否定の必要のなさ

記事
コラム
こんばんは*^^*

朝日を浴びる草たちがとても生き生きしているのを感じました。

毎年12月に咲くお花の蕾が今年もまた現れてきました。

不思議だな・・・

でも、お花を見ていても、星々も法則的というか
摂理の中の動きで、狂いなく現れてきていて・・・

この体の働きも同じで・・・

そうそう、このお花を見ているとあることを思い出します。

数年前のこと・・・

一つの葉っぱに一つの蕾が普通なのだけど、
あるとき双子の蕾がでていたのですね。

それに特別感感じて、表現したことがあるのですが、

”それは分離の視点ですね”

そういう表現が届いてきたのでした。

今ではよくわかりますね。

”普通はこうだ”

という自分という分離からの目を通して見ていたのでした。

全体からは、個人がどのように見えたとしても
その現れは、摂理の中で、それが完全。

そこからすれば

私たちは、日々湧いてくるものを

常にジャッジしてきたように思います。

こんなことしちゃだめなんじゃないか。

こんな自分じゃだめだ。

なんてね^^:

実はその湧き上がることも、体の働きと同じく

摂理の中で現れてくる間違いのないものなのだけど・・・

もし、断るや、ドタキャンするということが起きてきても

それに悪いというラベルは必要なく

そのときにそれが湧いてきてその動きが起きただけ。

その動きが摂理の中で、自然な動きとして起きていた。

湧いてくるものに、否定は必要なくなりますね^^

でも、否定が起きてきても

それはそのような反応がその中で完璧に起きただけ*^^*


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す