ずっと、変わらない感覚

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コラム
こんばんは☆

今日は友人とこの景色を眺める場所までドライブとお散歩。
豊かなひとときでした。

お電話もお誕生日や、嬉しいことがあった時に
くださる方もいて・・・
本当に有難いなあと感じます。

ありがとうございます。

最近は、生まれつき悪い目の疲れがきていましたが、
病気も”悪いもの”ではないのですよね。

いまここに現れている完全性を、否定する心に苦しみが生まれてるんですね。

そんなことを、向き合いながら感じている中の分かち合いも今日起きてきました。

そして、最近、よく、幼稚園の頃の印象的な一コマが
何故か浮かんでくることが続きました。

そして、感じたことは
振り返り、どのような時期の印象的なひとときも

いまここに在るこの、感覚と同じ中に
現れているということに気がつくと思うのです。

何歳のときであろうと
その印象的な出来事は、今も変わらない
その時と変わらない感覚の上に
現れている。

その感覚気づかれますか?

それが、全体や、愛とよばれている
永遠に変わらないものです。

そして、以前記事にしたことがあるけれど、
昔出会った方は、魂はこの空間全てだと
伝えてくれていました。

それとも通じるのですが、
その思い出した印象深い一コマも
自分の目を通してというより
自分含め、全ての空間が浮かびませんか?

それが、皆見失っている
全体、在るという変わらない感覚です。

それを”私”と勘違いしたりしているんです。
(私がそうでした。)

なんだか、幼稚園時代の印象的な一コマから
全体、在るという感覚が
思い出せるかもしれないかな?と
表現したくなりました。

今日もお疲れ様でした☆


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