀でてるので上流まで来ないケースが多いからです。エンジニアですら2/3は適性がないので、顧客側を見れば更に適性がない人が多い事がわかるかと思います。

ユーザー側についてシステム導入するのも良い選択肢の1個です。

特に私はPMO(ITコンサル)×英語という武器を組み合わせることで、自分なりの立ち位置を築けました。

「技術だけがすべてではない」「自分の得意と社会のニーズをすり合わせることが大事」

そう気づいたことで、エンジニアとしてのキャリアも、フリーランスとしての働き方も前向きに進められるようになったと思っています。

私は努力してきたつもりでしたが、努力で立ち行かなかった事もあります。それは私の努力が足りてないか適性不足だったのかもしれません。

ただ、そこまで諦める必要はありません。

そんな時は方向性を微修正しませんか?
100m走に適性がなければ110m走に転向もありえますし、砲丸投げでも良いです。やってみたら案外うまくいくケースも多いです。

ただ、多くの人が100m走のようなレッドオーシャン(過競争)の中で頑張りがちです。それ自体は素晴らしい事ですが、うまく行かない場合は横道にそれてみてください。案外うまくいくかもしれません。

何となく、日本人は過競争の中で耐える事を美徳としている風潮がある気がしてなりません。

私は今までの人生、努力はしつつも、「いつも過競争しないこと」を意識的・無意識的に心がけてきました。

もちろんドラクエの転職のごとく、「レベルゼロからやり直し」みたいなこともありますが、何歳になっても伸びる分野を探索することほど楽しい事はありません。

それが過競争の中にいる人にとって「逃げ」に映る事もあります(実際、退職時にニュアンスは違うがそのような事を言われた)が、それも自分の人生です。

何歳になっても様々な選択肢があることを掴んでもらえたら幸いです。

気軽に相談に乗って欲しいというコメントがあったので自分のサービスを貼っておきます。興味ある方はご相談ください。

それでは、また。

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