はじめに
コーチングセッションの中で、クライアントさんの目が少し潤む瞬間があります。
もちろん、しんどかった出来事を話している時にそうなることもあります。
でも実は、それとは少し違う涙もあります。
それは、
「やっと言葉になった」
「これが自分の本音だったのかもしれない」
そんな感覚に触れた時の涙です。
私はこの瞬間がとても好きです。
その人の弱さが出た瞬間というより、むしろ、その人の芯に触れた瞬間のように感じるからです。
今回の記事では、そんな瞬間に私が感じていることを言葉にしてみたいと思います。
テーマは、
「過去に別れた、より本当の自分との再会」
です。
ここでいう「より本当の自分」とは、完璧な自分のことではありません。
すごい結果を出している自分でも、いつもポジティブな自分でもありません。
うまく言えないけれど、心の奥ではずっと知っていた感覚。
でも、いつの間にか離れてしまっていた感覚。
今回は、そんな自分にもう一度出会うことについて書いていきます。
「見つける」より、「再会する」に近い感覚
よく、「自分探し」という言い方がありますが、
今回のテーマについては少し違うイメージかと思います。
それは、何か新しいものを外から拾ってくる感じではなくて、
もともと自分の中にあったものが見つかり、感動する。やっとそこに戻ってくるような感じ。
たとえば、
- ずっと違和感はあったけど、うまく説明できない将来像。
- なぜか惹かれるのに、言語化できない想い。
- 頭では否定してきたけど、何度も心に浮かんでいること。
- やりたいことがありそうなのに、考えるほどそれが見えなくなっていく感覚。
こういったモヤモヤを打破するような瞬間でもあります。
そして、本当に心から達成したいと思えるような目標や夢が見つかった時は、新しく決まったように見えても、その目標の「根っこ」は、実はずっと前から自分の中にあったりします。
だから私は、これは「発見」というより、
再会という言葉の方がしっくりくると感じています。
(学術的にどのような名前が付いているのかわからないので、タイトルのように名付けてみました。)
これは、私がクライアントを見て感じるものだけでなく、私自身が自分の目標に言葉を与えた時に涙が出た体験を持っています。
私自身の体験
私はこれまで、自分の人生や仕事の方向性について、ずっと考えてきました。
今でこそ、自分の大事にしたいことや、やっていきたいことに対して強い納得感がありますが、
正直、ずっとそうだったわけではありません。
「これでいいのかな」
「本当にこれは自分の好きなことなのだろうか」
「自分は何を大事にして生きたいんだろう」
「やったほうがいいことばかりが目につき、絶対にやりたいことがわからない」
そういう感覚が膨らみ、(キャリアや職場での悩みも抱え)むしろ典型的なキャリア迷子の時期もありました。
そんな中で、ある時、自分の中にあった想いがひとつの言葉としてまとまった瞬間がありました。
それは、
"人が、自分として生きてきたことに深い喜びを感じられる状態を増やしたい"
という想いです。
もう少し言うと、
誰か別の人になろうとし続けるのではなく、
何かを証明し続けるために頑張るのでもなく、
「私は私でよかった」
「生まれ変わっても絶対に私として生まれたい」
「この自分として生きていきたい」
そう思える人を増やしたい。
自分の人生に納得している人を増やしたい。
この感覚を言葉にできた時、私はかなり感情が動きました。
安心した感覚もありましたし、嬉しさもありました。
同時に、どこか懐かしいような感覚もありました。
ああ、私はこれをずっと大事にしたかったんだな、と。
その時に出てきた涙は、
無理に頑張ってきた疲れの涙というより、
やっと自分の中心に戻ってこられたような涙でした。
自分らしさ=自分が最も納得した時間の使い方、選択ができていること
ここでひとつ、自分らしさについて私が大事にしている考えがあります。
それは、最も自分らしく生きていく上で、自分らしい人生の目標の設定ができているかどうか?ということです。自分の大事な価値観と繋がった目標があればこそ、(成功失敗に限らず)自分が最も納得した選択、時間の使い方をすることができるからです。
行く宛がなくただもがき彷徨うことと、自分が心からいきたい場所に向かって努力していくことの納得感は当然変わりますよね。
目標を立てる時、多くの人は「何を達成したいか」を考えます。もちろんそれはとても大切です。
ただ、目標を達成する過程では、それだけだと途中で苦しくなることがあります。その目標が自分の内側とちゃんとつながっていないと、苦しくなった時に、なぜ行動を続けていくのか、納得・実感しにくいからです。気合いだけで目標設定をするのは、人生における大事な目標の場合おすすめしません。
私が思う「本当に機能する目標設定」には、少なくとも次の3つが必要です。
自分らしい目標設定
1. 自分の強みと、フロー(没頭)に入りやすいポイントを知ること
どんな時に自然と集中できるか。
どんなやり方だと、頑張っているのに苦しすぎないか。
どんな場面で、自分の力が出やすいか
これらを知らないまま目標だけ大きくすると、
目標自体は良くても、進み方が合わなくなります。
逆に、自分の強みや集中しやすいパターンが分かってくると、
同じ努力でも、手応えがまるで違います。
「まだできていないけど、これは進められる」
そんな感覚が生まれやすくなります。
大きな目標に向かう時ほど、
根性論だけではなく、自分の特性に合った進み方を選ぶことが大事だと感じています。
2. 自分の価値観が、その目標とつながっていること
どれだけ立派な目標でも、
どれだけ他人から見て魅力的でも、
自分の価値観とズレていると、途中で心が置いていかれます。
本音ベースで心からときめくポイントがなく、ただ高い目標を立てても、それは外向けの(あるいは自分の満足感を満たすだけの)聞こえの良い実態のない標語になってしまいます。
たとえば、
成果は出ているのに満たされない。
前に進んでいるはずなのに、なぜか苦しい。
やるべきことは分かっているのに、エネルギーが出ない。
こういう時は、努力不足というより、
目標と価値観のつながりが弱いことがよくあります。
反対に、
価値観とつながっている目標は、しんどい時期があっても折れにくいです。
なぜなら、「何のためにこれをやるのか」が自分の中ではっきりしているからです。
3. 自分の性質を理解して、「自分の扱い方」を知っていること
これは意外と軽く見られやすいのですが、かなり重要だと思っています。
同じ目標でも、人によって合う進め方は違います。
短時間で集中して一気に進める方が合う人もいれば、
コツコツ長く続ける方が得意な人もいます。
人と話しながら整理できる人もいれば、
一人で静かに考える時間がないと進まない人もいます。
ここを無視してしまうと、目標そのものではなく、目標への到達方法や身を置く環境で苦しくなります。
1時間で高い集中を発揮できるタイプの人が、「8時間ずっと同じテンションで頑張れる人」を理想の働き方として設定してしまうと、必要以上に自己否定しやすくなってしまいます。
でもそれは、能力の問題ではないことが多いです。単純に、スタイルが合っていないだけかもしれません。
目標設定は、「何を目指すか」だけではなく、その目標をどんな自分として進めるか まで考えて初めて、現実で機能しやすくなると思っています。
なぜ、人はその瞬間に涙が出るのか
ここまで書いてきたことを踏まえるとセッションの中で涙が出る瞬間にも、少し説明がつく気がしています。
その涙は、ただ感情的になっているだけではなくて、
• 自分の強み(弱み)がつながった
• 自分の価値観がつながった
• 自分の性質にも無理がない形が見えてきた
あるいはそれらが少しずつ見えそうになってきた。
そんなふうにバラバラだったものが一本につながる瞬間に起きていることがあるからです。
それは、過去に置いてきた自分らしさ、過去に別れた最も自分らしい自分を再発見したり、思い出せたような感覚です。
「今の自分にしっくりこない」と感じている人へ
もし今、
• 目標を立てても、なぜか本気になりきれない
• 頑張っているのに、満たされる感じが薄い
• 自分に合う生き方や働き方が分からない
• 進んでいるはずなのに、どこかズレている感じがする
そんな感覚があるなら、自分を責めすぎなくて大丈夫です。
もしかすると今必要なのは、
新しい何かを足すことではなくて、
自分の中にすでにある感覚に戻ることかもしれません。
自分の本音を聞き、自分の琴線、軸を感じること。
「何を目指すか」だけではなく、
• 自分はどんな時に力が出るのか
• 何に心が動くのか
• どんな状態だと、自分らしくいられるのか
このあたりを忖度なく、飾りなく、愚直に丁寧に見ていくと、
目標の見え方そのものが変わってくるはずです。
最後に - 少しずつ自分らしさを取り戻す
私は、誰かが「もっといい誰か」になろうとし続けることよりも、
“この自分を生きること” に深く納得できる状態 を増やしたいと思っています。
もちろん、人生にはしんどい時期もあります。
自信が持てない時もあります。
自分から離れてしまったように感じる時期もあると思います。
でも、そういう時期があったとしても、
もう一度、自分の中心に戻ってくることはできる。
そしてその瞬間は、
「新しい自分を作れた」だけでなく、
過去に別れた、より本当の自分に再会できた
という方向性であるかもしれません。
まずは、自分の中にある違和感や、小さな本音を置き去りにしないこと。
そこからで十分です。
あなたの中にある大事な自分らしさや感覚は、一度距離を置いても、
なくなったわけではなく、必ずまだちゃんと残っているはずです。