あと何回、この日常が続くのだろう?
あと何回家族との「おはよう」が交わせるのだろうか。
あと何回、晩御飯を食べる事ができるのだろうか。
あと何回、桜を見る事ができるのだろうか。
あと何回、この見慣れた通勤の風景を見る事ができるのだろうか。
あと何回、好きな趣味を楽しむ事ができるのだろうか。
あと何回、失敗する事ができるのだろうか。
あと何回、失恋をする事ができるのだろうか。
あと何回、嫌いな人と顔を合わせる事ができるのだろうか。
あと何回、辛い朝を起きる事ができるのだろうか。
普段何気なく繰り返している日常のひとコマ。それを回数で数えたことはありますか?
あと40年生きれるとして、桜を見れる回数は40回です。
いつも何気なく見る桜。
外人さんの観光客が多いな、とか、この春が過ぎたらあっという間に夏か 暑いの苦手なんだよな‥‥‥
くらいの感想しかないのですが、あと40回しかないと思うとちょっと寂しくなります。
でも、その40年さえも確実なものではありません。
今見ているこの桜が、もしかしたら最後かもしれない。
僕たちは忘れがちですが、毎日の一瞬一瞬が実は限りあるものです。
子供の頃、祖母と過ごした大切な時間
僕の大好きだった祖母の話をします。
子供の頃、よく一人で祖母の家に電車で行きました。
いつも美味しいおやつに温かいご飯を用意してくれて、手を繋いであちこち出かけ、夜、怖くて眠れないときには、隣で手を握って安心させてくれました。
歳をとり、痩せ細った祖母と手を繋いだとき
そんな大好きな祖母も歳を重ね、入院し、もう寿命が近いというときに何年ぶりかに会いに行きました。
見るからに窶れ、痩せ細ったその手を握り、いろいろと話しました。
こういうとき、涙ながらに語るものかもしれませんが、僕はそういうとき普通に話すほうです。
でも、手を握りながらふと思いました。
大切な人と手を繋ぐ、その大切さに気づく
「子供の頃はよく手を繋いでいたのに、いつから繋がなくなってしまったのだろうか」と。
今は死に際だから手を繋いでいる。
でも、普段から、大切な人と大人になっても手を繋いでもいいんじゃないか‥‥‥
そう考えながら、この思い出をこうして綴っていると少し胸が熱くなります。
できることに目を向けて、今を大切に
僕たちは、できないことに頑張りすぎて、できることに目を背けていることがあるのかもしれません。
二度と戻らない大切なシーンが、いつの間にか川の流れのように過ぎ去っているのかもしれないのです。
あなたには大切な人がいますか?
その人と過ごす時間があとどれくらいあるか、計算してみてください。
僕も大切な愛猫🐱との時間を数え、大事にしていこうと思います。
では、今日も良い一日を✨