様々な意味づけ

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コラム
おはようございます*^^*

昨日、山の上に大きな虹がでていました・・・

それを見て

もしかしたら、自分が特別だからそれを見せてくれているなんて
今まで思っていたかもしれないなって。

自然現象の虹が目の前に現れた。

そこに本当は自分がどうこうという意味はなかったんだなって
最近感じます。

どんなときも中立。

全てにおいて、自分がしてきたと感じていたことが
実はそうではなかった。。。

クリスタルのカードを使うということが起きてきていることも

そして、なぜだか
ぴったりと必要なことが届けられるということも

それらは私が入り込む余地のないところの動き。

全ては背後にある全体からの表現から起きていることだった。

そういう意味でも、特別な自分というような意識は
どんどんと無くなっていく気がします。

最近お話するときも、自分がしているというよりも
その空間から現れる言葉を表現されるままに
出てくるというような感じがしています。

そんなとき、ご存じの方もたくさんなのかもだけど
禅の世界でよく言われる逸話のようだけど、

きつつきが木を毎日つついてもつついても
なかなか穴が開いてこない。

そんな風に、毎日こつこつとつついていました。

そんなとき、大きな雷が落ちて
一瞬で木に穴が開いたのだとか・・・

それで、きつつきは、

自分がこれを引き起こしたんだ~!と
自分の不思議な力に驚くというようなお話。

日常の中でも、このお話と同じようなこと
私たち意味づけしていること多いのかもって。

”ただ自然現象で雷が落ちた”

そのことに自分中心に、都合の良い
意味づけをたくさんしているのかもしれませんね。






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