こんばんわ~♪言靈師のフミコです。
近頃度々【ペーパードライバー脱却の心内】を記事にしていたところ、有難いコメントを頂きました!
前記事で【なぜ自動車運転の復活がムズいのか?】をシェアしましたら、「自由に動くことの潜在的な恐れ」があるのではとヒントを頂けました。
まさにまさに!
車は魂の乗り物である身体を表しているのですよね。
・・・って、あれれ?
これって大峠超える前にクリアした課題じゃなかったっけ?
そうです、自分ではもう完全に魂との絆を取り戻し、自分への揺るがない信頼を結びなおした氣でおりました。
がしかし、今回車の運転復活を通して、再び【自身の中での統合】が再浮上してきたのです。
コメントのご指摘の通り、自我と魂は繋がっても【自我と身体】や【魂と身体】が連携取れていないとわかりました。
実際、人生をかけた大峠越えや激しい猛暑、今年3回も連続した長距離引越しの疲れ等により身体は悲鳴を上げ、クタクタに疲れていたからです。
故郷に戻り、まだ生活に慣れない中でのチャリンコでさえ大変なのに、更に忘れ去った車運転までも復活させなければならない状況に、身も心も正直勘弁してほしいといったところでしょう。
確かに以前のように運転できれば自由になれるのは間違いありません。
けれどもそれ以上に恐怖や責任や煩わしさが伴います。
(運転復活したい⇔運転したくない)が拮抗しているのです。
この【運転したくない】にもメリットはありますので、これらを素直に認めた上で、じゃぁどうすればこれらを解決できるのか?
この答えも本日出ましたので、ここからは別記事でまとめようと思います。
わずか一日足らずで、自身の大きな課題に再び氣づかせていただき有難う御座います。(^^♪
※写真は先月の満月で炊いたうるち米の御赤飯と煮魚です。