今日も「うま、うま♪」と、目をつぶって竹を味わっているままぱんだ。午(うま)年ですしね。なんてしあわせな時間でしょう。失敗だらけで生きてきたままぱんだが、しあわせに浸ってる。これを成功と言わずしてなんと言う(笑)!?
ということで…。
今日は【ギフテッド、失敗?成功?だれが決める?】と題して、ままぱんだが思うところを余すところなく語ります。
「失敗」は悪いことなの?
失敗―― 辞書を引くと「やりそこなって目的を遂げられないこと。しくじり。」とある、この言葉。意味を見ると、たしかに残念なことなんだなと思います。目的を達成できなかった、ということですものね。でもちょっと待って!たしかに「失敗=しくじり」ではあるけれど、それが悪いこととは書かれていません。それなのに!!失敗って、悪いイメージが先立ってしまっているように感じます。「失敗しない○○」とか「失敗しないための□□」とか、そんなキャッチコピーをよく目にしますもん。失敗しなくて済むのならそのほうがいい!って考える人が多いのもわかります。
だけど…。ままぱんだなら、こんな方法を紹介するかな(笑)。
いっぱい失敗するけれど、そのたびに力強く立ち直って、そのあと成功する方法。そう、まさに「失敗は成功のもと」。失敗したときは、「あ~あ、やってしまった…」って思いますよ。でも、なにが悪くてこうなった?その中でも良かったことは?次に使えそうなことは?と、策略をめぐらせるのです。頭の中で。すると、はたから見たら失敗だらけでも、自分の中には少しずつ、しかし着実にデータが蓄積されていきます。これは、万人にあてはまるようなマニュアルではなく、自分だけの生き方のノウハウ。もはや宝物✨です。こう考えると、失敗は悪いことではなく、むしろ次につながる大事なステップだと思えます。
失敗が許されない社会、生きづらい…
日本って、失敗が許されない社会だなぁ。ままぱんだはつくづくそう思います。失敗してばかりのままぱんだにとっては、息苦しく感じることも。テストや受験に始まり、就職、仕事にお付き合い…。受験して不合格だったら「失敗」、合格しても不登校になったらこれまた「失敗」。もう本当に「失敗」をおそれて生きている、そんな感じではないでしょうか。
たとえば、仕事で失敗したときに始末書を書かされる。ままぱんだはこれも疑問でして。反省すべき点は反省して次に活かす、それでいいと思うんですよね。時間かけて始末書とか報告書とか書かなくても。その時間をほかのことに当てたほうがよほどいいんじゃない?と思います。でも実際は、これでもかというくらいミスを責められ、始末書報告書もばっちり書かされる。なんの罰ゲーム!?自己肯定感は急降下、やる気メーターもほとんどゼロですけど…。
「失敗しないこと」が重視されすぎると、必然的にチャレンジできなくなっていきます。だって、新しいことをやるのに失敗はつきものですからね。チャレンジして成功したら評価爆上がりだけど、失敗したら途端にリストラ対象。そんなだったら、いいこと思いついたとしても、だれもチャレンジしませんって。怖すぎて。そうではなくて、チャレンジしたこと自体をすごい!と認めてもらえる、そんな社会になってほしい。というのが、ままぱんだの願いのひとつです🎋。
失敗も成功も、決めるのは自分
まわりになんと言われようが、自分の人生です。
失敗だらけじゃんと思われても、はたまた「成功したね」と言われても。それは自分以外のだれかの評価でしかありません。たとえ成功をほめられたとしても…。自分がそう感じていなければ、心から喜べないのではないでしょうか。
不登校になって人生終わった…と感じた時期があっても、就いた仕事がことごとくダメだったとしても。それは自分に合わないことをたくさん見つけた、ともいえるわけです。そういう意味では、人生は試行錯誤の連続だなって思います。運悪いなと思っていたことでも、結果的に良かったということもありますし。禍福は糾(あざな)える縄のごとしです。
まわりが言うことに一喜一憂していたら身が持ちません。自分の人生に責任が持てるのは自分だけ。たくさん失敗した(えっへん!)、だけどたくさん学んでたくさんチャレンジして自分なりの成功をつかんだ。いつか人生を終えるとき、心からそう思えるようにしたいと、今日も仕事(食べる寝る遊ぶ)をしているままぱんだです♪