彼は、静かな男だった。
言葉少なで、目を合わせるのが少し苦手そうで、
それでも誠実な人柄が滲んでいた。
「特にトラウマとか、そういうのはないと思うんです。
ただ……なんか、人生が止まってる気がするんですよね」
そう言った彼の“音”は、ところどころ、妙に薄かった。
何かが断絶されている。
記憶ではなく、“感情”の断片が欠けていた。
ココは、彼に**417Hzの音守り**を渡した。
「この音はね、過去のあなたと手を繋ぎ直すための音よ」
そう言って。
417Hz──それは、記憶の奥に隠れてしまった感情を“解凍”する音。
過去に閉じ込めた「傷ついた自分」に、そっと手を差し伸べる。
初めの数日は何も起きなかった。
彼も「リラックスできるかな」くらいにしか思っていなかったという。
でも、1週間目の夜──
彼は夢を見た。
それは、小学生の頃の記憶だった。
ランドセルを背負って、母親の車の助手席に座っている。
母は泣いていた。
父と喧嘩した帰りだった。
幼い彼は、何も言えず、ただ俯いていた。
夢の中で、彼は初めて気づいた。
「あの時、泣きたかったのは……俺だったんだ」
目を覚ました彼は、久しぶりに声を上げて泣いたという。
しかも、それがまったく悲しくない涙だったと。
その翌日、彼の“音”は変わっていた。
詰まっていた場所が、すこしだけ温かくなっていた。
「たぶん俺、
“感じていい”ってことを、ずっと許せなかったんですね」
彼は、その日から日記を書き始めた。
昔の思い出、言えなかった言葉、ふいに浮かぶ感情──
すべてが音に触れて“動き出した”のだ。
俺は思う。
417Hzは、「変わる音」じゃない。
「変わってもいい」と思える音なんだ。
変化は、努力でも執念でも起きない。
たった一滴のやさしさで、氷が解けるように起きる。
──彼の中で、その音が“響いた”のだ。
その後、彼は仕事の環境も少しずつ変え、
誰にも見せたことのなかった趣味の創作を発信し始めた。
「まだ怖いですけど、
“もう1回、生きてみようかな”って思えたんです」
それで十分だ。
いや、それがすべてだ。
417Hz。
それは、過去に置き去りにした“あなた”を迎えに行く音。
そして、音に触れたあなた自身が、
その“忘れていた涙”を、そっと抱きしめてくれる。
──もう、感じてもいい。
変わっても、やり直しても、遅くなんかない。
その音は、今日も誰かの胸の奥で、
静かに、あたたかく揺れている。